第155話「名を持つ者たち、無能王子は“俺たちの名前を喰わせない”と叫ぶ」
虚ろの王の欠片が、玉座から離れた。
それだけで、深部の闇が形を変えた。
これまで黒い玉座の上に座していた影。
無数の名を喰らい、王冠のように残骸を戴き、自分を王だと思い込んだ空白。
それが立ち上がった瞬間、深部そのものが震えた。
床が波打つ。
壁のない闇が軋む。
遠くに漂っていた無数の名の残滓が、いっせいに細かく震えた。
ミオ。
リセ。
ノア。
サナ。
エルド。
マリ。
ガレス。
七つの光も震えていた。
戻ったばかりの名。
まだ弱い。
まだ不安定。
それでも確かに呼び戻した名たちが、虚ろの王の圧に怯えるように揺れている。
レオンは、それを背中で感じた。
七つの名を返した。
それは勝利だった。
けれど同時に、虚ろの王の欠片を本気にさせた。
今度の狙いは、七つの光ではない。
レオンたち自身だ。
『名を返す前に』
影が告げる。
『お前たちの名を喰う』
その声が落ちた瞬間。
黒い波が、深部全体を覆うように押し寄せた。
糸ではない。
槍でもない。
触手でもない。
深部そのものが、口を開けた。
名前を持つ者へ向かって。
理由を持つ者へ向かって。
帰る場所を持つ者へ向かって。
レオンたちを丸ごと、空白へ変えようとしてくる。
「全員、防御!!」
グレイヴの声が響いた。
大剣が前に出る。
第一騎士団団長の剣が、黒い波の正面へ立った。
だが、受け止めた瞬間。
グレイヴの表情が歪む。
「……重い」
黒い波は、質量だけではない。
名を消す圧。
自分が誰だったかを削る力。
なぜここにいるのかを曖昧にする力。
それが、剣越しに流れ込んでくる。
『グレイヴ』
『守れなかった剣』
『もう守らなくていい』
『名を捨てろ』
『剣を下ろせ』
グレイヴの腕に黒い筋が走った。
だが、彼は大剣を下ろさない。
「グレイヴ・アルディオス!!」
彼は叫ぶ。
「今度こそ守るために進む!!」
大剣が、鈍い光を取り戻す。
黒い波の前に、重い防壁が生まれた。
しかし、それだけでは足りない。
波は横からも回り込む。
クラウスが右へ踏み込む。
「クラウス・ベルン!!」
「守るべきものを選ぶために進む!!」
白銀の剣が走る。
波そのものは斬れない。
だが、波の中に混ざる虚ろの筋を切り分ける。
名を直接傷つけず、侵食の流れだけを逸らす。
その剣筋は冷静だった。
だが、クラウスの額には汗が浮いていた。
『命令は不要』
『選ぶ必要もない』
『名を捨てれば迷わない』
声が絡む。
クラウスは歯を食いしばる。
「迷うから選ぶんだ」
「迷わない剣など、また間違える」
剣が光る。
黒い波の右側がわずかに割れた。
アルベルトが左へ出る。
「アルベルト・フォン・アルディア!!」
「悔しいから進む!!」
紅炎が燃え上がる。
だが、黒い波へ触れた瞬間、その炎の意味が曖昧になった。
燃やす炎なのか。
照らす炎なのか。
怒りなのか。
防御なのか。
その輪郭を虚ろが奪おうとする。
「うっ……ぜぇな!!」
アルベルトは叫んだ。
「燃やす!」
「でも全部焼かねぇ!」
「道を照らして、虚ろだけを焼く炎だ!!」
言葉で炎を固定する。
紅炎が形を取り戻し、黒い波の表層を焼いた。
エリシアの風がすぐに重なる。
「エリシア・フォン・ローゼンベルク!!」
「目を逸らさないために進みます!!」
風が黒い波を横へ流す。
「流す風!」
「守る風!」
「名を奪う圧を分散させる風!」
術式盤が悲鳴のように明滅する。
だが、エリシアは目を逸らさない。
風の流れが、レオンたちの周囲へ防護の円を作った。
ラウルの盾が床へ打ち込まれる。
「ラウル・ゼクト!!」
「背後を閉ざさないために進む!!」
盾の防護光が、七つの光を背後から包む。
ミリオが精神線を全員へ広げる。
「ミリオ・ハーグ!!」
「皆の声を繋ぐために進みます!!」
細い光の糸が、レオンたちと七つの名を結ぶ。
その線は何度も黒く染まりかける。
そのたびにミリオが自分の名を叫び直す。
セラフィアが、金色の光を広げた。
「セラフィア」
「奪われた名を祝うために進む」
祈りが深部に広がる。
ミオ、リセ、ノア、サナ、エルド、マリ、ガレス。
七つの名を包み、それぞれを別々の光として守る。
混ぜない。
飲ませない。
ひとつひとつの名として、そこに置く。
そして。
レオンの隣で、リリアーナが叫んだ。
「リリアーナ・ヴァイス!!」
「隣にいたいから進みます!!」
「一緒に帰るために!!」
彼女の声が、黒い波に正面からぶつかる。
武器ではない。
魔法でもない。
それでも、その声は確かに意味を持っていた。
レオンの手を握る温度。
呼び続ける覚悟。
その全てが、レオンの名前を繋ぎ止める。
レオンは、黒蒼雷を握った。
右腕が震えている。
だが、退かない。
「レオンハルト・フォン・アルディア!!」
一拍。
「レイでもいい!!」
黒蒼雷が深部に轟く。
「奪われた名前を返すために進む!!」
「守りたいものを奪わせないために!!」
「帰る場所へ、帰るために!!」
黒蒼雷が、仲間たちの声と重なった。
七つの光が、背後で震えながらも応える。
『ミオ……』
『リセ……』
『ノア……』
『サナ……』
『エルド……』
『マリ……』
『ガレス……』
名が重なる。
それは、盾になった。
小さく、まだ弱い。
それでも、深部の黒い波を一瞬だけ押し返した。
◇
だが、虚ろの王の欠片は止まらない。
影が大きく広がった。
王冠のような名の残骸が、ギシギシと音を立てる。
そこから、黒い雫が落ちた。
雫は床へ落ちる前に形を変え、無数の小さな口になった。
名を喰う口。
それらが、波の中から一斉に浮かび上がる。
『名を』
『名を』
『名を』
『寄越せ』
口が迫る。
狙いは、レオンたちの防御の隙間。
特に、七つの光だ。
ラウルが盾を構える。
「来るぞ!」
ミリオが叫ぶ。
「精神線が噛まれる!」
「線を切られたら、光が孤立します!」
セラフィアの顔が険しくなる。
「孤立させてはいけない」
「戻ったばかりの名は、一人になると虚ろへ戻りやすい」
リリアーナがすぐに声を張った。
「ミオくん!」
「リセちゃん!」
「ノアさん!」
「サナさん!」
「エルドさん!」
「マリさん!」
「ガレスさん!」
「ここにいます!」
「わたしたちもいます!」
七つの光が震える。
ミオの白い光が、か細く答える。
『ミオ……いる』
リセが続く。
『リセ……ここ』
ノアが。
『ノア……』
サナが。
『サナ……』
エルドが。
『エルド……いる』
マリが。
『マリ……』
そして、少し離れた位置で震えていたガレスの光が、遅れて答える。
『……ガレス』
その返事が出た瞬間、リリアーナは大きく頷いた。
「はい!」
「全員います!」
「誰も一人じゃありません!」
その声に、ラウルの盾が強く光る。
「なら、守る」
彼は短く言って、盾を前へ押し出した。
名を喰う口が盾へ噛みつく。
黒い歯のようなものが、防護光を削る。
「ぐっ……!」
ラウルの腕が震える。
ミリオが精神線を盾へ重ねる。
「ラウル!」
「名前!」
「ラウル・ゼクト!!」
「背後を閉ざさないために進む!!」
ラウルは叫ぶ。
その声で盾の防護光が戻る。
口が弾けた。
だが、すぐに次が来る。
アルベルトが紅炎を走らせる。
「口だけ焼く!」
「中の名には触るな!」
炎が黒い口を焼き払う。
エリシアの風が、焼けた虚ろを外へ流す。
「残滓を分散!」
「七つの光へ戻さない!」
クラウスが剣で、口の群れの流れを切り分ける。
「中心へ集めさせるな!」
グレイヴが大剣で、大きな波を再び受ける。
「レオン!」
「今は返すより守れ!」
レオンは頷く。
「ああ!」
返した名を守る。
それもまた、返す戦いの一部だった。
呼び戻しただけでは終わらない。
戻った名が再び喰われないように、守らなければならない。
レオンは黒蒼雷を広げ、七つの光の周囲へ細い防護線を張る。
雷の檻ではない。
囲い込むためのものではない。
戻った名が自分のまま立てるように、虚ろとの境界を示す線。
「ここから先は喰わせない」
レオンが低く言う。
黒蒼雷が応える。
虚ろの王の欠片が、苛立ったように揺れた。
『返して』
『守って』
『また返す』
『無駄』
『名は増えれば守るものも増える』
『やがてお前は潰れる』
その言葉は、レオンの胸へ刺さった。
確かにそうだ。
名を返せば返すほど、守るべきものが増える。
ミオを返した時より、今は負荷が大きい。
リセ、ノア、サナ、エルド、マリ、ガレス。
七つの名を守るだけで、全員が必死だ。
この先、もっと返せばどうなる。
守りきれるのか。
戻した名を、また奪われたら。
その恐怖が、レオンの胸を締めつけた。
虚ろはそこを突く。
『救うほど重くなる』
『返すほど失う恐怖が増える』
『ならば返すな』
『何も持たねば、何も失わぬ』
黒い波が、レオンの黒蒼雷へ絡みつく。
東の塔の感覚。
何も持たなければ楽だった。
誰も呼ばなければ、返事がない痛みもない。
誰も待たなければ、来ない痛みもない。
守るものがなければ、失う恐怖もない。
その囁きが、レオンの奥へ入り込む。
「レイさん!」
リリアーナが叫ぶ。
レオンは答えようとした。
だが、一瞬だけ声が詰まった。
その一瞬で、黒い波が彼の名前へ触れた。
視界が揺れる。
レオンハルト。
レイ。
どちらも遠くなる。
代わりに、価値なしという声が浮かぶ。
無能という声が浮かぶ。
東の塔の扉が見える。
そこには何もない。
何も持たない部屋。
守るものもない。
失うものもない。
苦しいほど静かな場所。
「レイさん!!」
リリアーナの声が、そこへ飛び込んできた。
彼女は、両手でレオンの手を握った。
「戻ってください!」
「レオンハルト・フォン・アルディア!」
「レイさん!」
「あなたは、守るものが増えるのを怖がっています!」
「でも、それは悪いことじゃありません!」
レオンの瞳が揺れる。
リリアーナは、泣きそうになりながらも叫ぶ。
「失うのが怖いのは、大事だからです!」
「重いのは、名前が戻ったからです!」
「何も持たない方が楽でも!」
「わたしは、レイさんに何も持たない場所へ戻ってほしくありません!!」
その声が、胸を貫いた。
何も持たない場所。
東の塔。
そこへ戻ってほしくない。
レオンは、息を吸った。
「……俺は」
声が戻る。
「ここにいる」
リリアーナが頷く。
「はい!」
「ここにいます!」
レオンは黒蒼雷を握り直した。
「守るものが増えるなら」
一拍。
「皆で守る」
虚ろの波が揺れる。
「一人で抱えない」
「何度でも確認する」
「重いなら、重いと言う」
リリアーナの目に涙が浮かぶ。
「はい」
「それでいいです」
背後でアルベルトが叫ぶ。
「そうだぞ!」
「重い時は重いって言え!」
「俺も今めちゃくちゃ重い!!」
エリシアが風を制御しながら言う。
「それは少し言い方が雑ですわ!」
「でも事実だろ!」
「事実です!」
クラウスが剣を振りながら低く言う。
「こちらも重い」
「だが、分ければ耐えられる」
グレイヴが大剣を構え直す。
「守るものが増えるのは、騎士にとって敗北ではない」
「理由が増えただけだ」
セラフィアが金色の光を強める。
「名が増えるほど、祈りも増える」
「虚ろには、それが分からない」
七つの光も、小さく震えた。
『ミオ……守る?』
『リセ……いる』
『ノア……騎士……』
『サナ……呼ぶ』
『エルド……来た』
『マリ……直す』
『ガレス……逃げない』
それぞれが、まだ不完全な言葉を返す。
だが、それが深部に響いた。
虚ろの王の欠片が、低く唸る。
『声を重ねるな』
『名を増やすな』
『重さを分けるな』
『空白へ戻れ』
レオンは、黒蒼雷を前へ出した。
「戻らない」
静かに言う。
「何も持たない場所には戻らない」
黒蒼雷が、深部に線を描く。
「重いなら、皆で持つ」
「怖いなら、名前を呼ぶ」
「守るものが増えたなら、守る理由が増えただけだ」
黒い波が、少しだけ押し返された。
◇
しかし、虚ろの王の欠片は次の手を打った。
黒い波が急に細くなり、無数の針のように分裂する。
狙いは、防御の隙間。
特に、心の揺らぎ。
一本の針がアルベルトへ向かった。
炎の揺らぎに入り込む。
『王族』
『お前の名こそ喰う価値がある』
『アルディア』
『王家の名』
『寄越せ』
アルベルトの炎が、一瞬歪んだ。
「っ……!」
王族の名。
アルディア。
それは彼にとって、誇りでもあり、重荷でもあり、怒りの源でもある。
虚ろはそこへ食いつく。
アルベルトは歯を食いしばった。
「アルベルト・フォン・アルディア!!」
叫ぶ。
「王族の名はくれてやらねぇ!」
「俺は、この名で文句を言う!」
紅炎が再び燃える。
針が焼けた。
別の針はエリシアへ。
『ローゼンベルク』
『正しさの名』
『目を逸らした名』
エリシアの指が震える。
だが、彼女は術式盤を離さない。
「エリシア・フォン・ローゼンベルク!」
「目を逸らさないために進みます!」
「この名で、今度は見ます!」
風が針を流す。
クラウスへ。
『命令の剣』
『名を捨てれば、迷わない』
「クラウス・ベルン!」
「守るべきものを選ぶために進む!」
「迷うために、名を持つ!」
剣が針を弾く。
グレイヴへ。
『守れなかった剣』
『名を捨てれば、過去も消える』
「グレイヴ・アルディオス!」
「過去を背負い、今度こそ守るために進む!」
大剣が光る。
セラフィアへ。
『セラフィア』
『鎖』
『鍵』
『名を寄越せ』
セラフィアの金色の光が揺れる。
だが、彼女は胸へ手を当てた。
「セラフィア」
「奪われた名を祝うために進む」
「この名は、もう隠さない」
金色の祈りが針を溶かした。
リリアーナへ。
『リリアーナ』
『呼ぶだけの名』
『役目がなければ、そこにいる意味はない』
リリアーナの顔が一瞬青ざめる。
レオンがすぐ呼ぶ。
「リリアーナ!」
彼女は息を吸った。
「リリアーナ・ヴァイス!」
「隣にいたいから進みます!」
「役目だけじゃない!」
「わたし自身として、ここにいます!」
声が、針を砕いた。
最後に、針がレオンへ集中する。
『レオンハルト』
『レイ』
『価値なし』
『無能』
『どれが本当だ』
『どの名を喰えばいい』
レオンは、黒蒼雷を構えた。
リリアーナの手がある。
仲間の声がある。
七つの光がある。
「全部違わない」
レオンは言った。
虚ろが揺れる。
「レオンハルトは俺だ」
「レイも俺だ」
「価値なしと呼ばれたこともある」
「無能と呼ばれたこともある」
一拍。
「でも、それで終わりじゃない」
黒蒼雷が強くなる。
「俺は、奪われた名前を返すためにここにいる」
「守りたいものを奪わせないためにここにいる」
「帰るためにここにいる」
針が黒蒼雷へ触れる。
だが、喰えない。
レオンの名は、仲間の声と繋がっていた。
リリアーナが呼ぶ。
「レイさん!」
アルベルトが叫ぶ。
「レオン!」
エリシアが。
「レオン様!」
クラウスが。
「レオン!」
グレイヴが。
「レオンハルト!」
セラフィアが。
「レオン」
七つの光も、小さく震える。
『レオン……』
『レイ……』
名が重なる。
針が砕けた。
黒い波が、初めて大きく後退した。
虚ろの王の欠片が、深部で激しく揺れる。
『なぜ』
『なぜ喰えぬ』
『名は弱い』
『痛む』
『迷う』
『なのに』
『なぜ』
レオンは荒い息を吐きながら答えた。
「一人の名前じゃないからだ」
虚ろが止まる。
「俺の名は、俺だけで支えてるんじゃない」
「呼ぶ人がいる」
「返してくれる人がいる」
「間違えそうになったら戻してくれる人がいる」
一拍。
「だから喰わせない」
深部に沈黙が落ちた。
◇
その沈黙の中で、七つの光が少し強くなった。
ミオの白。
リセの緑。
ノアの茶。
サナの薬草色。
エルドの橙。
マリの淡い布の白。
ガレスの赤黒い木札の光。
それぞれが別々に輝いている。
混ざらない。
でも、離れすぎない。
七つの光は、レオンたちの背後で小さな円を作り始めた。
セラフィアが息を呑む。
「……名の輪」
エリシアが術式盤を見る。
「七名の反応が相互に安定化しています」
「互いに呼び合っている……?」
リリアーナが、涙を浮かべて微笑む。
「一人じゃないって、分かってきたんですね」
ガレスの光が、まだ震えながら言った。
『……逃げない』
マリが続く。
『直せないもの……ある』
『でも……ここ』
エルドが。
『鐘……鳴った』
サナが。
『呼んだ』
ノアが。
『守る……騎士』
リセが。
『花……ルナ』
ミオが。
『ミオ……いる』
言葉はまだ途切れ途切れだった。
だが、それぞれが自分の名で答えている。
虚ろの王の欠片が、それを見ていた。
『なぜ』
また、呟く。
今度は怒りよりも、理解できない空白が強かった。
『なぜ、別々でいられる』
『なぜ、混ざらず並べる』
『なぜ、痛むのに戻る』
レオンは、その問いにすぐ答えなかった。
これは攻撃ではない。
虚ろの王の欠片の奥から漏れた、本当の問いに近い。
レオンは一歩前へ出た。
リリアーナがすぐに手を握る。
「レイさん」
「大丈夫だ」
「……近づきすぎないでください」
「分かってる」
本当は分かっていないかもしれない。
だが、今は行く必要があった。
レオンは虚ろの王の欠片を見据える。
「お前には、名がないのか」
その瞬間。
深部が凍った。
虚ろの王の欠片が、完全に動きを止める。
セラフィアが息を呑む。
「レオン……」
虚ろの王の影が、ゆっくり膨れ上がる。
『問うな』
低い声。
『我を問うな』
レオンは退かない。
「王は役割だ」
「虚ろは状態だ」
「支配者も役割だ」
一拍。
「お前自身の名は何だ」
影が震える。
黒い王冠が軋む。
無数の名の残骸が悲鳴を上げる。
『問うな』
『問うな』
『問うな』
深部の闇が暴れ始める。
だが、その暴れ方は先ほどまでと違う。
怒りだけではない。
恐怖が混ざっている。
名を問われることへの恐怖。
自分には何もないと暴かれる恐怖。
レオンは、そこに確かな核心を見た。
虚ろの王の欠片は、名を喰う。
なぜなら、自分の名がないから。
祝福されていないから。
呼ばれたことがないから。
混ざった名で王冠を作り、自分を王だと思い込むしかなかったから。
リリアーナが小さく言う。
「レイさん……もしかして」
「ああ」
レオンは答える。
「倒すだけじゃ駄目かもしれない」
アルベルトが顔をしかめる。
「おいおい、まさかこいつまで救うとか言い出すんじゃねぇだろうな」
レオンは、すぐには答えない。
虚ろの王の欠片は危険だ。
多くの名を喰った。
子供たちを苦しめた。
アリシアを眼にした。
王都に歪みを広げた。
簡単に救うなど言える相手ではない。
だが。
名がない空白として放置すれば、また喰う。
壊すだけで終わるのか。
それで喰われた名は戻るのか。
分からない。
レオンは、静かに言った。
「まだ分からない」
「でも」
一拍。
「こいつの中心を知らないと、終わらない」
セラフィアが頷く。
「その通りよ」
「虚ろの核は、名の欠落」
「そこを見ずに壊せば、喰われた名ごと崩れる可能性がある」
グレイヴが大剣を構える。
「なら、守りながら問うしかない」
クラウスが剣を構え直す。
「厄介だな」
アルベルトがため息をつく。
「ほんと、最後まで面倒くせぇ」
エリシアが静かに言う。
「でも、それがこの戦いですわ」
リリアーナがレオンの手を握る。
「問うなら、一人で近づかないでください」
「はい?」
「返事は?」
レオンは少し黙る。
「……一人で近づかない」
「はい」
そのやり取りの直後。
虚ろの王の欠片が、爆発するように叫んだ。
『問うなあああああ!!』
深部全体が黒い嵐になった。
名を喰う波。
針。
口。
糸。
その全てが混ざり、巨大な闇の嵐となってレオンたちへ迫る。
七つの光が震える。
セラフィアの金色の祈りが広がる。
グレイヴが大剣を構える。
クラウスが剣を低く構える。
アルベルトの炎が燃え、エリシアの風が渦巻く。
ミリオとラウルが背後を守る。
リリアーナが叫ぶ。
「レイさん!!」
レオンは答えた。
「俺はここにいる!!」
黒蒼雷が、闇の嵐へ向かって立ち上がる。
次の戦いは、虚ろの王の欠片そのものの核心へ向かうものになる。
名を返すだけではない。
名を持たない王を問う戦いへ。
レオンたちは、踏み込もうとしていた。




