第103話「黒蒼雷の継承者、無能王子は“隠された真実”の扉に触れる」
夜風が、屋上を撫でていた。
学園の屋上から見下ろす王都は、いつもより静かに見える。
遠くに灯る街明かり。
壊れた前庭を照らす修復術式の光。
まだ眠らない医務棟。
巡回する騎士たちの足音。
そして。
空には、何事もなかったみたいに月が浮かんでいた。
あの赤い封鎖結界は、もうない。
オルディスも消えた。
グラン=ゼグスと呼ばれた怪物も、アレンという少年へ戻った。
戦いは終わった。
学園は守られた。
だが。
レオンは今、これまでで一番深い闇の入り口に立っている気がしていた。
「あなたは、自分が何者なのかを知る必要がある」
セレスティアの声が、夜風の中に溶けていく。
白いローブ。
銀色の髪。
金色の瞳。
月明かりを受けて立つ彼女は、人間に見える。
だが、ただの人間ではない。
少なくとも、普通の人間ではない。
その存在感は、神霊に近い。
けれど、ヴァルガやノワールとも違う。
もっと静かで。
もっと古くて。
もっと遠い。
レオンは彼女を見たまま、低く問う。
「……俺が何者か」
「ええ」
セレスティアは静かに頷く。
「あなたは、ただの王子ではない」
「ただの神霊契約者でもない」
「まして、失敗作なんかでは決してないわ」
その言葉。
リリアーナは、胸が締めつけられるようだった。
失敗作。
価値なし。
無能。
レオンがどれだけその言葉に傷つけられてきたのか。
全部を知っているわけではない。
けれど、少しは見てきた。
東の塔の影。
自分を軽く扱う癖。
無茶をする癖。
痛みを痛みとして扱わないところ。
それら全部が、過去の名残だと分かっている。
だから。
セレスティアの“失敗作ではない”という言葉は、リリアーナにとっても重かった。
レオンは表情を変えない。
だが、左手がわずかに握られていた。
「……根拠は」
短い問い。
セレスティアは微笑む。
「あなたらしい聞き方ね」
「知らない相手の言葉をそのまま信じるほど、今のあなたは危うくない」
「それでいいわ」
「質問に答えろ」
「せっかちね」
「長い話は苦手だ」
「昔から?」
その一言で、レオンの目が少し細くなる。
セレスティアは、どこか懐かしそうに笑った。
「ごめんなさい」
「あなたをからかうつもりはないの」
「ただ、本当に変わったと思っただけ」
レオンは答えない。
リリアーナは、二人の距離感に違和感を覚えていた。
セレスティアはレオンを知っている。
それも、ただ情報として知っているのではない。
見ていた。
近くか。
遠くか。
少なくとも、東の塔の頃のレオンを。
リリアーナは警戒を少し強めた。
「セレスティアさん」
「はい」
「あなたは、レイさんの味方なんですか?」
真っ直ぐな問い。
レオンが少しだけリリアーナを見る。
セレスティアもまた、リリアーナへ視線を向けた。
金色の瞳。
そこに、少しだけ柔らかさが増える。
「あなたは、彼を大切に思っているのね」
リリアーナの顔が一気に赤くなる。
「い、今はそういう話じゃありません!」
「ふふ。そうね」
セレスティアは小さく笑う。
けれど、すぐに表情を戻した。
「味方かどうか」
「難しい質問ね」
リリアーナの目が鋭くなる。
「難しくありません」
「敵か味方か、それだけです」
「そう単純なら良かったのだけれど」
セレスティアは月を見上げる。
「私は、あなたたちの敵ではない」
「でも、あなたたちと同じ場所に立っているわけでもない」
「私は“見届ける者”」
「そして」
一拍。
「黒蒼雷が、再び世界へ現れた時に、その意味を伝える役目を持つ者」
リリアーナは眉を寄せる。
分からない。
言葉は分かる。
でも、意味が遠い。
「見届ける者……?」
「そう」
「昔、そう呼ばれていた」
レオンが低く言う。
「昔?」
セレスティアは頷いた。
「黒蒼雷は、今の王国が生まれるよりも前から存在していた力」
「神霊契約の一種ではあるけれど、普通の契約とは違う」
「神霊を従える力ではない」
「神霊に選ばれる力でもない」
一拍。
「神霊と“共に背負う”力」
その瞬間。
レオンの中で、ヴァルガが低く笑った。
『ほう』
ノワールも静かに呟く。
『この人、知ってるね』
レオンは眉を寄せる。
「ヴァルガとノワールを知ってるのか」
セレスティアは目を細める。
「名前までは知らないわ」
「でも、黒蒼雷に宿る二つの極性は知っている」
「雷と影」
「破壊と保護」
「暴威と静寂」
「その二つを同時に抱えられる者だけが、黒蒼雷へ至る」
レオンは黙る。
確かに。
自分の力は、最初から単純な雷ではなかった。
ヴァルガの力だけでもない。
ノワールの影だけでもない。
二つが重なった時。
黒蒼雷は目覚めた。
でも、それがなぜ自分なのかは分からない。
「……なぜ俺だ」
レオンが問う。
セレスティアはすぐには答えなかった。
夜風が吹く。
彼女の銀髪が揺れる。
「それは、あなたが“器”だから」
空気が変わった。
リリアーナの顔色が変わる。
「器……?」
その言葉は、彼女たちにとって軽くない。
ルミアたち。
アレン。
赤眼。
地下施設。
全部が、その言葉に繋がっている。
レオンの黒雷が、わずかに弾けた。
セレスティアはすぐに言う。
「赤眼が言う器とは違うわ」
「彼らは人を道具として見た」
「力を押し込む容器として扱った」
「でも本来の“器”とは、そんな意味ではない」
「では何ですか」
リリアーナが低く聞く。
セレスティアは彼女を見る。
「受け止める者」
「背負う者」
「力だけでなく、痛みも、記憶も、名前も」
「全部を抱え、それでも壊れずに立つ者」
一拍。
「黒蒼雷の器とは、そういう意味よ」
レオンは静かに目を伏せた。
痛み。
記憶。
名前。
それらを抱える。
今の自分がしてきたことと、重なる。
ルミアの名前。
ユノの名前。
アレンの名前。
ルカの名前。
番号じゃなく、名前で呼んだ。
その行為は、ただの感情ではなかったのかもしれない。
「……赤眼は、それを歪めたのか」
レオンが言う。
セレスティアは頷く。
「ええ」
「黒蒼雷に関する古い記録を、王城は持っていた」
「ただし、完全な形ではない」
「断片だけ」
「“器”という言葉」
「“神霊共鳴”という現象」
「“名前を媒介に魂へ干渉する力”」
「それだけを拾い上げ、彼らは実験へ転用した」
リリアーナの顔が青ざめる。
「じゃあ……」
「地下施設の実験は……」
「黒蒼雷を再現しようとした結果の一部」
セレスティアの声は静かだった。
「正確には、黒蒼雷そのものではなく」
「それによって得られる“神霊制御”を欲した」
「人を壊し、名前を奪い、魂を加工すれば、神霊を操れると考えた」
レオンの目が冷える。
「馬鹿だな」
「ええ」
セレスティアは、初めてはっきり頷いた。
「愚かだった」
「そして、あまりにも残酷だった」
夜風が強く吹いた。
リリアーナは胸元を押さえる。
怖い。
でも、同時に怒りが湧く。
黒蒼雷。
本来は、誰かを壊すためのものではなかった。
名前を奪うためのものでもなかった。
なのに。
王城と赤眼は、それを歪めた。
自分たちの支配のために。
「……王城は、最初から俺を知っていたのか」
レオンが問う。
セレスティアの表情が少し暗くなる。
「おそらく」
「あなたが生まれた時、王城の古い観測装置が反応した」
「黒蒼雷の兆候」
「それは、王家にとって祝福であると同時に恐怖だった」
「恐怖?」
「ええ」
セレスティアはレオンを見る。
「黒蒼雷は、王命に従う力ではない」
「王権に縛られる力でもない」
「それは、奪われた名前を呼び戻す力」
「壊されたものを、壊されたまま終わらせない力」
一拍。
「支配構造そのものと、相性が悪い」
リリアーナが息を呑む。
それはつまり。
レオンという存在自体が、王城にとって都合が悪かったということ。
魔力ゼロだったから捨てられたのではない。
無能だったから切り捨てられたのではない。
むしろ。
その奥にある“何か”を恐れられた可能性がある。
レオンは黙っていた。
月明かりが横顔を照らす。
その表情は読みにくい。
怒っているのか。
困惑しているのか。
それとも。
何も感じていないふりをしているのか。
「……じゃあ」
リリアーナが震える声で聞く。
「レイさんが東の塔に閉じ込められたのは……」
セレスティアは目を伏せる。
「確証はない」
「けれど」
一拍。
「偶然ではないわ」
その瞬間。
リリアーナの拳が震えた。
怒りで。
悲しみで。
レオンが十歳の時。
ただ魔力が無いと判定されただけで、東の塔へ幽閉された。
そう聞いていた。
でも。
もしそれが違うなら。
最初から恐れられていたのなら。
彼の孤独は、誰かに作られたものだったということになる。
「……ひどい」
リリアーナが小さく呟いた。
セレスティアは彼女を見る。
「あなたは怒ってくれるのね」
「当たり前です」
リリアーナは涙を堪えながら言う。
「レイさんは、ずっと一人だったんですよ」
「価値がないって言われて」
「捨てられて」
「それが、最初から仕組まれていたかもしれないなんて……!」
言葉が震える。
レオンはリリアーナを見る。
自分のために、こんなに怒っている。
その事実が、また胸を少し揺らした。
「……リリアーナ」
「何ですか」
「俺より怒ってるな」
「怒りますよ!」
即答。
「レイさんが怒らなさすぎなんです!」
「そうか?」
「そうです!」
そのやり取りに、セレスティアが少しだけ笑う。
「良かった」
二人が見る。
彼女は静かに言う。
「あなたのそばに、怒ってくれる人がいて」
レオンは返せなかった。
何故か。
その言葉は妙に深く刺さった。
セレスティアは続ける。
「でも、急ぎすぎてはいけない」
「黒蒼雷は強い」
「けれど、今のあなたはまだ未完成」
「今回の戦いで、身体への負荷は限界を超えている」
「このまま王城へ乗り込めば、あなたは壊れる」
リリアーナがすぐ頷く。
「そうです!」
「本当にそうです!」
「もっと言ってください!」
セレスティアが少し驚いたように瞬きする。
レオンは微妙な顔をした。
「お前、急に元気になったな」
「だって本当に無茶ばかりするからです!」
セレスティアはくすりと笑う。
「彼女の言う通りよ」
「あなたは、まず自分の力を知る必要がある」
「黒蒼雷とは何か」
「何故ヴァルガとノワールがあなたに応えたのか」
「そして、王城が何を恐れているのか」
レオンは静かに問う。
「どうやって知る」
セレスティアは月の向こう、王都のさらに東を見た。
「王都旧神殿区」
「そこに、黒蒼雷の記録が残っている」
「王城が封じた、古い神霊殿」
「そこへ行けば、あなたは自分の力の一端を知ることになる」
旧神殿区。
リリアーナも聞いたことがある。
王都の中でも、今はほとんど使われていない古い区画。
かつて神霊信仰が盛んだった時代の遺跡群が残る場所。
だが、王城管理下にあり、一般人の立ち入りは制限されている。
「……危険です」
リリアーナが言う。
「王城管理区ですよね?」
「ええ」
セレスティアは頷く。
「だから、今すぐではない」
「準備が必要」
「味方も」
「情報も」
「そして、あなた自身の回復も」
最後の言葉を、セレスティアはレオンへ向けて強調した。
リリアーナが満足そうに頷く。
「そうです」
「まず回復です」
「……二人に言われると面倒だな」
レオンが呟く。
「面倒でも必要です」
「はい」
セレスティアまで頷く。
レオンは少しだけ眉を寄せた。
なんとなく、味方が増えたのに逃げ場が減った気がする。
その時だった。
屋上の扉が勢いよく開いた。
「おいレオン!」
アルベルトだった。
その後ろにはエリシアとクラウスもいる。
「勝手に屋上行くなって――」
そこまで言って、アルベルトはセレスティアを見た。
「……誰?」
エリシアも警戒する。
クラウスは即座に剣へ手をかけた。
だが。
セレスティアは微笑む。
「こんばんは」
「随分賑やかになったのね」
アルベルトがレオンを見る。
「知り合い?」
「知らない」
セレスティアが少し寂しそうにする。
「覚えていないのは分かっているけれど、改めて言われると少し傷つくわね」
「ややこしいこと言うな」
エリシアが目を細める。
「あなた、レオン様を知っているのですか?」
「ええ」
「なら、何者ですの?」
セレスティアは少し考えた。
「説明すると長くなるわ」
アルベルトがげんなりする。
「あ、厄介なやつだ」
「そうね」
セレスティアは否定しない。
「とても厄介」
クラウスが低く言う。
「敵か」
「今は違う」
「今は?」
「未来は、あなたたち次第」
その答えに、クラウスの警戒はさらに強まった。
だが、レオンが短く言う。
「殺気はない」
「それだけで信用するな」
クラウスが返す。
「してない」
「ならいい」
アルベルトが頭を掻く。
「話が増えたなぁ……」
「王城、赤眼、黒蒼雷、旧神殿区?」
「もう少し小出しにしてくれよ」
エリシアが静かに息を吐く。
「ですが、重要な情報ですわ」
「レオン様の力が王城に恐れられていた可能性」
「そして、地下施設の実験が黒蒼雷の断片を歪めたものだった可能性」
「無視できません」
「……旧神殿区」
クラウスが呟く。
「確かに、あそこは王城管理下だ」
「だが近年、立ち入り制限が強化されている」
セレスティアが頷く。
「それは、王城が何かを隠しているから」
「黒蒼雷の記録」
「そして、あなたが“なぜ東の塔へ送られたのか”」
レオンの目が細くなる。
夜風が、また強く吹いた。
月明かりの下。
新しい道が示された。
王城へ真正面から乗り込むのではない。
まずは、自分を知る。
黒蒼雷を知る。
奪われた過去の意味を知る。
「……分かった」
レオンは静かに言った。
「旧神殿区へ行く」
「でも」
リリアーナが即座に言う。
「今すぐは駄目です」
「分かってる」
「本当に?」
「ああ」
「勝手に抜け出したら怒ります」
「……分かってる」
「今ちょっと迷いましたね?」
「迷ってない」
アルベルトが笑う。
「迷った顔だったぞ」
「うるさい」
エリシアも微笑む。
「では、まずは作戦会議ですわね」
「情報整理」
「回復」
「王城側の監視」
「旧神殿区への経路」
「やることが山積みですわ」
クラウスが頷く。
「俺も王城側の動きを探る」
「第一騎士団内にも、赤眼へ疑念を持つ者はいる」
アルベルトが拳を握る。
「俺は王族側の情報を見る」
「父上と宰相府の動きも」
リリアーナがレオンを見る。
「わたしは、レイさんが無茶しないよう見張ります」
「役割おかしくないか」
「一番重要です」
全員が頷いた。
レオンは少しだけ不満そうな顔をした。
セレスティアはその光景を見て、静かに微笑む。
「本当に」
「一人ではなくなったのね」
その声は、とても優しかった。
レオンは返さない。
でも。
夜風の中で、ほんの少しだけ目を伏せた。
東の塔で外を見ていた少年は、もう一人ではない。
過去を知る者が現れた。
隠された真実への道が開いた。
そして。
黒蒼雷の本当の意味が、少しずつ明らかになろうとしている。
セレスティアは最後に、静かに告げた。
「覚えておいて」
「黒蒼雷は、王を倒す力ではない」
「王国を壊す力でもない」
一拍。
「奪われた者たちが、自分の名前で立つための力よ」
その言葉を残して。
白銀の来訪者は、月明かりの中へ静かに溶けるように姿を消した。




