第119話「旧神殿区の呼び声、無能王子は“黒蒼雷の記憶”へ触れ始める」
「旧神殿区に、“何かいる”」
その言葉。
正門前の空気が、一瞬で凍りついた。
風の音すら、遠く感じる。
レオンは、僅かに呼吸を乱していた。
胸の奥。
黒蒼雷が、低く震えている。
バチ……ッ。
静かだ。
だが、明らかに反応している。
旧神殿区へ。
その奥にある、“何か”へ。
リリアーナが、咄嗟にレオンの腕を掴む。
「レイさん、大丈夫ですか!?」
その声には、はっきり焦りが混ざっていた。
レオンの顔色が悪い。
ほんの一瞬だったが。
さっきのレオンは、まるで“別の場所を見ている”みたいだった。
グレイヴの目も鋭くなる。
「何を見た」
低い声。
王国最強の騎士としての顔だ。
レオンは数秒黙る。
脳裏に焼き付いている。
暗い地下。
巨大な扉。
黒い霧。
そして。
赤い目。
あれは、ただの幻覚じゃない。
黒蒼雷が、向こう側と“繋がった”。
そんな感覚だった。
「……分からん」
レオンが低く言う。
「でも、何かがいた」
「俺を見てた」
その瞬間。
ミーアの顔色が変わる。
「見ていた……?」
「どういうことですの」
エリシアも眉を寄せる。
レオンは、右手をゆっくり握った。
まだ少し震えている。
「黒蒼雷が反応した」
「その瞬間、頭の中へ流れ込んできた」
一拍。
「呼ばれた気がした」
空気が静まり返る。
ヴァルディスが険しい顔になる。
「……やはり危険だ」
「黒蒼雷は、旧神殿区封印と共鳴している」
「ならば尚更――」
「黙れ」
グレイヴの声が空気を断ち切った。
ヴァルディスが止まる。
グレイヴはレオンを見ていた。
その灰色の瞳は、静かだ。
だが。
内側では、かなり警戒している。
(旧神殿区へ反応……)
最悪だ。
旧神殿区には、“神霊核”関連の封印も残っている。
黒蒼雷と共鳴する可能性は、十分あり得た。
もし暴走すれば。
王都そのものが危険になる。
だが。
今のレオンを見ている限り。
暴走寸前には見えない。
むしろ。
何かを“感じ取っている”。
それが不気味だった。
◇
後方では、生徒たちのざわめきが広がっていた。
「旧神殿区って、立入禁止区域だろ……?」
「封印崩壊ってヤバくないか」
「赤眼もいるんだよな……?」
「じゃあ学園まで来る可能性あるってこと……?」
不安が広がる。
当然だった。
旧神殿区は、王都でも特別危険視されている区域。
古代神殿。
禁術研究。
神霊暴走。
色んな噂がある。
普通の生徒なら、一生関わらない場所だ。
だが。
今、その場所が動き始めている。
しかも。
黒蒼雷が反応している。
不安にならない方がおかしかった。
その時。
「……皆さん」
リリアーナが振り返った。
少し震えている。
でも。
ちゃんと前を向いていた。
「不安なのは分かります」
「わたしも怖いです」
一拍。
「でも」
リリアーナは、隣のレオンを見る。
「レイさんは、逃げないと思います」
生徒たちが静まる。
リリアーナは続けた。
「怖くても」
「危なくても」
「きっと、行くと思うんです」
その声。
どこか寂しそうだった。
「だから」
一拍。
「わたしたちまで、怖がって止まっちゃ駄目だと思うんです」
レオンが少し目を見開く。
リリアーナは、本当に強くなった。
前は、自分のことで精一杯だった。
でも今は。
周りへ言葉を向けられる。
人を立たせようとしている。
その姿が。
少し眩しかった。
生徒たちの中から、小さな声が上がる。
「……そう、だな」
「レオン様、一人で行かせるのも違うか」
「俺たちに出来ることは……」
空気が変わっていく。
恐怖だけじゃない。
立とうとしている。
その変化を。
ヴァルディスは、苦々しく見ていた。
(これだ……)
黒蒼雷の危険性。
人を惹きつける。
立たせる。
恐怖より、“意思”を与えてしまう。
だから危険なのだ。
◇
「……レオン」
グレイヴが静かに呼ぶ。
「何だ」
「旧神殿区へ行くなら、戦力を選ぶ必要がある」
「全員連れていく場所ではない」
クラウスが頷く。
「神霊汚染区域なら、耐性が必要だ」
「一般生徒は危険すぎる」
ミーアも静かに言う。
「地下封鎖区画は、通常結界とは違います」
「精神干渉型術式も残っているはずです」
「下手をすれば、幻覚や記憶侵食も起こるかと」
リリアーナの顔が少し青くなる。
「記憶侵食……?」
「最悪の場合、“自分が誰か分からなくなる”とも言われています」
その説明に、生徒たちがざわついた。
「怖すぎるだろ……」
「そんな場所、本当に行くのか……?」
レオンは黙っていた。
だが。
胸の奥で、黒蒼雷が静かに脈打っている。
旧神殿区。
そこに、何かある。
自分と繋がる何かが。
その感覚が、離れない。
グレイヴが静かに言う。
「俺と第一騎士団数名が同行する」
「クラウス」
「はっ」
「お前も来い」
「了解しました」
アルベルトが即座に手を挙げる。
「俺も行く」
「第二王子」
「止めても行く」
「……だろうな」
エリシアが小さく息を吐いた。
「では、わたくしもですわね」
「当然です」
「何で当然なんだよ」
「あなた達だけ危険地帯へ行かせるわけないでしょう」
リリアーナが慌てる。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「危険なんですよね!?」
「精神侵食とか言ってましたよね!?」
「そうだな」
レオンが頷く。
「だから、お前は残れ」
「嫌です」
即答だった。
レオンが止まる。
リリアーナは、真っ直ぐレオンを見る。
「レイさん、一人で行くと絶対無茶します」
「しない」
「します」
「しない」
「します」
数秒、沈黙。
アルベルトが吹き出した。
「夫婦かよ」
「違います!!」
リリアーナが真っ赤になる。
だが。
次の瞬間。
レオンが、小さく言った。
「……いてくれた方が助かる」
空気が止まる。
リリアーナの思考も止まる。
「……え」
「お前いると、黒蒼雷が落ち着く」
ぽつり。
静かな声。
だが。
その言葉は、あまりにも破壊力が高かった。
アルベルトが頭を抱える。
「こいつまた無自覚でやってやがる……!!」
エリシアが呆れ半分で笑う。
「レオン様、本当に天然ですわね……」
リリアーナは、完全に顔が真っ赤だった。
でも。
胸の奥は、嬉しくて苦しい。
必要とされた。
レオンから。
東の塔で一人だった少年が。
“いてほしい”と言った。
それが。
どうしようもなく、嬉しかった。
その時だった。
バチィッ――!!
突然。
黒蒼雷が、大きく揺れた。
全員の空気が変わる。
レオンの目が細くなる。
胸の奥へ、再び何かが流れ込んできた。
暗い地下。
赤い目。
巨大な扉。
そして。
今度は、“声”が聞こえた。
『――見つけた』
ぞわり、と背筋が凍る。
次の瞬間。
学園全体が、大きく揺れた。
ゴォォォォンッ――!!
轟音。
地面が震える。
生徒たちが悲鳴を上げる。
「な、何!?」
「地震か!?」
ミーアの顔色が変わる。
「違います……!」
「これは――」
一拍。
「旧神殿区側からの魔力衝撃波です!!」
その瞬間。
王都の空へ。
巨大な黒い光柱が立ち上がった。




