第118話「旧神殿区の封印、無能王子は“王国の闇”へ再び踏み込む」
旧神殿区。
その言葉が出た瞬間。
空気が、明確に変わった。
学園正門前。
張りつめていた視線が、一斉にミーアへ集まる。
王城騎士団。
第一術式部隊。
学園教師陣。
誰もが息を呑んでいた。
ミーアは、息を整えながら続ける。
「封印区画第七層……」
「地下封鎖結界が、一部破壊されています」
その言葉。
レオンの胸の奥で、黒蒼雷が僅かに震えた。
バチ……。
小さな火花。
だが。
以前とは違う。
これは暴走の予兆ではない。
“反応”だ。
まるで。
旧神殿区そのものへ、黒蒼雷が呼応しているみたいだった。
グレイヴの目が細くなる。
「……確認は取れているのか」
「はい」
ミーアが頷く。
「学園地下管理区画の監視術式が反応しました」
「さらに」
一拍。
「内部から、“黒い霧状魔力”の流出も確認されています」
その瞬間。
クラウスの顔色が変わった。
「黒霧……だと?」
エリシアも目を見開く。
「まさか……」
アルベルトが眉を寄せる。
「何だそれ」
クラウスが低く言った。
「旧戦時代、“神霊汚染”と呼ばれた現象だ」
「暴走神霊や禁術残滓が長期間蓄積した際に発生する」
一拍。
「人体へ極めて有害だ」
リリアーナの顔が青くなる。
「そんな危険なものが……?」
「旧神殿区には、過去の禁術研究資料も封印されている」
グレイヴが静かに続ける。
「もし封印が破られたなら、最悪の場合――」
「王都全域へ汚染が広がる」
その言葉。
生徒たちがざわめく。
「おい……」
「マジかよ……」
「じゃあ今、かなりヤバいんじゃ……」
ヴァルディスの顔も険しくなっていた。
先ほどまでの“レオン拘束”とは、明らかに状況が変わっている。
旧神殿区。
神霊汚染。
これは王都規模の危機だ。
ミーアが続ける。
「さらに、旧神殿区周辺で赤眼反応も確認されています」
その瞬間。
空気が凍った。
レオンの目が細くなる。
黒蒼雷が、低く震えた。
バチッ――。
怒り。
地下施設。
番号。
壊された子供たち。
全部が、一瞬で繋がる。
「……赤眼」
レオンの声が低くなる。
リリアーナが、その横顔を見る。
怒っている。
静かに。
でも、確実に。
レオンは、一歩前へ出た。
「場所は」
ミーアが即座に答える。
「旧神殿区中央封鎖塔周辺です」
「現在、封印管理術式が急速に崩壊しています」
「おそらく、内部から何者かが干渉しています」
アルベルトが舌打ちする。
「完全に赤眼じゃねぇか」
「王城騒ぎしてる場合じゃないだろこれ」
ヴァルディスが低く言う。
「断定は早い」
「まだ内部確認は――」
「いや、十分だろ」
今度は、クラウスだった。
その声は冷たい。
「地下施設」
「赤眼」
「旧神殿区」
「全部繋がっている」
「これ以上偶然で済ませる気か?」
ヴァルディスが黙る。
答えられない。
その沈黙自体が、もう答えだった。
◇
リリアーナは、不安で胸が苦しかった。
嫌な予感しかしない。
旧神殿区。
赤眼。
封印崩壊。
そして。
レオンの黒蒼雷が反応している。
それが何より怖かった。
「……レイさん」
小さく呼ぶ。
レオンが振り返る。
「何だ」
「行くつもりですよね」
数秒。
沈黙。
それから。
「行かなきゃ駄目だろ」
静かな声だった。
でも。
その瞳には迷いがない。
リリアーナの胸が、ぎゅっと締まる。
分かっていた。
止まらない。
ルミアたちのことがある。
地下施設の件がある。
赤眼が絡んでいるなら、レオンは絶対に行く。
それでも。
怖い。
また無茶をするんじゃないか。
また、自分を削るんじゃないか。
また、消えてしまうんじゃないか。
「……まだ怪我、治ってません」
「動ける」
「そういう問題じゃないです」
リリアーナの声が少し強くなる。
「レイさん、いつもそうです」
「自分のこと後回しにして」
「壊れるまで動いて」
「それで平気な顔して」
一拍。
「見てる側、すごく怖いんですよ」
その声は、震えていた。
本音だった。
レオンは少し黙る。
何か言おうとして。
でも。
言葉が出ない。
代わりに、黒蒼雷が小さく揺れた。
バチ……。
リリアーナは、その音を聞く。
前なら怖かった。
でも今は違う。
まるで。
レオンが困っている時の癖みたいに感じる。
その時だった。
「なら、お前も来るか」
レオンがぽつりと言う。
「……え?」
「止めたいなら、近くにいろ」
リリアーナの思考が止まる。
「いやちょっと待ってください」
「それ、めちゃくちゃ危険地帯行くって話ですよね?」
「そうだな」
「何でそんな自然に誘うんですか!?」
「一人で待ってる方が不安そうだった」
「うっ……」
図星だった。
アルベルトが吹き出す。
「ははっ!!」
「ダメだこいつ天然で口説いてやがる!!」
「口説いてない」
「いや今のはかなり強ぇぞ!?」
リリアーナが真っ赤になる。
「い、今そういう空気じゃないですからね!?」
「分かってる」
「分かってる顔じゃないです!」
だが。
胸の奥は少しだけ軽くなっていた。
一緒に来い。
そう言われた。
東の塔で、一人だった少年が。
“隣にいてほしい”みたいなことを言った。
それが。
どうしようもなく嬉しい。
◇
グレイヴは、そのやり取りを静かに見ていた。
(……本当に変わったな)
昔のレオンなら。
絶対に誰かを危険へ巻き込もうとしなかった。
全部一人で抱え込もうとしていた。
だが今は違う。
隣に人を置こうとしている。
頼ることを覚え始めている。
それは。
人として、とても大きな変化だった。
だが同時に。
危うくもある。
失いたくないものを得た人間は、時に最も壊れやすい。
グレイヴは、ゆっくり口を開いた。
「俺も同行する」
空気が止まる。
ヴァルディスが目を見開く。
「団長!?」
「旧神殿区封印崩壊が事実なら、第一騎士団案件だ」
「だが黒蒼雷を――」
「今はそれどころではない」
グレイヴの声が低くなる。
「神霊汚染が広がれば、王都が終わる」
静寂。
王城騎士たちも理解していた。
旧神殿区は、洒落にならない。
もし本当に封印崩壊なら。
学園どころの話ではない。
その時。
レオンの胸の奥で、黒蒼雷が再び震えた。
今度は少し強い。
バチィッ――。
そして。
一瞬だけ。
レオンの脳裏へ、“何か”が流れ込んだ。
暗い地下。
巨大な扉。
黒い霧。
そして。
赤い目。
『――開けろ』
低い声。
ぞわり、と背筋が粟立つ。
次の瞬間。
レオンが僅かによろめいた。
「レイさん!?」
リリアーナが支える。
レオンは目を見開いていた。
今のは何だ。
幻覚?
違う。
黒蒼雷が、“向こう側”へ反応した。
まるで。
何かが、自分を呼んでいるみたいに。
その瞬間。
グレイヴの目が鋭くなる。
「……レオン」
「どうした」
レオンは数秒黙り。
そして、低く言った。
「旧神殿区に、“何かいる”」
空気が、凍りついた。




