第116話「好きという感情、無能王子は“東の塔では知らなかった温度”に戸惑う」
静かだった。
ほんの数秒前まで。
王立アルディア学園正門前は、王城と学園の全面衝突寸前だった。
拘束術式。
防衛結界。
黒蒼雷。
王国最強の騎士。
誰もが極限まで張りつめていた。
なのに。
『好きな人がそんな扱いされてたら、怒ります』
たった一言で。
全部、吹き飛んだ。
「…………」
レオンは固まっていた。
頭が真っ白だった。
好き。
今、リリアーナはそう言った。
しかも。
半分勢いではなく。
途中で否定しきれず、ちゃんと認めた。
『違わなくはないですけど!!』
つまり。
そういうことなのか?
いや、待て。
何が?
どういう意味で?
いやでも“好きな人”って言ってたよな?
頭の中が妙にうるさい。
黒蒼雷が小さく揺れていた。
バチ……ッ。
普段なら、感情が乱れればもっと暴れる。
なのに今は違う。
混乱している。
でも。
どこか温かい。
「……」
「……」
リリアーナは顔を真っ赤にしたまま俯いていた。
耳まで赤い。
完全に限界だった。
勢いで言った。
しかも、みんなの前で。
王城騎士団までいる。
何をしているんだ自分は。
(死にたい……!!)
頭を抱えたかった。
でも今それをやると、余計に認めることになる。
だから耐える。
耐えている。
でも無理だった。
顔が熱い。
絶対今、自分変な顔してる。
アルベルトが、ゆっくりレオンを見る。
そして。
「……お前」
「何だ」
「顔真っ赤」
「……気のせいだ」
「いやめちゃくちゃ赤い」
「気のせいだ」
「動揺しすぎだろ」
「してない」
「声ちょっと裏返ってるぞ」
「……」
レオンが黙る。
図星だった。
エリシアが小さく口元を押さえる。
「ふふ……」
「何だ」
「いえ」
一拍。
「初めて見ましたわ」
「何を」
「レオン様がここまで分かりやすく動揺しているところ」
クラウスまで咳払いして視線を逸らしている。
その反応が、余計に恥ずかしかった。
リリアーナは完全に俯いたまま動かない。
もう無理だ。
今たぶん、誰とも目が合わせられない。
だが。
そんな空気の中。
後方から、小さな声が聞こえた。
「……いいなぁ」
ルミアだった。
全員がそちらを見る。
ルミアは、少しだけ笑っていた。
「そういうの」
「え」
リリアーナが顔を上げる。
ルミアは続けた。
「ちゃんと、“好き”って言えるの」
一瞬。
空気が静まる。
ルミアは、自分の胸元を軽く押さえた。
「わたしたち、前は名前もなかったから」
「好きとか」
「嫌いとか」
「そういうの、考えたことなかった」
一拍。
「だから、ちょっと羨ましい」
その言葉。
リリアーナの胸が、ぎゅっと締めつけられる。
地下施設。
番号で呼ばれていた子供たち。
感情を持つことすら許されなかった。
そんな場所で生きていた彼女たちからすれば。
今の自分たちは、きっと眩しいのだ。
レオンは、ルミアを見る。
ルミアは少し照れたように笑った。
「でも」
「レオンが、そういうの知れてよかった」
ユノも小さく頷く。
「……うん」
「レオン、前より顔やわらかい」
「そうか?」
「うん」
アレンも、少しだけ笑う。
「前はもっと、“何もなくなってもいい”って顔してた」
レオンが止まる。
アレンは視線を落としたまま続けた。
「でも今は違う」
「失いたくないって顔してる」
その言葉。
胸の奥が、小さく揺れる。
失いたくない。
昔の自分なら、そんな風に思わなかった。
東の塔では、何も期待しない方が楽だったから。
一人でいる方が傷つかなかった。
でも今は違う。
リリアーナ。
アルベルト。
エリシア。
クラウス。
ルミアたち。
学園。
失いたくないと思ってしまう。
だから。
怖い。
その感情を知ってしまったから。
グレイヴは、その様子を静かに見ていた。
(……変わったな)
昔のレオンを知っている。
東の塔へ送られる前。
幼い頃の彼は、どこか空っぽだった。
笑っていても。
諦めていた。
王族としての期待も。
周囲からの評価も。
どこか最初から、自分へ向いていないと理解している子供だった。
だから。
東の塔へ送られる時も、泣かなかった。
諦めていたからだ。
だが今は違う。
今のレオンは、“失いたくない”と思っている。
それは。
人として、とても大きな変化だった。
ヴァルディスは、その空気を苦々しく見ていた。
気に入らない。
非常に。
人が集まっている。
感情が動いている。
そして。
黒蒼雷が、それに応えるように安定している。
最悪だ。
(記録と違う……)
古文書では。
黒蒼雷は、怒りと孤独で暴走するとされていた。
だが今のレオンは違う。
人と繋がるほど、安定している。
それはつまり。
人を得れば得るほど、危険性が増すということ。
「……団長」
ヴァルディスが低く言う。
「やはり危険です」
「このまま放置すれば、さらに支持を広げる」
「黒蒼雷は、国家へ牙を向ける存在になる」
「それは違う」
今度は、グレイヴが即座に否定した。
ヴァルディスが目を細める。
グレイヴは静かにレオンを見る。
「こいつは、王国を壊したいわけじゃない」
「……」
「居場所を守りたいだけだ」
レオンが少し目を見開く。
グレイヴは続ける。
「東の塔で、何も持たなかった子供が」
「今ようやく、“失いたくないもの”を知った」
一拍。
「それを、また力で奪えばどうなると思う」
ヴァルディスが黙る。
答えは簡単だ。
今度こそ、本当に壊れる。
レオンも。
王国も。
グレイヴは静かに息を吐いた。
「だからこそ、焦るなと言っている」
「王城は、同じ失敗を繰り返そうとしている」
その言葉。
王城騎士たちの空気が揺れる。
彼らも分かり始めていた。
この問題は、単純な“危険人物拘束”ではない。
もっと深い。
もっと歪んだものだと。
その時だった。
バチッ――。
黒蒼雷が、ふわりと揺れる。
以前みたいな暴発ではない。
優しい。
静かな揺れ。
リリアーナが驚いてレオンを見る。
「レイさん……?」
レオン自身も、少し驚いていた。
黒蒼雷が、妙に穏やかだった。
怒りではない。
恐怖でもない。
胸の奥にある、温かい感情へ反応している。
それが何なのか。
まだ上手く言葉には出来ない。
でも。
東の塔では、絶対に知らなかったものだ。
リリアーナが、小さく笑った。
「……なんか」
「黒蒼雷、前より怖くないですね」
レオンが少し黙る。
それから。
本当に小さく呟いた。
「……お前がいるからかもな」
リリアーナの思考が止まる。
「……え」
アルベルトが吹き出した。
「うおっ、今のは強ぇ!!」
「やめろ」
「無自覚で返すのやばいってお前!!」
「何がだ」
「そこ分かってないのが一番やばい!!」
リリアーナは、また真っ赤になっていた。
でも。
胸の奥は、少しだけ嬉しかった。
そして。
そんな空気の中で。
グレイヴだけは、静かに空を見上げていた。
黒蒼雷。
東の塔。
王城。
全部が、少しずつ繋がり始めている。
そして彼は理解していた。
ここから先。
本当に危険なのは、“力”ではない。
この少年が、人と繋がり始めたことそのものだと。




