第120話「黒い光柱、無能王子は“王都が壊れ始める音”を聞く」
黒い光柱は、空を裂いていた。
王都中央東部。
旧神殿区方面。
そこから立ち上がる巨大な闇色の光は、昼だというのに空を黒く染め上げている。
まるで。
王都そのものへ、巨大な傷が刻まれたみたいだった。
誰も、言葉を失っていた。
王立アルディア学園正門前。
王城騎士団。
第一術式部隊。
教師陣。
生徒たち。
全員が、ただ空を見上げている。
「……何、あれ」
誰かが呟いた。
本当に、小さな声だった。
だが。
その声は、この場にいる全員の感情そのものだった。
怖い。
理解できない。
嫌な予感しかしない。
黒い光柱は、ゆっくり脈打っている。
ゴォォォ……。
低い振動音。
空気そのものが震えているような感覚。
肌が粟立つ。
胸の奥がざわつく。
魔力を持つ者ほど、その異常さを理解していた。
「……神霊汚染濃度、急上昇しています」
ミーアの声が硬い。
彼女は携帯術式盤を見ながら、顔色を悪くしていた。
「あり得ません……」
「封印崩壊だけで、ここまでの数値になるなんて……」
クラウスが低く聞く。
「どの程度だ」
「旧戦時代記録を超えています」
その瞬間。
グレイヴの目が細くなった。
ヴァルディスの顔色も変わる。
旧戦時代。
つまり。
王国が最も混乱した時代。
暴走神霊。
禁術戦争。
都市崩壊。
そのレベルに近づいているということだ。
後方の生徒たちがざわめく。
「う、嘘だろ……」
「そんなの、王都終わるんじゃ……」
「やばいってこれ……」
恐怖が広がっていく。
当然だった。
ついさっきまで、“王城と学園の対立”だった。
なのに今は違う。
王都そのものが危険に晒されている。
それが、誰の目にも分かってしまった。
◇
レオンは、空を見上げていた。
黒い光柱。
見ているだけで、胸の奥がざわつく。
嫌な感覚だ。
でも。
ただ怖いだけじゃない。
“知っている”。
そんな感覚がある。
黒蒼雷が、静かに脈打っていた。
バチ……。
小さな火花。
だが、その揺れは先ほどより強い。
旧神殿区側から、何かが呼んでいる。
そうとしか思えなかった。
「……レイさん」
隣から、小さな声。
リリアーナだった。
彼女は、レオンの袖をそっと掴んでいる。
無意識なのだろう。
少しだけ震えていた。
「怖いか」
レオンが聞く。
リリアーナは数秒黙った。
空を見る。
黒い光柱。
空気を震わせる異様な魔力。
遠くなのに、耳鳴りみたいな感覚がある。
「……怖いです」
正直な声だった。
「すごく」
一拍。
「でも」
リリアーナは、レオンを見る。
「レイさんの方が、もっと怖いです」
「……?」
「また、一人で行こうとしそうだから」
レオンが少し黙る。
図星だった。
実際、今かなり焦っている。
旧神殿区。
赤眼。
そして、“呼ばれている感覚”。
嫌な予感しかしない。
早く行かなければ。
そんな焦燥感が、胸の奥で渦巻いている。
でも。
リリアーナの手が、袖を掴んでいた。
小さい手。
少し冷えている。
でも。
離れない。
その感触が、妙に意識へ残る。
「……行くなら、一緒に行きます」
リリアーナが小さく言う。
「止めても無駄ですからね」
「危険だぞ」
「知ってます」
「神霊汚染もある」
「それも聞きました」
「精神侵食も――」
「怖いです」
即答だった。
レオンが止まる。
リリアーナは続けた。
「でも」
「レイさん、一人にした方がもっと怖い」
その言葉。
黒蒼雷が、ふわりと揺れる。
バチ……。
穏やかな火花。
レオンは、その音を聞きながら少し目を伏せた。
昔なら。
誰かにそう言われても、理解できなかった。
一人の方が楽だと思っていた。
誰も巻き込まない方がいいと思っていた。
でも今は違う。
隣に誰かがいる感覚を、知ってしまった。
だから。
少しだけ、怖い。
失うことが。
◇
「……団長」
ヴァルディスが低く声を出す。
その顔には、明確な焦りが滲んでいた。
「もう時間がありません」
「旧神殿区封印崩壊は、王国全体の危機です」
「直ちに第一騎士団による封鎖を――」
「無理だな」
グレイヴが即答した。
ヴァルディスが目を見開く。
「何?」
「見ろ」
グレイヴが空を示す。
黒い光柱。
その周囲。
空間そのものが、わずかに歪んでいる。
ミシ……。
空気が軋むような音。
普通じゃない。
明らかに。
“向こう側”が侵食してきている。
グレイヴが低く言う。
「封鎖段階は、もう過ぎている」
「……っ」
「今から必要なのは、“原因の破壊”だ」
その言葉。
王城騎士たちの空気が変わる。
皆、理解していた。
もう、防ぐ段階じゃない。
止めなければ終わる。
◇
後方では、生徒たちの恐怖が広がっていた。
「ねぇ、これ避難した方がいいんじゃ……」
「王都から出た方が……」
「でも外も危ないかも……」
「どうすんだよ……」
泣きそうな声。
震える肩。
教師たちも、生徒誘導を始めていた。
だが。
混乱は収まらない。
その時だった。
「皆さん!!」
大きな声。
リリアーナだった。
全員の視線が向く。
リリアーナ自身も、かなり怖い。
足も少し震えている。
でも。
それでも前へ出た。
「落ち着いてください!」
「学園結界はまだ機能しています!」
「先生たちもいます!」
「だから、慌てて飛び出した方が危険です!」
その声。
必死だった。
でも。
ちゃんと届いていた。
生徒たちが少しずつ静かになる。
リリアーナは続ける。
「怖いのは、みんな同じです」
「わたしも怖いです」
一拍。
「でも、今一番危ないのは、“恐怖で動くこと”だと思います」
その言葉。
グレイヴが静かに目を細める。
恐怖で動く。
それは、まさに今の王城上層部そのものだった。
黒蒼雷を恐れ。
東の塔へ閉じ込め。
そして今また、同じことを繰り返そうとしている。
レオンは、リリアーナを見る。
強くなった。
本当に。
前なら、こんな大勢の前で声なんて出せなかった。
でも今は違う。
誰かを立たせようとしている。
その姿を見た瞬間。
胸の奥が、熱くなる。
「……リリアーナ」
「はい?」
「ありがとな」
ぽつり。
静かな声。
リリアーナが少し目を見開く。
「……何で今そんなこと言うんですか」
「思ったから」
「ズルいです」
「何が」
「その無自覚な感じです!!」
アルベルトが横で頭を抱える。
「もうダメだこいつら」
「完全に新婚空間じゃねぇか」
「違います!!」
「そこ否定弱くなってるぞリリアーナ!」
そのやり取り。
極限状態なのに、不思議と少し空気が和らぐ。
生徒たちの顔にも、ほんの少しだけ笑みが戻る。
その時だった。
ゴォォォォンッ――!!
再び、巨大な振動。
今度は、さっきより近い。
空気が大きく揺れる。
同時に。
黒い光柱の内部で、“何か”が動いた。
「……っ」
レオンの背筋が凍る。
見えた。
一瞬だけ。
光柱の中。
巨大な“目”が。
赤い。
異様なほど巨大な眼球。
それが。
真っ直ぐこちらを見ていた。
『――来い』
声。
頭の中へ直接響く。
次の瞬間。
レオンの黒蒼雷が、大きく脈打った。
バチィィィッ――!!
黒蒼の雷光が、周囲へ走る。
「レイさん!?」
リリアーナが叫ぶ。
だが。
レオンは、その場で空を見上げたまま動かなかった。
呼ばれている。
間違いない。
旧神殿区の奥に、“何か”がいる。
そして。
それは、自分を知っている。
その瞬間。
グレイヴの顔色が、初めて明確に変わった。
「……まさか」
低い声。
クラウスが振り向く。
「団長?」
グレイヴは、空の黒い光柱を睨んでいた。
その瞳には。
初めて、“焦り”が浮かんでいた。
「……封印されていたのは」
一拍。
「神霊じゃないのか……?」




