第113話「王国の剣、無能王子は“最強の騎士”と向き合う」
空気が、変わった。
ほんの一瞬前まで。
学園正門前は、開戦寸前だった。
拘束術式。
防衛結界。
互いに魔力を展開し合い、あと一歩で衝突する。
そんな極限状態。
だが。
『そこまでだ』
たった一言で。
全部が止まった。
風が吹く。
正門前へ現れた騎士団は、他とは明らかに違っていた。
白銀鎧。
統一された歩幅。
無駄のない視線。
魔力の流れすら揃っている。
精鋭。
それも、“本物”だ。
その中央。
ゆっくり歩いてくる男がいる。
長身。
灰銀色の髪。
鋭い目。
年齢は四十代半ばほどだろうか。
全身から、とてつもない圧が滲み出ていた。
剣を抜いていない。
魔力も展開していない。
それなのに。
そこに立っているだけで、周囲の空気が張りつめる。
まるで。
一振りの剣そのものみたいだった。
「……団長」
クラウスが低く呟く。
その声には、僅かに緊張が混ざっていた。
レオンは、それに少し驚く。
クラウスがここまで空気を変える相手は珍しい。
アルベルトも顔をしかめた。
「マジかよ……」
「よりによって、ここで来るか」
リリアーナが小さく聞く。
「そんなに凄い人なんですか?」
エリシアが静かに答えた。
「王国最強」
「第一騎士団団長、グレイヴ・アルディオス」
一拍。
「“王国の剣”と呼ばれる人ですわ」
リリアーナの喉が鳴る。
王国最強。
その言葉だけで分かる。
危険だ。
グレイヴは、ゆっくりとヴァルディスの横へ並んだ。
その瞬間。
術式部隊の空気が変わる。
張りつめていた緊張が、少しだけ落ち着いた。
彼らは、この男を信頼している。
絶対的に。
グレイヴは周囲を一瞥する。
学園側。
王城側。
生徒たち。
教師たち。
そして。
レオン。
その灰色の瞳が、静かに細められた。
「……なるほど」
低い声。
重い。
大きな声ではないのに、腹へ響く。
「随分と大事になっているな」
ヴァルディスが一歩前へ出る。
「団長」
「これは王命案件です」
「第一王子レオンハルトは拘束対象――」
「知っている」
グレイヴが遮る。
ヴァルディスが止まる。
グレイヴは静かに続けた。
「だからこそ、俺が来た」
その言葉。
王城側の空気が変わる。
レオンは、グレイヴを見ていた。
強い。
圧倒的に。
今まで会った誰より、“戦う人間”として完成されている。
クラウスが剣なら。
この男は、“戦場”そのものだ。
グレイヴの視線が、レオンへ向く。
「久しいな」
レオンが少し眉を寄せる。
「……会ったことあったか」
「覚えていないか」
「悪い」
「そうか」
グレイヴは、少しだけ目を細めた。
「お前が幼い頃、何度か剣を教えた」
レオンが止まる。
……言われてみれば。
うっすら覚えがある。
王城訓練場。
灰色の大剣。
怖いくらい強い騎士。
でも。
妙に静かだった男。
「……団長殿」
クラウスが低く言う。
「今回の件、どこまで把握していますか」
グレイヴは答える。
「地下施設の存在」
「赤眼」
「学園襲撃」
「黒蒼雷」
「そして、王城内部勢力の介入疑惑」
一瞬。
空気が止まった。
ヴァルディスの顔色が変わる。
「団長!」
「その発言は――」
「事実確認前の段階だ」
グレイヴが淡々と言う。
「だが、疑念は十分に存在する」
王城側騎士たちがざわつく。
「内部勢力……?」
「本当に王城絡みなのか……?」
「おい、聞いてないぞ……」
ヴァルディスの目が険しくなる。
「団長、貴方はどちらの立場ですか」
グレイヴは静かに視線を向けた。
「騎士だ」
「……」
「王国を守るのが役目だ」
一拍。
「だが、“王国”と“王城上層部”は同義ではない」
その瞬間。
学園側の空気が変わった。
クラウスが静かに息を吐く。
アルベルトが小さく笑った。
「……やっぱ好きだわ、このおっさん」
「口を慎め第二王子」
「はいはい」
リリアーナは、少しだけ安心した。
少なくとも。
この人は、ヴァルディスと同じではない。
それが分かる。
だが。
レオンは、まだグレイヴを見ていた。
何故だろう。
この男は、他の王城側と違う。
恐怖ではなく。
“測っている”。
そんな視線。
グレイヴがゆっくり口を開く。
「レオンハルト」
「何だ」
「お前は、本当に王城へ従う気がないのだな」
「ない」
即答だった。
周囲が静まる。
グレイヴはさらに聞く。
「理由は」
レオンは数秒黙る。
空を見る。
青空。
東の塔から見ていた空と、同じ空。
でも今は違う。
一人じゃない。
その感覚が、ちゃんとある。
「……守りたいものが出来た」
ぽつり。
静かな声。
だが。
その言葉は、妙に重かった。
リリアーナの胸が強く揺れる。
レオンは続ける。
「東の塔にいた頃は、何もなかった」
「どうでもよかった」
「自分がどうなっても」
一拍。
「でも今は違う」
黒蒼雷が、静かに揺れる。
バチ……ッ。
「ルミアたちも」
「学園も」
「ここにいる奴らも」
「奪わせたくない」
その言葉。
後方にいた生徒たちが、息を呑む。
誰かが、涙を堪えていた。
グレイヴは静かにレオンを見る。
その灰色の瞳に、僅かな揺れが生まれる。
「……そうか」
短く呟く。
それから。
ゆっくりヴァルディスを見る。
「監査官」
「拘束命令は一時停止だ」
空気が止まった。
「なっ……!」
ヴァルディスが目を見開く。
「何を言っている!」
「このまま強行すれば、学園と衝突する」
「内乱の火種になるぞ」
「それでも王命です!」
「だから止める」
グレイヴの声が低くなる。
その瞬間。
空気が震えた。
ヴァルディスが言葉を失う。
圧。
凄まじい。
この男が、本気で怒れば。
たぶん、この場の誰も止められない。
「……今の王城は、焦りすぎている」
グレイヴが静かに言う。
「黒蒼雷を恐れるあまり、周囲が見えていない」
「だが」
一拍。
「恐怖だけで剣を振るえば、必ず誤る」
その言葉。
レオンの胸が少しだけ揺れた。
東の塔。
地下施設。
全部、“恐怖”から始まっていた。
怖いから閉じ込める。
怖いから壊す。
怖いから奪う。
グレイヴはレオンを見る。
「レオンハルト」
「何だ」
「お前も、怒りだけで進むな」
レオンが少し目を細める。
グレイヴは続けた。
「守りたいのなら、なおさらだ」
「怒りだけでは、最後に大切なものを壊す」
その言葉。
レオンは返せなかった。
図星だったからだ。
今の自分は、確かに怒っている。
東の塔。
地下施設。
王城。
全部に。
でも。
リリアーナたちを見た瞬間。
ほんの少しだけ、冷える。
壊したくない。
この場所を。
この空気を。
だから。
暴走はしたくない。
その時だった。
後方。
学園生徒の中から、小さな声が聞こえた。
「……レオン様」
ルミアだった。
不安そうな顔。
でも。
ちゃんと立っている。
ユノも。
アレンも。
三人とも、震えながらこちらを見ていた。
レオンは、その姿を見る。
そして。
静かに息を吐いた。
黒蒼雷が、少しだけ落ち着く。
バチ……。
その変化を、グレイヴは見逃さなかった。
「……なるほど」
小さく呟く。
「それが、お前の黒蒼雷か」
暴力ではない。
支配でもない。
“守りたい意思”へ応える雷。
その本質を。
王国最強の騎士は、確かに感じ取っていた。




