第117話「居場所という力、無能王子は“もう一人では戻れない”と知っていく」
風が、静かに吹いていた。
王立アルディア学園正門前。
王城騎士団。
第一術式部隊。
学園教師陣。
生徒たち。
誰も動いていない。
なのに。
空気だけが、ゆっくりと変わり続けていた。
黒蒼雷が、静かに揺れている。
バチ……。
以前なら考えられなかった。
感情が乱れれば暴走する。
怒れば荒れる。
孤独に沈めば、制御不能になる。
それが黒蒼雷だった。
だが今は違う。
穏やかだ。
むしろ。
人と繋がるほど、安定している。
その異常さを、一番理解していたのは。
グレイヴとヴァルディスだった。
◇
(……記録と完全に違う)
ヴァルディスは、内心で歯噛みしていた。
黒蒼雷。
王家禁書庫に残されていた記録では。
それは、“王国を壊す災厄”だった。
強大な力。
制御不能。
怒りと孤独による暴走。
そして。
最終的には周囲を巻き込み、全てを破壊する。
それが黒蒼雷。
だからこそ、王城は恐れた。
だからこそ、東の塔へ隔離した。
だが。
今、目の前にいるレオンは違う。
人と関わるほど、安定している。
感情を知るほど、暴走から遠ざかっている。
それはつまり。
“孤独に追い込んだこと自体が間違いだった”
という可能性を意味していた。
(……認められるか)
そんなもの。
認めれば、王城そのものが間違っていたことになる。
王命。
隔離。
東の塔。
全部。
だから。
認めるわけにはいかなかった。
「……団長」
ヴァルディスが低く言う。
「今の状態こそ危険です」
「黒蒼雷は、人を惹きつけている」
「このまま支持が広がれば、王権そのものを揺るがしかねない」
グレイヴは答えない。
視線は、レオンへ向けられたままだ。
ヴァルディスは続ける。
「現に見てください」
「学園側生徒は完全にレオンハルト側へ傾いている」
「教師陣も同様」
「このまま放置すれば、いずれ王国は分裂します」
その言葉。
後方の生徒たちの空気が少し揺れた。
だが。
怒りの方が強かった。
「放置って何だよ」
「レオン様、助けてくれたじゃん……」
「分裂とか、そんな話じゃないだろ」
「王城がおかしいんじゃねぇのか……?」
小さな声。
でも。
確実に広がっている。
疑問が。
王城への不信が。
ヴァルディスは、それを感じていた。
だから焦っている。
今ここで止めなければ、本当に止まらなくなる。
◇
リリアーナは、まだ顔が熱かった。
さっきの会話。
『お前がいるからかもな』
あれを思い出すだけで、頭がおかしくなりそうだった。
(無自覚であんなこと言います……!?)
反則だ。
ずるい。
しかも本人は、たぶん本当に無自覚。
だから余計にタチが悪い。
「……リリアーナ」
「ひゃ、ひゃい!?」
レオンが少し驚いた顔をする。
「……何でそんな声になる」
「な、何でもないです!!」
完全に挙動不審だった。
アルベルトが肩を震わせる。
「ダメだこれ」
「完全に恋する乙女だ」
「うるさいです!!」
「いやでも今のレオン相手に平静でいろは無理だろ」
「何でだ」
レオンが本気で分かっていない顔をする。
エリシアが呆れたように息を吐いた。
「レオン様」
「何だ」
「少しは自覚を持ってくださいませ」
「だから何の」
「そこからですわね……」
クラウスが咳払いして視線を逸らす。
その時だった。
後方から、小さな笑い声が聞こえる。
ルミアだった。
「なんか、普通だね」
リリアーナが振り向く。
「え?」
「もっと、王城とかって怖い感じかと思ってた」
一拍。
「でも今、ちょっとだけ安心する」
ユノも、小さく頷く。
「……うるさいけど、嫌じゃない」
アレンも苦笑した。
「地下施設じゃ、こういう空気なかったからな」
「怒鳴るか、泣くか、壊れるかだけだった」
その言葉。
空気が少し静かになる。
レオンは、三人を見る。
ルミアたちは、まだ完全には笑えていない。
傷もある。
怖い記憶も消えていない。
でも。
今、ちゃんとここに立っている。
それだけで、奇跡みたいなものだった。
「……レオン」
ユノが小さく呼ぶ。
「何だ」
「ここ、なくならない?」
静かな問い。
でも。
怖がっているのが分かる。
ようやく見つけた居場所だ。
だから失うのが怖い。
レオンは数秒黙る。
それから、ゆっくり言った。
「なくさせない」
その声。
小さい。
でも。
妙に強かった。
ユノがじっとレオンを見る。
「ほんと?」
「ああ」
「約束?」
「約束だ」
ユノは少し考え。
それから、小さく頷いた。
「……うん」
その瞬間。
黒蒼雷が、ふわりと揺れる。
バチ……。
穏やかだった。
まるで。
その約束へ応えるみたいに。
◇
グレイヴは、その変化を見逃さなかった。
(……やはり)
黒蒼雷は、“守る意思”へ強く反応する。
そして。
今のレオンにとって。
最も重要なのは、“居場所”だ。
東の塔には無かったもの。
必要とされる感覚。
名前を呼ばれること。
怒られること。
笑われること。
好きだと言われること。
それら全部が。
今の黒蒼雷を安定させている。
ならば。
もし再びそれを奪えば。
(……危ういな)
グレイヴの目が細くなる。
王城上層部は、そこを理解していない。
彼らは未だに、“隔離すれば制御できる”と思っている。
だが逆だ。
孤独に戻せば、今度こそ壊れる。
そして。
壊れた黒蒼雷は、おそらく本当に止まらない。
◇
「……団長」
クラウスが静かに口を開く。
グレイヴが視線を向けた。
「何だ」
「貴方は、どうするつもりですか」
一瞬。
空気が静まる。
王国最強の騎士。
その男の選択は、この場全てを左右する。
ヴァルディスも、視線を向ける。
グレイヴは少しだけ空を見た。
青空。
平和そうな空。
だが。
王国の内側は、今確実に軋み始めている。
東の塔。
地下施設。
赤眼。
黒蒼雷。
全部、繋がっている。
そして。
目の前にいる少年は、その中心だ。
グレイヴは静かに言った。
「まず、王城上層部を止める」
空気が止まる。
ヴァルディスが目を見開いた。
「団長!?」
「このまま強行すれば、確実に破綻する」
「だが王命です!」
「だからこそ止めると言っている」
グレイヴの声が低くなる。
圧。
王城騎士たちが息を呑む。
「今の王城は、恐怖で判断している」
「それでは誤る」
一拍。
「……同じようにな」
最後の言葉。
その意味を、レオンは少しだけ考えた。
同じように。
それはつまり。
グレイヴもまた、“東の塔”を後悔しているのだろうか。
その時だった。
正門奥。
学園本棟側から、慌ただしい足音が聞こえてくる。
「レオン様!!」
ミーアだった。
顔色が悪い。
息も少し乱れている。
ただ事じゃない。
レオンの空気が変わる。
「どうした」
ミーアは、少しだけ呼吸を整え。
それから、静かに言った。
「……旧神殿区です」
一瞬。
空気が止まる。
「封印が、一部破壊されました」
その言葉。
黒蒼雷が、僅かに震えた。
まるで。
何かへ反応するみたいに。




