第152話「三つ目の光、無能王子は“痛みの海”で声を選ぶ」
深部の闇に、二つの光が浮かんでいた。
ミオ。
リセ。
雨の地下水路で誰かを待っていた少年。
白い花に名前をつけ、失う痛みを恐れていた少女。
二つの名は、まだ弱い。
人の姿を取り戻したわけではない。
記憶も完全ではない。
声もか細く、少し強い虚ろの波が来れば、また黒へ沈んでしまいそうだった。
それでも。
二つの光は、確かにそこにあった。
深部の底。
名を喰われた残滓が無数に絡まり、虚ろの王の欠片が黒い玉座に立つ場所。
そこに、二つだけ。
消えなかった名前がある。
その事実が、レオンたちの足場になっていた。
「ミオ」
リリアーナが呼ぶ。
白い光が、かすかに震える。
『……ミオ』
「リセ」
緑がかった光が、小さく揺れる。
『……リセ』
呼べば、返る。
まだ小さいけれど。
まだ不安定だけれど。
返ってくる。
それだけで、深部の闇に飲まれそうになる意識を繋ぎ止められた。
レオンは、荒い息を吐きながら黒蒼雷を構えていた。
右腕が痛い。
胸の奥が重い。
頭の奥では、無数の声がまだざわめいている。
ミオとリセを返したことで、深部全体が揺れていた。
虚ろの王の欠片が怒っている。
だが、それ以上に。
残された名前たちがざわめいている。
返してほしい。
返さないでほしい。
痛い。
思い出したい。
思い出したくない。
助けて。
放っておいて。
消えたくない。
消して。
矛盾だらけの声が、黒い糸となって深部に満ちている。
レオンは、それら全部を聞こうとしてはいけない。
そう分かっている。
リリアーナにも怒られた。
セラフィアにも言われた。
仲間たちが役割を分けてくれている。
それでも、声は勝手に入ってくる。
名前を返す力を持つ黒蒼雷は、奪われた名の痛みに反応してしまう。
だから、レオンは意識して呼吸を整えた。
一つずつ。
一人ずつ。
急がない。
壊さない。
でも、止まらない。
リリアーナが、手を握ったまま見上げる。
「レイさん」
「何だ」
「今、どれくらい聞こえていますか」
「……多い」
「全部聞こうとしてませんか」
「してない」
「本当に?」
「……少し、入り込んでくる」
リリアーナは頷いた。
「じゃあ、言ってください」
「何を」
「聞こえすぎたら、聞こえすぎてるって」
一拍。
「わたしが呼びます」
レオンは、リリアーナを見た。
彼女の顔色も決して良くない。
深部の圧。
無数の名の悲鳴。
レオンを繋ぎ止め続ける緊張。
それらが彼女にも負荷を与えている。
それでも、彼女は手を離さない。
「お前も、きついだろ」
「きついです」
即答だった。
レオンは少しだけ目を見開く。
リリアーナは、苦笑に近い表情で続けた。
「でも、言いました」
「だから、レイさんも言ってください」
「……そうだな」
「はい」
「聞こえすぎたら、言う」
「約束です」
「ああ」
約束。
その言葉が、また足場になる。
深部の闇は、約束を嫌う。
未来へ繋がる言葉を嫌う。
だからこそ、レオンはそれを掴んだ。
◇
虚ろの王の欠片が、黒い玉座の前で揺れていた。
顔のない影。
だが、そこに怒りがあるのは分かる。
飢えがある。
焦りもある。
二つの名を返されたこと。
それが、想像以上に深部の構造へ響いているのだろう。
『二つ』
『たった二つ』
『無意味』
『無数の名の前では、無意味』
影の声が深部に響く。
だが、その声には苛立ちが混ざっている。
セラフィアが、金色の光でミオとリセを包みながら静かに言った。
「無意味ではないわ」
「あなたが揺れている」
『揺れてなどいない』
「揺れている」
セラフィアの金色の瞳が、静かに細くなる。
「名を返されるたび、あなたの王冠から欠片が抜ける」
「あなたは奪った名で自分を飾っている」
「だから、ひとつ返されるだけでも痛い」
虚ろの王の欠片が、低く唸る。
『黙れ』
『鎖』
『壊れた祈り』
『封じ損ねた名』
セラフィアの表情が一瞬だけ揺れる。
しかし、彼女は退かない。
「ええ」
「私は封じ損ねた」
「守りきれなかった」
「だから今、返している」
金色の光が、ミオとリセをさらに強く包む。
「この二つの名は、もうあなたの王冠ではない」
『ならば砕く』
影が腕のようなものを振るう。
黒い糸の束が、ミオとリセへ向かった。
「させるか!!」
グレイヴが大剣を叩きつける。
斬るのではない。
糸の束を、光から遠ざけるように押し返す。
衝撃で深部の床が波打つ。
グレイヴの腕に黒い筋が走る。
糸が、彼の守る理由へ食い込もうとしている。
『守れなかった剣』
『また守るのか』
『今度も遅い』
グレイヴの顔が歪む。
だが、彼は叫んだ。
「グレイヴ・アルディオス!」
「今度こそ守るために進む!」
大剣が光を取り戻す。
黒い筋が弾ける。
その横から、クラウスが走る。
「絡みをほどく!」
白銀の剣が、糸の根元を弾いた。
一本ずつ見極める。
名の芯を傷つけず、虚ろの束だけを分離する。
難しい。
あまりにも難しい。
だが、クラウスは目を逸らさない。
「クラウス・ベルン!」
「守るべきものを選ぶために進む!」
剣が、糸の迷いを切り分ける。
アルベルトの炎がその外側を焼く。
「外だけ燃えろ!」
「中は残れ!」
「お前らの名前まで焼いてたまるか!」
エリシアの風が続く。
「流します!」
「ミオくんとリセちゃんへ触れさせません!」
ミリオの精神線が、二つの光へ繋がる。
「ミオ!」
「リセ!」
「こちらへ意識を!」
ラウルの盾が、光の前へ立つ。
「背後は閉ざさない!」
「ここに足場を作る!」
全員が動く。
深部の闇は広い。
敵は巨大だ。
名の糸は無数。
だが、彼らの戦い方は確かに形を持ち始めていた。
壊さずに防ぐ。
焼き尽くさずに剥がす。
斬り捨てずにほどく。
戻った名を守る。
そして、次の名を探す。
それは、普通の戦闘ではない。
救済を伴う戦闘。
敵の攻撃そのものが救うべきものでもあるという、あまりにも難しい戦いだった。
◇
レオンは、次の糸を探した。
だが、深部の圧はさらに増している。
虚ろの王の欠片は、ミオとリセを返されたことで、糸の配置を変えた。
今まで比較的浅い場所にあった名の芯が、黒い膜で覆われ始めている。
簡単には見えない。
エリシアが術式盤を操作しながら叫ぶ。
「レオン様!」
「浅い反応が隠されました!」
「虚ろが学習しています!」
「今度は、強い痛みの記憶を前面に出して、名の芯を奥へ隠しています!」
アルベルトが舌打ちする。
「性格悪いどころじゃねぇな!」
セラフィアが険しい顔で言う。
「焦らせるつもりよ」
「痛みの記憶だけを見せて、名まで届かせない」
レオンは、無数の糸を見る。
黒い。
黒い。
黒い。
どれも痛みを叫んでいる。
だが、名の芯が見えない。
手を伸ばせば、痛みだけが流れ込んでくる。
それを受けすぎれば、こちらが呑まれる。
リリアーナが言う。
「探し方を変えましょう」
レオンが彼女を見る。
「どうする」
「痛みが強いところじゃなくて」
一拍。
「小さくても、何かを大事にしていた記憶を探しましょう」
その言葉に、レオンはミオとリセを思い出す。
ミオは雨の中で誰かを待っていた。
リセは白い花を大事にしていた。
名前の芯へ近づいたのは、痛みそのものではなく、大事にしていたものだった。
待っていたこと。
花に名前をつけたこと。
そこに、名へ繋がる道があった。
「……そうか」
レオンは頷く。
「痛みじゃなくて、大事にしていたもの」
リリアーナも頷く。
「はい」
「痛みだけを見ると、虚ろに引っ張られます」
「でも、大事だったものを探せば」
「その人が、その人だった理由に近づける気がします」
セラフィアが静かに微笑む。
「良い見方ね」
「名は、痛みだけでできているわけではない」
「好きだったもの」
「守りたかったもの」
「呼びたかったもの」
「それらが名に繋がる」
レオンは息を吸った。
黒蒼雷の感覚を変える。
悲鳴を拾いすぎない。
痛みの強さではなく、温度を探る。
小さな温度。
名前に繋がる、まだ消えていないもの。
ミオの雨。
リセの白い花。
そのような、小さな記憶の灯り。
レオンは、目を閉じかけた。
すぐにリリアーナが呼ぶ。
「レイさん」
「俺はここにいる」
「はい」
「探す」
「痛みじゃなくて」
一拍。
「大事だったものを」
黒蒼雷が、細く広がる。
深部の闇へ。
無数の糸へ。
叫びの海へ。
その中から、レオンはかすかな温度を探した。
◇
最初に感じたのは、音だった。
小さな音。
木が鳴る音。
何かを削る音。
コツ。
コツ。
コツ。
規則正しい。
それは、戦場の音ではない。
剣の音でもない。
誰かが、何かを作っている音。
レオンは、その糸を探す。
黒い糸の群れの中に、かすかに茶色がかった光があった。
地味で、弱い。
だが、確かに温度がある。
「見つけた」
レオンが言う。
エリシアが反応する。
「位置は?」
「正面、やや下」
「黒い束の奥」
エリシアが術式盤を調整する。
「確認しました」
「木材の記憶反応……?」
「手作業の反復記憶があります」
クラウスが走る。
「絡みをほどく!」
しかし、その糸は深い場所にあった。
周囲の黒い糸が防壁のように絡んでいる。
アルベルトが炎を細く放つ。
「外を焼く!」
エリシアの風が黒い膜を流す。
グレイヴが迫る別の糸を受け止める。
ラウルが盾で背後を守る。
ミリオが精神線を伸ばす。
セラフィアが金色の祈りでミオとリセを守りながら、新たな糸へ光を送る。
レオンは黒蒼雷を、その茶色の光へ伸ばした。
触れた瞬間。
木の匂いがした。
乾いた木。
小さな作業台。
削りかけの人形。
粗末な刃物。
手にできた小さな傷。
それでも、楽しそうな感覚。
誰かのために作っている。
不器用でも。
時間をかけて。
何度も失敗して。
それでも、作っている。
レオンは呟いた。
「……人形」
リリアーナが聞く。
「人形ですか?」
「ああ」
「木の人形」
「誰かに渡すために作ってる」
糸が震えた。
『……だめ』
低い声。
今度は少年ではなく、少し年上かもしれない。
若い男の声。
『見せるな』
『下手だ』
『笑われる』
リリアーナが優しく言う。
「誰かへの贈り物ですか?」
『……』
「大事な人に?」
糸が強く震える。
『妹』
声が漏れた。
『誕生日』
『買えない』
『だから、作った』
レオンの胸に、少し温かいものが流れ込む。
貧しい家。
贈り物を買う余裕がない。
だから、木を削って人形を作る。
不器用でも。
妹のために。
その記憶は、痛みではなく、優しさだった。
だが、すぐに黒い膜が覆いかぶさる。
『渡せなかった』
『帰れなかった』
『妹、泣いた』
『人形、未完成』
『だめだ』
『思い出すな』
レオンは、歯を食いしばる。
帰れなかった。
またその言葉。
深部には、帰れなかった者が多すぎる。
レオンは、静かに問う。
「人形は、どんな形だった」
『……』
「妹に似せたのか」
『ちがう』
「じゃあ」
『騎士』
アルベルトが少し反応する。
クラウスも。
グレイヴも、わずかに目を細めた。
『妹、騎士が好きだった』
『強くて』
『守ってくれるって』
『だから……』
声が震える。
『作った』
『下手だけど』
『守る騎士』
グレイヴの表情が、わずかに苦しくなる。
木の騎士。
妹のために作った守る人形。
それを渡せなかった者の名。
リリアーナが、そっと呼びかける。
「その騎士人形」
「妹さんに渡したかったんですね」
『……うん』
「あなたは、守りたかったんですね」
『……うん』
「妹さんを」
『うん……』
糸の茶色の光が強まる。
虚ろの王の欠片が、低く唸る。
『戻すな』
『守れなかった者に名はいらぬ』
『渡せなかった贈り物に意味はない』
『未完成は無意味』
その言葉に、グレイヴが大剣を強く握った。
「黙れ」
低い声。
深部が震える。
「未完成でも」
「渡せなくても」
「守りたいと思ったことまで無意味ではない」
クラウスも続く。
「騎士の形を作ったなら」
「そこに願いがあった」
「願いは、名へ繋がる」
リリアーナが頷く。
「あなたの名前」
「妹さんは呼んでいたはずです」
「思い出せますか」
糸が震える。
『妹……』
『呼んだ』
『兄さんって』
『でも……名前』
レオンが黒蒼雷を添える。
「人形を作っていた手」
「妹を守りたかった気持ち」
「その奥にある」
「お前の名前」
沈黙。
黒い糸が暴れる。
虚ろの膜が何度も覆う。
アルベルトが炎で剥がす。
エリシアが風で流す。
クラウスが絡みをほどく。
グレイヴが迫る糸を受け止める。
セラフィアが金色の祈りを広げる。
リリアーナが呼ぶ。
「大丈夫です」
「未完成でも」
「渡せなくても」
「妹さんを大事に思ったあなたは、消えなくていい」
やがて。
糸の奥から、声が聞こえた。
『……ノ』
レオンが集中する。
『ノア……』
その名に、レオンは一瞬だけ不思議な感覚を覚えた。
ノア。
短く、温かい響き。
リリアーナが呼ぶ。
「ノアさん」
糸が震える。
『……ノア』
『俺……ノア』
レオンが頷く。
「ノア」
セラフィアが両手を広げる。
「ノア」
「あなたの名を祝うわ」
グレイヴが低く呼ぶ。
「ノア」
クラウスも。
「ノア」
アルベルトも。
「ノア」
エリシアも。
「ノアさん」
ミリオとラウルも続く。
「ノア」
「ノア」
最後に、リリアーナがもう一度呼ぶ。
「ノアさん」
「あなたは、ここにいます」
黒い糸がほどけた。
茶色がかった光が、木の人形の形を一瞬だけ取る。
小さな騎士。
不器用で、少し歪んでいる。
でも、胸を張っている。
それは、妹を守るために作られた小さな騎士だった。
光は、やがて粒となり、ミオとリセのそばへ漂った。
『ノア……』
『人形……』
『渡したかった……』
声は泣いている。
だが、黒い糸ではない。
名へ戻った光だった。
◇
三つ目の光。
ミオ。
リセ。
ノア。
深部の闇の中で、三つの名前が並ぶ。
小さく。
弱く。
それでも確かに。
レオンは荒く息を吐いた。
膝が少し揺れる。
リリアーナがすぐ支える。
「レイさん」
「俺はここにいる」
「はい」
「でも、かなりきついですね」
「……ああ」
「正直でよろしいです」
「そうだな」
レオンは、ほんの少しだけ苦笑しそうになった。
だが、すぐに深部の圧がそれを押し潰す。
虚ろの王の欠片が、玉座の上で震えていた。
怒り。
飢え。
焦り。
そして、何か別の感情。
嫉妬に似たもの。
羨望に似たもの。
三つの名前が呼ばれたことに対する、明確な反応。
『なぜ』
影が言った。
『なぜ呼ぶ』
『なぜ戻る』
『痛いだけだ』
『失うだけだ』
『未完成だ』
『渡せなかった』
『帰れなかった』
『それでも、なぜ名を持つ』
レオンは、影を見る。
虚ろの王の欠片。
名を喰い、自分を王だと思い込んだ空白。
その声は、さっきより少し揺れていた。
問うている。
攻撃としてだけではなく。
本当に、分からないのかもしれない。
なぜ、痛みを伴う名前を持つのか。
なぜ、未完成でも意味があるのか。
なぜ、失ったものを思い出すのか。
レオンは、すぐには答えなかった。
深く息を吸う。
リリアーナの手を感じる。
背後に仲間たちの気配。
ミオ。
リセ。
ノア。
三つの光。
それらを見て、低く言う。
「痛いだけじゃないからだ」
影が揺れる。
「名前は痛い」
「失えば苦しい」
「戻れば泣く」
「思い出したくないことも戻る」
一拍。
「でも、それだけじゃない」
レオンはノアの小さな光を見る。
「雨の中で待っていたこと」
「白い花を大事にしたこと」
「妹に人形を作ったこと」
「そういうものも戻る」
リリアーナが、静かに続けた。
「名前は、痛みだけじゃありません」
「大事だったものも、連れてきます」
セラフィアが頷く。
「だから名は祝福でもある」
虚ろの王の欠片が、低く唸る。
『祝福』
『祝福など』
『空腹を満たさぬ』
『喪失を消さぬ』
『孤独を埋めぬ』
レオンは答える。
「消さなくていい」
影が止まる。
「全部を消す必要はない」
「孤独も、喪失も、痛みも」
「消えないものはある」
一拍。
「でも、それだけで終わらせない」
黒蒼雷が静かに鳴る。
「ミオ」
「リセ」
「ノア」
「三つ戻った」
「次も戻す」
虚ろの王の欠片が、大きく膨れ上がった。
『ならば』
『もっと深い名を出す』
『お前が触れれば壊れる名』
『戻せば狂う名』
『返せば、お前自身が喰われる名』
黒い玉座の背後が開いた。
そこから、今までとは違う太い糸が現れる。
一本。
ただ一本。
だが、その圧は他の糸とは比べものにならなかった。
黒く、重く、中心に赤黒い光を宿している。
セラフィアの顔色が変わる。
「……待って」
エリシアの術式盤が激しく警告を出す。
「反応、異常です」
「この糸……複数の名が混ざっています」
クラウスが剣を構える。
「複合体か」
グレイヴが低く言う。
「深く喰われた名だな」
アルベルトが炎剣を握る。
「やべぇ感じしかしねぇ」
リリアーナが、レオンの手を強く握る。
「レイさん」
「分かってる」
レオンは、その太い糸を見る。
中にいる。
誰かが。
いや。
複数の誰かが。
名を重ねられ、記憶を混ぜられ、自分が誰だったのか分からなくなったもの。
これまでとは違う。
ミオ、リセ、ノアのように、一つの記憶から辿れる相手ではない。
もっと深い。
もっと壊れている。
虚ろの王の欠片が、低く笑った。
『返してみろ』
『名を返す者よ』
『どれが本当の名か』
『選んでみろ』
太い糸が、ゆっくりと開いた。
そこから、いくつもの声が重なって漏れ出す。
『ぼくは――』
『わたしは――』
『俺は――』
『違う』
『違う』
『違う』
『名前が』
『混ざる』
『わからない』
深部の空気が重く沈む。
レオンは、黒蒼雷を握り直した。
三つの光が、背後で震えている。
次の相手は、明らかにこれまでより危険だった。
それでも。
退けない。
レオンは、リリアーナへ言う。
「呼び続けてくれ」
「はい」
セラフィアへ。
「保護を頼む」
「任せて」
仲間たちへ。
「壊さず、ほどく」
アルベルトが頷く。
「了解」
エリシアが術式盤を構える。
「解析します」
クラウスが剣を上げる。
「絡みを見ます」
グレイヴが大剣を構える。
「守る」
レオンは、太い糸へ向かって一歩踏み出した。
その瞬間。
深部の闇が、さらに冷たくなった。
名が混ざった者。
複数の記憶を喰われ、自分の輪郭を失った存在。
虚ろの王の欠片は、それを次の盾として差し出してきた。
戦いは、さらに難しい段階へ入ろうとしていた。




