第112話「開戦前夜、無能王子は“守りたい居場所”の重さを知っていく」
空気が、張り裂けそうだった。
王立アルディア学園正門前。
王城直属第一術式部隊が展開した拘束術式陣は、空中へ幾重にも重なっている。
青白い光。
浮かび上がる古代文字。
空間そのものを固定するような圧力。
ただそこに存在しているだけで、肌が粟立つ。
生徒たちは、誰も声を出せなかった。
怖いのだ。
当然だった。
目の前にいるのは、王城直属部隊。
普段なら絶対に関わることのない存在。
王都でも重大事件にしか出てこない、“本物の武装戦力”。
その矛先が、今は学園へ向いている。
普通なら、終わりだった。
誰も逆らえない。
王命は絶対。
王城は正義。
それが、この国の常識だった。
でも。
今、正門前には。
その常識へ真正面から立っている少年がいる。
黒蒼雷を纏う、東の塔の元王子。
レオンハルト・フォン・アルディア。
◇
「……っ」
リリアーナは、自分の手が震えていることに気づいていた。
怖い。
心臓がうるさい。
術式部隊の魔力圧だけで、呼吸が浅くなる。
それなのに。
レオンの背中は、まったく揺れていなかった。
黒い髪。
包帯の巻かれた右腕。
まだ完全に回復していない身体。
それでも。
彼は、逃げる気配を見せない。
その背中を見た瞬間。
リリアーナの胸が、ぎゅっと痛んだ。
(また……)
思い出す。
地下施設での戦い。
空から落ちてきたレオン。
血だらけの右腕。
黒蒼雷を無理やり暴走寸前まで引き上げて、それでも立ち続けていた姿。
あの時、本当に怖かった。
死ぬんじゃないかと思った。
消えてしまうんじゃないかと思った。
だから今も。
レオンが前へ出るたび、怖い。
でも。
それ以上に。
一人で立たせたくない。
「……レイさん」
小さく呼ぶ。
レオンが少しだけ振り返る。
「何だ」
「絶対、無茶しないでください」
「……努力はする」
「そこは“する”って言ってください」
「……する」
ほんの少し間があった。
リリアーナは見逃さない。
「今ちょっと迷いましたよね?」
「迷ってない」
「迷いました」
「迷ってない」
「目が泳いでました」
「泳いでない」
即答。
でも。
少しだけ視線が逸れている。
アルベルトが横で吹き出した。
「ははっ……!」
「お前ほんとリリアーナに弱ぇな!」
「弱くない」
「いや完全に弱いだろ」
「違う」
「認めろって」
そのやり取り。
本来なら、こんな状況で出来るものじゃない。
王城部隊が目の前にいる。
一歩間違えば戦闘。
それなのに。
不思議と、その軽口は周囲の緊張を少しだけ和らげた。
後方にいた生徒たちの間にも、小さな空気の変化が生まれる。
「……なんか」
「普通に喋ってる……」
「怖くないのかな」
「いや、絶対怖いだろ……」
「でも、レオン様全然下がんない……」
ざわめき。
だが、その声には。
もう絶望だけではないものが混ざっていた。
◇
ヴァルディスは、その光景を静かに見ていた。
気に入らない。
非常に。
黒蒼雷。
その存在だけでも危険だ。
だが、それ以上に。
この空気が危険だった。
人が集まっている。
恐怖で崩れるはずの場で。
むしろ、“立とう”としている。
それが許せない。
(これだから黒蒼雷は……)
古い記録を思い出す。
王家禁書庫最深部。
封印指定文書。
そこに記されていた一文。
『黒蒼雷は、人を王へ従わせない』
最初に見た時、意味が分からなかった。
だが今なら分かる。
黒蒼雷は、人へ“自分で立つ意思”を与える。
だから危険なのだ。
王へ従うだけではなくなる。
弱者が顔を上げる。
切り捨てられた側が、立ち上がる。
そんなもの。
国家運営にとって災厄でしかない。
「監査官殿」
後ろから術式部隊長が声をかける。
「拘束術式、いつでも展開可能です」
ヴァルディスは答えない。
視線は、レオンへ固定されたままだ。
「……」
理解している。
ここで強制拘束を行えば、学園側と本格衝突になる。
下手をすれば内乱へ発展する。
だが。
それでも。
ここで逃せば、黒蒼雷はさらに人を集める。
危険だ。
今、止めなければならない。
◇
クラウスは静かに周囲を見ていた。
王城騎士団。
術式部隊。
学園教師陣。
生徒。
誰もが限界まで張りつめている。
(最悪だな)
騎士として分かる。
これは、最も危険な空気だ。
皆、まだ理性が残っている。
だが。
どちらか一人でも引き金を引けば、全部が壊れる。
しかも問題なのは。
王城側騎士の中にも、迷いが見えていることだった。
「……本当にやるのか」
「学園相手に?」
「でも王命だぞ」
「だが、地下施設の件……」
「黙れ、聞かれるぞ」
小声。
だが聞こえる。
揺れている。
王城側内部も。
クラウスは小さく息を吐く。
(もう、戻れんな)
ここまで来た以上。
どちらかが折れなければ、終わらない。
そして。
レオンは、もう折れない。
それが分かってしまった。
◇
レオンは、静かにヴァルディスを見ていた。
不思議だった。
昔なら。
こんな場所に立つだけで震えていたと思う。
王城。
騎士団。
王命。
全部、自分を否定してくるものだった。
でも今は。
怖くないわけじゃない。
普通に怖い。
術式部隊の魔力圧なんて、肌が裂けそうなほど重い。
でも。
退きたくない。
それ以上に。
後ろを見たくなる。
リリアーナがいる。
アルベルトがいる。
エリシアがいる。
クラウスがいる。
学園長も。
生徒たちも。
皆、立っている。
自分の後ろで。
それを見た瞬間。
胸の奥が、熱くなる。
東の塔には、何もなかった。
一人だった。
誰もいなかった。
でも今は違う。
だから。
もう。
奪われたくない。
「……ヴァルディス」
レオンが静かに呼ぶ。
監査官の目が細くなる。
「何だ」
「一つ聞きたい」
「答える義務はない」
「そうか」
レオンは頷く。
それから。
静かに続けた。
「じゃあ、独り言だ」
空気が止まる。
「お前ら、“王国のため”って何回も言うけど」
一拍。
「その王国って、誰のための国なんだ」
誰も喋らない。
レオンは続ける。
「価値ないやつ切り捨てて」
「弱いやつ見捨てて」
「怖いもの閉じ込めて」
「それで維持してる国が、そんなに正しいか?」
その声。
大きくはない。
でも。
一つ一つが、重かった。
ヴァルディスは答えない。
代わりに、術式部隊の空気が揺れる。
王城騎士の視線も。
迷い始めていた。
レオンは気づいていない。
でも。
今の彼の言葉は、確実に王城側へ刺さっていた。
何故なら。
彼らの中にも、“切り捨てられた側”を見た人間がいるからだ。
◇
「……っ」
リリアーナは、胸が熱くなるのを感じていた。
レオンは変わった。
前なら。
こんな風に、自分の言葉を誰かへぶつけることなんてなかった。
でも今は違う。
怒っている。
悔しがっている。
ちゃんと、自分のためにも言葉を使っている。
それが。
どうしようもなく嬉しかった。
その時だった。
バチッ――。
黒蒼雷が、わずかに揺れる。
そして。
リリアーナは気づいた。
黒蒼雷が、怖くない。
前は、見ているだけで恐ろしかった。
でも今は違う。
温かい。
まるで。
レオン自身みたいだと思った。
◇
ヴァルディスが、ゆっくり杖を持ち上げる。
「……もう十分だ」
空気が変わる。
術式部隊が一斉に魔力展開。
青白い拘束術式が空へ広がる。
教師陣も防衛結界を展開。
生徒たちが息を呑む。
戦闘が始まる。
本当に。
その瞬間だった。
「そこまでだ」
低い声が響いた。
全員が振り向く。
正門奥。
王城側後方。
そこへ、新たな騎士団が現れていた。
白銀鎧。
中央王都直属紋章。
そして。
先頭に立つ男を見た瞬間。
クラウスの目が見開かれる。
「……団長」
王城最強。
第一騎士団団長。
グレイヴ・アルディオス。
王国の剣と呼ばれる男が。
静かに、学園へ姿を現した。




