第104話「東の塔の記憶、無能王子は“捨てられた理由”へ静かに向き合い始める」
セレスティアが消えた後も。
屋上には、しばらく誰も言葉を発せなかった。
夜風だけが吹いている。
銀色の髪も。
金色の瞳も。
もうどこにも見えない。
だが。
彼女が残した言葉だけは、妙に重く残っていた。
『あなたは、最初から特別だった』
『王城は、あなたを怖がった』
『黒蒼雷は、奪われた者たちが自分の名前で立つための力』
リリアーナは胸元を押さえる。
まだ鼓動が落ち着かない。
レオンを見る。
月明かりの下。
彼は黙ったまま夜空を見ていた。
その横顔は静かだ。
でも。
静かすぎた。
こういう時のレオンは、だいたい一人で抱え込む。
それを、リリアーナはもう知っている。
「……レイさん」
「何だ」
「考え込みすぎです」
「考えてない」
「絶対考えてます」
即答だった。
レオンは少しだけ目を逸らす。
アルベルトが苦笑した。
「お前ほんと分かりやすくなったな」
「そうか?」
「昔よりはな」
クラウスも静かに頷く。
「前なら、もっと完全に閉じていた」
一拍。
「今は、顔に出る」
「……嫌だな」
「いい変化ですわ」
エリシアが微笑む。
「少なくとも、人間らしくなりました」
「前は人間じゃなかったみたいに言うな」
「半分くらい雷でしたわね」
「否定できねぇ」
アルベルトが笑う。
その軽口に、少しだけ空気が緩む。
だが。
レオンは再び夜空を見る。
東の塔。
その言葉が、妙に頭へ残っていた。
十歳。
魔力ゼロ判定。
王族失格。
価値なし。
そう言われて、東の塔へ送られた。
それが自分の人生だと思っていた。
でも。
もし違うなら。
もし、最初から“恐れられていた”のなら。
「……意味分かんねぇな」
ぽつり。
レオンが呟く。
リリアーナが少し近づいた。
「レイさん?」
「俺、ずっと」
一拍。
「本当に価値がないんだと思ってた」
その声は、静かだった。
怒りもない。
悲鳴でもない。
ただ。
長い間、そう思い込んでいた人間の声。
リリアーナの胸が痛くなる。
レオンは続ける。
「だから東の塔に送られても、仕方ないと思ってた」
「周りもそうだったし」
「父上も」
「母上も」
「使用人も」
「みんな、“当然”みたいな顔してた」
夜風が吹く。
レオンの目は遠い。
今、彼はたぶん。
東の塔にいる。
十歳の頃の自分のところへ。
「でも」
一拍。
「怖がってたから閉じ込めたって言われても」
「正直、まだ実感ねぇ」
「そりゃそうです」
リリアーナが即座に言う。
「そんな急に整理できません」
「……かもな」
リリアーナは少しだけ迷い。
それから、ゆっくりレオンの隣へ立った。
「でも」
「わたしは、少し分かる気がします」
レオンが見る。
リリアーナは真っ直ぐ夜空を見たまま言った。
「レイさん、変なんです」
「悪口か?」
「違います」
むっとした声。
「だって、普通の人なら」
「地下施設であんな風に動けません」
「アレン君の名前を呼んで」
「ルミアちゃんたちを守って」
「自分が壊れそうなのに、最後まで止まらなかった」
一拍。
「“助ける”って、あんな風に決められない」
レオンは何も言わない。
リリアーナは続ける。
「だから、特別なんだと思います」
「黒蒼雷とか、そういう意味だけじゃなくて」
「レイさん自身が」
その言葉。
レオンは少しだけ目を伏せた。
慣れない。
真正面から肯定されるのは。
今でも。
アルベルトが頭を掻く。
「まぁ、俺もそう思う」
「お前、昔から変だったし」
「褒めてるか?」
「半分」
アルベルトは笑う。
「でも、あれだな」
「昔から、“見捨てねぇやつ”だった」
レオンが少し眉を寄せる。
「……そうか?」
「覚えてねぇの?」
「何を」
「昔、城の訓練場で下働きのガキ庇って、騎士見習いと揉めてただろ」
レオンが止まる。
うっすら覚えている。
木剣訓練の時。
失敗して怒鳴られていた少年がいた。
自分も似たような扱いだったから、何となく止めに入った。
「その後、お前だけめちゃくちゃ怒られてた」
「……あったな」
「でも、そのガキ」
アルベルトが少し笑う。
「泣きながら“ありがとうございました”って言ってたぞ」
レオンは黙る。
そんなことまで覚えていなかった。
でも。
アルベルトは覚えている。
「お前さ」
「昔から、そういうとこあるんだよ」
「自分の扱い雑なのに、他人のことは放っとけない」
「だから、王城と合わなかったんじゃねぇかな」
クラウスが静かに口を開く。
「王城は、“従順な王族”を求める」
「だが、お前は違った」
「弱い側を見てしまう」
「見捨てられた側へ立つ」
「それは、王城にとって厄介だったのかもしれん」
レオンは夜空を見る。
昔の記憶が、少しずつ浮かぶ。
東の塔。
冷たい部屋。
古い本。
窓の外。
雷の日。
泣いていた夜。
そして。
誰にも必要とされていないと思っていた自分。
「……もし」
レオンが小さく言う。
「最初から、全部違ったなら」
「どうすればいいんだろうな」
その声は、少しだけ迷っていた。
リリアーナが即座に答える。
「今まで通りでいいです」
「早いな」
「だって」
リリアーナは真っ直ぐレオンを見る。
「レイさんは、もう変わってますから」
「……?」
「昔のレイさんは、一人でした」
「でも今は違います」
一拍。
「だから、全部一人で抱え込まなくていいんです」
夜風が吹く。
レオンは何も言わない。
でも。
胸の奥が少しだけ温かかった。
その時だった。
クラウスの表情が変わる。
「……来る」
全員の空気が変わる。
次の瞬間。
屋上入口の扉が開いた。
現れたのは、ミーアだった。
「レオン様」
「どうした」
「学園長がお呼びです」
「今?」
「はい」
ミーアの表情は少し硬い。
「王城側が動きました」
空気が冷える。
アルベルトが眉を寄せる。
「また使節団か?」
「いえ」
ミーアは静かに言った。
「今度は、“封鎖”です」
「……何?」
「王城が、学園周囲へ監視結界を展開し始めています」
一瞬、空気が止まった。
エリシアの目が細くなる。
「早いですわね……」
「完全に閉じ込める気か」
クラウスが低く呟く。
リリアーナがレオンを見る。
「レイさん……」
レオンは静かに夜空を見上げた。
月は変わらず浮かんでいる。
だが。
状況は、確実に動いていた。
王城は、本気だ。
そしてこちらも。
もう、止まれない。
「……行くか」
レオンが静かに言う。
その声に。
全員が頷いた。
黒蒼雷の秘密。
東の塔の真実。
そして、王城の闇。
全てが、少しずつ繋がり始めていた。




