第107話「第二次通達前夜、無能王子は“守られる温度”を初めて知る」
夜は、まだ終わっていなかった。
学園長室を出た後も、学園内の空気は張りつめたままだ。
王城直属第一術式部隊。
第二次通達。
監視結界。
まるで戦争前夜だった。
廊下を歩く教師たちの顔は硬い。
騎士科の生徒たちは自主的に巡回を始めている。
結界術に適性を持つ生徒は、学園防衛班へ合流。
医務棟では、負傷者対応と同時に避難経路確認も進められていた。
誰も口にはしない。
でも。
皆、理解している。
もし王城が本気で動けば。
次は、“話し合い”で終わらない可能性が高い。
◇
「……で」
アルベルトが大きく欠伸をしながら歩く。
「結局、今日はどうすんだ?」
「どうとは」
「だから、レオンだよ」
「今の状況で一人にしとくの危なくね?」
クラウスが静かに頷く。
「同感だ」
「少なくとも、王城側は既に監視を始めている」
「単独行動は避けるべきだな」
レオンは少し眉を寄せる。
「監視されるほど価値あるか?」
「あります!」
リリアーナが即答した。
「今さらそこ疑問に思わないでください!」
アルベルトも吹き出す。
「いやほんと自己評価終わってんなお前」
「事実だろ」
「違います」
今度はエリシアが否定する。
「少なくとも現在の王都で、あなたほど危険視されている人間はそういませんわ」
「嬉しくねぇな」
「褒めてませんもの」
「そうか」
「そうですわ」
テンポよく返ってくる会話。
そのやり取りを聞きながら、ミーアは少しだけ安心していた。
数日前なら。
こんな空気はなかった。
レオンはもっと閉じていた。
必要最低限しか喋らず。
感情も見せず。
自分を傷つけることにも無頓着だった。
でも今は違う。
ちゃんと誰かと会話している。
怒られて。
呆れられて。
笑われている。
それが。
ミーアには、少し嬉しかった。
「……ミーア?」
レオンが振り返る。
「どうした」
「いえ」
ミーアは静かに微笑む。
「少し安心しただけです」
「何が」
「レオン様が、ちゃんと“今”を生きているように見えたので」
レオンは少し止まる。
何か返そうとして。
でも上手く言葉が出てこない。
代わりに、小さく息を吐いた。
「……変なこと言うな」
「ふふ」
ミーアはそれ以上言わなかった。
その時だった。
廊下の向こうから、小さな足音が聞こえてくる。
「レオン!」
ルミアだった。
後ろにはユノ。
さらにアレンもいる。
三人とも医務服姿。
まだ本調子ではない。
でも、前より顔色はかなり良くなっていた。
リリアーナが少し笑う。
「もう歩いて大丈夫なんですか?」
「うん」
ルミアが頷く。
「ちゃんと許可もらった」
アレンは少し気まずそうに頭を掻いた。
「……その」
「迷惑じゃなかったら、一緒にいたくて」
その言葉。
レオンは少しだけ目を細める。
地下施設にいた頃のアレンなら、絶対に言えなかった。
“誰かといたい”。
そんな言葉。
でも今は違う。
少しずつ。
ちゃんと、人へ向けて言葉を出せるようになっている。
「迷惑じゃない」
レオンが短く返す。
アレンが少し安心した顔になる。
ユノがレオンの服をちょこんと掴んだ。
「……レオン」
「何だ」
「いなくならない?」
一瞬。
空気が静まる。
ユノの声は小さい。
でも、震えていた。
「王城、来るんでしょ」
「また、連れていかれる?」
地下施設。
番号。
閉じ込められる恐怖。
ユノの中では、まだ終わっていない。
レオンは数秒黙る。
それから、しゃがんでユノと目線を合わせた。
「……行かない」
静かな声。
「勝手には、どこにも行かない」
ユノの目が揺れる。
「ほんと?」
「ああ」
「約束?」
「約束だ」
ユノはしばらくレオンを見ていた。
それから、小さく頷く。
「……うん」
その横で、ルミアが少し泣きそうな顔をしていた。
「レオンって」
「ほんと、そういうのズルい」
「何がだ」
「ちゃんと安心すること言うから」
レオンは困ったような顔をした。
最近、こういう反応をされることが増えた。
でも。
どう返せばいいのか、まだよく分からない。
アルベルトがニヤニヤする。
「完全に保護者ポジだな」
「違う」
「いや違わねぇだろ」
リリアーナも小さく笑った。
「でも、ちょっと分かります」
「レイさんいると安心するんですよね」
「……そうか?」
「はい」
即答だった。
レオンはまた少し黙る。
安心する。
その言葉は、未だに慣れない。
東の塔では、逆だった。
いるだけで空気を悪くする。
価値なし。
邪魔。
そういう視線ばかりだった。
だから。
“安心する”と言われても、まだ実感が追いつかない。
その時だった。
ぐぅぅぅ……。
妙に大きな音が鳴る。
全員が止まる。
音源。
リリアーナだった。
「……」
「……」
沈黙。
リリアーナの顔が、一瞬で真っ赤になる。
「ち、違います!!」
「何がだ」
「い、今のはその!」
「腹減ってる音だろ」
「言わないでください!!」
アルベルトが腹を抱えて笑い出した。
「はははっ!!」
「シリアス空間ぶっ壊れたぞ!!」
エリシアまで肩を震わせている。
「リリアーナ様、限界では?」
「ち、違います!」
「少しお腹空いただけです!」
ミーアが静かに言った。
「夕食、ほとんど食べてませんでしたからね」
「ミーアさん!?」
「事実です」
レオンが少し呆れたように息を吐く。
「……食堂行くか」
リリアーナが止まる。
「え?」
「お前らも」
ルミアたちを見る。
「ちゃんと食って寝ろ」
「身体戻らないぞ」
アレンが少し笑った。
「それ、レオンが言うんだ」
「最近よく言われるな」
「だって本当だもん」
ルミアが笑う。
その笑顔は、以前より自然だった。
ユノも小さく頷く。
「レオンも食べる」
「分かった」
その返事に、リリアーナが少し驚く。
「……素直」
「何だ」
「いや、もっと嫌がるかと」
「腹は減った」
実際、かなり減っていた。
戦闘。
治療。
連続した会議。
ほとんど何も食べていない。
クラウスが小さく笑う。
「少しは人間らしくなったな」
「前は三日くらい食わなくても平然としてそうでしたもの」
エリシアが頷く。
「実際しそうですわ」
「やったことある」
「あるんですの!?」
リリアーナが叫ぶ。
「東の塔の時」
「何でそんな生活してるんですか!!」
「……?」
「不思議そうな顔しないでください!!」
食堂へ向かう廊下。
その空気は、少しだけ柔らかかった。
王城との対立。
封鎖。
迫る危機。
重いものは山ほどある。
でも。
それでも。
今だけは、こうして笑える。
並んで歩ける。
その温度が、確かにあった。
◇
食堂は、深夜だというのに明かりがついていた。
修復班や巡回班のために、夜間開放しているらしい。
中へ入った瞬間。
生徒たちが一斉にこちらを見た。
「……!」
「レオン様だ」
「ほんとに来た」
「え、食堂来るんだ……」
レオンが少し止まる。
リリアーナが小さく笑った。
「有名人ですね」
「嫌な響きだ」
だが。
その視線には、もう侮蔑はない。
怖れだけでもない。
感謝。
安心。
憧れ。
色んな感情が混ざっている。
以前とは、まるで違う。
その時。
食堂のおばちゃんが、大声で叫んだ。
「レオン坊っちゃん!!」
全員が止まる。
レオンも目を見開いた。
厨房から出てきたのは、恰幅の良い中年女性。
食堂主任、マルタだ。
「無茶しすぎだよあんたは!!」
「……マルタ」
「右腕ボロボロじゃないか!」
「死ぬ気かい!!」
言いながら、大皿を机へ置く。
湯気が立っている。
「食べな!!」
「栄養つけるんだよ!!」
レオンは少し固まった。
昔から、マルタだけは少し変だった。
東の塔にいた頃も、たまに余ったパンを持たせてきた。
“痩せすぎだろ坊っちゃん”と言いながら。
あの頃は、理由が分からなかった。
でも今は。
少しだけ分かる。
優しさだったのだ。
「……ありがとな」
レオンが言う。
マルタは鼻を鳴らした。
「当たり前だろ」
「うちの食堂守ってくれたんだからね」
その言葉。
レオンの胸が、少しだけ熱くなる。
守った。
守れた。
その実感が、ようやく少しずつ形になり始めていた。
そして。
第二次通達の朝は、もうすぐそこまで来ていた。




