第114話「東の塔の王子、無能王子は“初めて守られた記憶”を知る」
風が吹いていた。
王立アルディア学園正門前。
王城直属第一術式部隊。
第一騎士団。
学園教師陣。
防衛結界。
互いの魔力がぶつかり合う寸前だった空気は、グレイヴの登場によって、辛うじて均衡を保っている。
だが。
緊張が消えたわけではない。
むしろ。
全員が理解していた。
ここで何か一つ間違えば、本当に王都規模の騒乱へ発展する。
だからこそ。
誰も軽々しく動けない。
その静寂の中。
グレイヴ・アルディオスは、静かにレオンを見ていた。
灰色の瞳。
まるで剣の切っ先みたいな視線。
威圧ではない。
だが、見透かされる。
そんな感覚だった。
レオンは、その視線を真正面から受け止める。
昔なら無理だった。
王城側の視線は嫌いだった。
値踏み。
失望。
侮蔑。
そういうものばかりだったから。
でも。
この男の視線は違う。
測っている。
確かめている。
それだけだ。
「……団長」
ヴァルディスが低く声を出す。
「拘束停止は認められません」
「これは王命――」
「だからこそだ」
グレイヴが遮る。
声は低い。
だが、その瞬間。
空気がわずかに沈んだ。
圧。
魔力を放っているわけではない。
なのに。
周囲の騎士たちが、無意識に背筋を伸ばしていた。
それだけで分かる。
この男は、本当に“頂点”なのだと。
グレイヴは静かに続ける。
「監査官ヴァルディス」
「お前は、今の状況をどう見ている」
「……何を」
「学園側生徒、および教師陣は既に武装状態」
「王城側も同様だ」
「ここで強制拘束を行えば、間違いなく衝突が起きる」
一拍。
「その先を見ているのかと聞いている」
ヴァルディスが眉を寄せる。
「王国のために必要な処置です」
「黒蒼雷を放置する方が危険だ」
「危険、か」
グレイヴが小さく呟く。
その目が、レオンへ向いた。
「お前は危険か?」
突然の問い。
レオンは少しだけ止まる。
周囲も静まった。
王国最強の騎士。
その男が、直接レオンへ問うている。
「……分からん」
レオンは正直に言った。
アルベルトが少し目を見開く。
リリアーナも驚いた顔をした。
だが。
レオンは続ける。
「黒蒼雷が何なのか、まだ全部分かってない」
「暴走しかけたこともある」
「だから、“絶対安全”とは言えない」
ヴァルディスが口を開きかける。
だが。
レオンの方が早かった。
「でも」
黒蒼雷が、静かに揺れる。
バチ……ッ。
「壊したいわけじゃない」
「支配したいわけでもない」
「ただ」
一拍。
「守りたいだけだ」
その声。
妙に静かだった。
叫びじゃない。
怒鳴りでもない。
なのに。
後方の生徒たちは、息を呑んでいた。
リリアーナの胸も熱くなる。
レオンは、ずっとこうなのだ。
大きな言葉を使わない。
でも。
一番大事なところだけは、絶対に嘘をつかない。
グレイヴは、しばらく黙っていた。
風が吹く。
正門前の旗が揺れる。
青空の下。
重たい沈黙だけが流れていた。
やがて。
グレイヴが、小さく息を吐く。
「……東の塔へ送られた時」
レオンの目が僅かに揺れた。
「お前は、十歳だったな」
「……」
「泣かなかった」
リリアーナがレオンを見る。
レオンは黙っている。
グレイヴは続けた。
「周囲の使用人は怯えていた」
「王族失格」
「価値なし」
「そう言われ、東の塔へ送られる子供を見て」
「誰も近づかなかった」
一拍。
「だが、お前は最後まで泣かなかった」
レオンは少しだけ目を伏せた。
覚えている。
あの日。
王城の長い廊下。
冷たい視線。
誰も目を合わせなかった。
母も。
父も。
使用人たちも。
皆、“いないもの”みたいに扱った。
だから。
泣く意味も分からなかった。
「……覚えてねぇよ」
ぽつり。
レオンが言う。
だが。
本当は少し覚えている。
東の塔の扉。
閉まる音。
冷たい部屋。
静かな夜。
窓の外の空。
全部。
忘れたかっただけだ。
グレイヴは静かに続けた。
「俺は、あの日の任務記録を見た」
「本来、お前の護送任務は第一騎士団管轄ではなかった」
「だが」
灰色の瞳が、少しだけ細くなる。
「何故か、王命変更が入った」
空気が止まる。
クラウスが目を細めた。
エリシアも息を呑む。
ヴァルディスの表情が、僅かに強張る。
「団長」
「その話は――」
「黙っていろ」
低い声。
ヴァルディスが止まる。
グレイヴはレオンを見る。
「東の塔へ送る直前」
「お前は、一度だけ暴走しかけている」
リリアーナの顔色が変わる。
「え……?」
「魔力ゼロ判定の後だ」
「黒い雷が、王城訓練場で発生した」
一拍。
「その時点で、上層部はお前を“危険指定”した」
静寂。
風の音だけが聞こえる。
レオンは、動かなかった。
だが。
胸の奥が、ゆっくり冷えていく。
やはり。
最初からだった。
価値なしだったからじゃない。
無能だったからでもない。
怖かったから。
黒蒼雷が。
自分が。
だから。
東の塔へ閉じ込めた。
「……ふざけんな」
小さな声。
でも。
確かに怒っていた。
リリアーナがレオンを見る。
拳が震えている。
黒蒼雷も、小さく揺れていた。
バチ……ッ。
怒っている。
ちゃんと。
自分の過去へ。
「レイさん……」
リリアーナがそっと呼ぶ。
レオンは少しだけ息を吐く。
「……俺」
一拍。
「何か悪いことしたのかと思ってた」
その声。
リリアーナの胸が、痛くなる。
十歳の子供だ。
急に“価値なし”と言われて。
東の塔へ閉じ込められて。
何年も一人で生きて。
それでも。
自分が悪いと思い込んでいた。
「……違う」
リリアーナが、小さく言う。
「レイさんは悪くないです」
「……」
「悪いのは」
震えながらも、リリアーナは王城側を見る。
「怖いからって、子供を閉じ込めた人たちです」
その言葉。
後方の生徒たちにも、強く響いた。
女子生徒が涙ぐむ。
男子生徒が拳を握る。
「最低だろ……」
「十歳だぞ……?」
「それで東の塔とか……」
空気が変わる。
王城側騎士たちの中にも、動揺が広がっていた。
ヴァルディスが低く言う。
「必要な処置だった」
その瞬間。
バチィッ――!!
黒蒼雷が、大きく揺れた。
空気が震える。
術式部隊が反射的に身構える。
リリアーナの鼓動が跳ねた。
でも。
レオンは暴走していない。
怒っている。
なのに。
耐えている。
グレイヴは、その姿を静かに見ていた。
(……抑えているのか)
以前の記録では違った。
黒蒼雷は、怒りに呼応し暴走する。
だが今は。
怒りの中で、踏み止まっている。
それは。
後ろに“守りたいもの”があるからだ。
グレイヴは小さく息を吐いた。
「……なるほどな」
低く呟く。
「王城が恐れた理由も分かる」
ヴァルディスが頷く。
「ならば――」
「だが」
グレイヴの声が、空気を断ち切った。
「だからといって、子供一人を捨てていい理由にはならん」
静寂。
王城騎士たちが目を見開く。
ヴァルディスも、言葉を失っていた。
グレイヴは、真っ直ぐレオンを見る。
「東の塔で、お前を守るべきだった人間はいた」
一拍。
「守れなかった」
その声には。
僅かな後悔が滲んでいた。
レオンは、初めて少しだけ目を見開く。
その時だった。
後方。
学園側生徒の中から、小さな嗚咽が聞こえた。
ルミアだった。
涙を堪えきれていない。
ユノも俯いている。
アレンは拳を握り締めていた。
レオンは、その姿を見る。
そして。
胸の奥で、何かがゆっくり変わっていくのを感じていた。
怒りだけじゃない。
悔しさだけでもない。
これは。
たぶん。
“失いたくない”という感情だった。




