第115話「失いたくないもの、無能王子は“東の塔では知らなかった感情”を抱き始める」
風が、静かに吹いていた。
王立アルディア学園正門前。
王城騎士団。
第一術式部隊。
学園教師陣。
生徒たち。
互いに睨み合ったまま、誰も動けずにいる。
だが。
空気は、さっきまでと少し違っていた。
『だからといって、子供一人を捨てていい理由にはならん』
グレイヴの言葉。
その一言が、この場の空気を変えていた。
王城側騎士たちの表情にも、明らかな揺らぎが見える。
学園側生徒たちも、ざわめいていた。
「……団長が」
「東の塔の件、否定しなかった……」
「じゃあ、本当に……」
「レオン様、最初から危険視されてたのか……?」
その声。
レオンは、静かに聞いていた。
胸の奥が、妙に重い。
昔から。
自分は“失敗作”なのだと思っていた。
価値がないから捨てられた。
無能だから東の塔へ送られた。
そう思っていた。
でも。
違った。
怖かったから。
黒蒼雷が。
自分が。
だから閉じ込めた。
その事実は、想像以上に重かった。
「……っ」
右手が、少しだけ震える。
怒り。
悔しさ。
悲しさ。
色んなものが混ざっている。
黒蒼雷も、それへ呼応するみたいに揺れていた。
バチ……ッ。
小さな火花。
でも。
以前よりずっと静かだ。
暴れない。
壊れない。
まるで。
レオン自身が変わったみたいに。
「レイさん」
隣から、小さな声。
リリアーナだった。
彼女はそっと、レオンの袖を掴んでいた。
強くではない。
離れない程度に。
「……大丈夫ですか」
レオンはすぐ答えられなかった。
大丈夫。
と言えば嘘になる。
東の塔での記憶。
王城の視線。
冷たい廊下。
閉まる扉。
全部、思い出してしまった。
でも。
不思議だった。
昔ほど苦しくない。
隣に、人がいるからだ。
リリアーナの指先は少し震えている。
怖いはずなのに。
それでも離れない。
その感触が。
妙に温かかった。
「……分からん」
正直に言う。
リリアーナは、少しだけ目を細めた。
「そっか」
「悪い」
「謝らなくていいです」
一拍。
「ちゃんと辛いって思えるなら、それでいいです」
レオンが少しだけ目を見開く。
辛い。
そんな感覚。
昔は、感じないようにしていた。
感じても意味がないと思っていたから。
でも今は違う。
悔しい。
怒っている。
そして。
少しだけ、悲しい。
リリアーナは続ける。
「レイさん、昔から全部一人で飲み込もうとしすぎです」
「……そうか?」
「そうです」
即答。
「辛くても平気な顔して」
「無理して」
「何でも一人で背負って」
「そのくせ、自分のことは雑で」
一拍。
「見てる方、すごく怖いんですからね」
その声は、少し震えていた。
本音だ。
地下施設の時。
リリアーナは、本当に怖かった。
レオンが消えてしまうんじゃないかと思った。
黒蒼雷に呑まれて。
どこかへ行ってしまうんじゃないかと。
だから今も。
怖い。
でも。
放っておけない。
レオンは、少しだけ目を逸らした。
「……慣れてない」
「何がですか?」
「こういうの」
「こういうの?」
「心配されるの」
ぽつり。
小さな声だった。
だが。
その言葉に、リリアーナの胸が締めつけられる。
東の塔には、誰もいなかった。
だから。
“心配される”こと自体が、レオンにとっては未知なのだ。
「……もう」
リリアーナが小さく息を吐く。
「本当に、東の塔許せなくなってきました」
その言葉に。
アルベルトが後ろで低く笑った。
「分かる」
「俺も今かなりキレてる」
エリシアも静かに頷く。
「わたくしもですわ」
「十歳の子供へやることではありません」
クラウスは黙っていた。
だが。
その表情は険しい。
騎士として。
王国側人間として。
今の話は、軽く流せるものではない。
その時だった。
「……団長」
王城騎士の一人が、恐る恐る口を開く。
若い騎士だった。
二十代前半くらいだろう。
まだ新しい鎧。
緊張で喉が震えている。
「本当に……」
「第一王子殿下は、危険指定だったのですか」
空気が止まる。
ヴァルディスが険しい顔を向ける。
「余計な発言は慎め」
だが。
グレイヴが制した。
「……ああ」
短い肯定。
若い騎士の顔が強張る。
「そんな……」
「ですが、十歳ですよ……?」
「だからだ」
グレイヴが低く言う。
「黒蒼雷は、“若いほど不安定”と言われていた」
「王城上層部は、制御不能を恐れた」
一拍。
「結果として、東の塔への隔離が決定された」
静寂。
その場の騎士たちの表情が、明らかに変わっていく。
困惑。
迷い。
動揺。
誰も、そこまで聞かされていなかったのだ。
ヴァルディスが低く言う。
「必要な判断だった」
「王国を守るためには――」
「その言葉ばっかですね」
リリアーナだった。
ヴァルディスが目を細める。
リリアーナは、怖かった。
足が震えている。
でも。
止まれなかった。
「王国を守るためって言えば、何でも許されるんですか」
「小娘」
「十歳の子供を、一人ぼっちにして」
「何年も閉じ込めて」
「それでも、“仕方なかった”で終わらせるんですか」
声が震える。
でも。
止まらない。
「レイさん、ずっと一人だったんですよ」
「自分が悪いと思い込んで」
「誰にも必要とされてないって思って」
「それでも」
一拍。
「それでも、他の人を助けようとしたんです」
その声。
生徒たちの胸へ強く刺さる。
後方で、女子生徒が泣いていた。
男子生徒たちも、顔を歪めている。
ヴァルディスは黙ったままだ。
だが。
その沈黙自体が、もう答えだった。
レオンは、隣を見る。
リリアーナは怒っていた。
自分のことみたいに。
それが。
どうしようもなく、不思議だった。
「……何で」
ぽつり。
レオンが呟く。
リリアーナが振り向く。
「何ですか?」
「そこまで怒れる」
「俺のことだろ」
リリアーナは、一瞬だけ止まった。
それから。
少し呆れたように笑う。
「当たり前じゃないですか」
「……?」
「好きな人がそんな扱いされてたら、怒ります」
空気が止まった。
「……」
「……」
アルベルトが固まる。
エリシアが目を見開く。
クラウスが咳払いした。
リリアーナ自身も、数秒遅れて固まる。
「……え」
顔が、一気に赤くなる。
「ち、違っ……!」
「いや違わなくないか今の!?」
アルベルトが即座に叫ぶ。
「違います!!」
「どこが!?」
「そ、それはその!」
完全に混乱していた。
だが。
レオンは、まだ止まったままだ。
好き。
今、そう言ったのか?
頭の中で、言葉が妙にゆっくり響く。
東の塔では、一度も向けられなかった感情。
必要とされる。
心配される。
怒ってもらえる。
そして。
“好き”と言われる。
それら全部が、未経験だった。
だから。
胸の奥が、妙に熱い。
どう反応すればいいのか、分からない。
リリアーナは顔を真っ赤にしたまま俯いている。
「……っ」
「ち、違わなくはないですけど!!」
「うお認めた!!」
「うるさいですアルベルト様!!」
その瞬間。
張りつめていた空気が、少しだけ緩んだ。
生徒たちの間にも、小さな笑いが広がる。
重かった空気が。
ほんの少しだけ、温かくなる。
そして。
グレイヴは、その光景を静かに見ていた。
(……なるほど)
理解する。
黒蒼雷が変化した理由。
以前の記録と違う理由。
この少年は、もう一人ではない。
だから。
怒りだけに呑まれない。
守りたいものが、ちゃんと“楔”になっている。
グレイヴは、小さく息を吐いた。
だが同時に。
別の危機感も抱いていた。
(だからこそ、王城はさらに恐れる)
人を集める黒蒼雷。
そして。
“居場所”を得たレオン。
それは。
王国を大きく揺らす存在になり始めていた。




