第102話「白銀の来訪者、無能王子は“自分を知る者”とついに出会う」
夜の学園は、静かだった。
だが。
その静けさは、平穏の静けさではない。
戦いの後にしか生まれない、“疲弊した静けさ”だった。
前庭では、未だに修復術式の光が明滅している。
崩れた石畳。
焼け焦げた樹木。
半壊した訓練棟。
赤眼襲撃事件の爪痕は、まだ学園中へ色濃く残っていた。
それでも。
人は戻ろうとしている。
止まらないように。
壊れたまま終わらないように。
生徒たちは、恐る恐る食堂へ集まり。
教師たちは、忙しく走り回り。
修復班は夜遅くまで術式を展開している。
誰もが疲れている。
でも。
それでも、“日常”へ戻ろうとしていた。
そして。
その中心にいるのは、間違いなく一人の少年だった。
◇
「……寝ろ」
「寝ません」
「何でだ」
「レイさんが寝ないからです」
医務棟、特別処置室。
窓の外には夜空。
机には大量の差し入れ。
果物。
焼き菓子。
栄養薬。
花束。
意味不明なぬいぐるみまである。
レオンは、それらを見て未だに少し困惑していた。
「……何でぬいぐるみ」
「人気者だからです」
「関係あるか?」
「あるんじゃないですか?」
リリアーナは小さく笑う。
だが、その笑顔の下には疲労が見えていた。
ここ数日、彼女はほとんど休んでいない。
レオンの看病。
地下施設被害者組のケア。
学園側との連携。
その全てを抱え込んでいる。
それなのに。
本人は、自分が疲れていることへ気づいていない。
レオンは少しだけ眉を寄せた。
「……お前も休め」
「レイさんが寝たら休みます」
「それ、俺が寝ない限り寝ないやつだろ」
「はい」
「即答か」
「即答です」
リリアーナは胸を張る。
だが。
次の瞬間、小さく欠伸をした。
「……」
「……」
沈黙。
リリアーナの顔が真っ赤になる。
「い、今のは違います!」
「眠いんだろ」
「眠くありません!」
「欠伸してた」
「してません!」
「してた」
「……しました」
レオンは小さく息を吐いた。
それから、少しだけ視線を逸らして言う。
「……ありがとな」
リリアーナが止まる。
「え……?」
「看病」
「ずっといる」
「だから礼」
静かな声。
でも。
妙に真っ直ぐだった。
リリアーナの顔が、一気に赤くなる。
「な、なんで急にそういうこと言うんですか……!」
「思ったから」
「そういうのはもっとこう……!」
「?」
本気で分かっていない顔だった。
リリアーナは両手で顔を覆う。
「天然……」
「何だ」
「なんでもありません!」
だが。
そのやり取りをしている時のレオンは、ほんの少しだけ柔らかかった。
東の塔にいた頃には、絶対になかった顔。
リリアーナは、それを知っている。
だから。
嬉しかった。
その時だった。
コンコン――。
扉がノックされる。
「失礼しますわ」
エリシアだった。
その後ろにはアルベルト。
さらに少し遅れてクラウスまでいる。
「お前ら揃って何だ」
「見舞いですわ」
「五回目くらいだぞ」
「気にしないでください」
「気にする」
アルベルトが笑いながら果物を放る。
「追加だ」
「またか」
「なんかどんどん増えてんだよ」
実際、部屋の隅には差し入れが山積みになっていた。
食べ物だけじゃない。
手紙まである。
“ありがとうございました”。
“助けてくれてありがとう”。
そんな文字が、何枚も並んでいた。
レオンは、それをまだ直視できない。
慣れていないから。
感謝されることに。
期待されることに。
リリアーナが手紙を一枚拾う。
「これ、一年生の子ですね」
「前庭で助けてもらったって」
「……覚えてない」
「レイさん、空飛び回ってましたもんね」
エリシアが小さく笑う。
「黒蒼雷、本当に凄まじかったですわ」
「正直、わたくし途中から戦況理解できませんでしたもの」
「俺も」
アルベルトが頷く。
「なんか“空が割れてる”しか分かんなかった」
「語彙が酷いですわね」
「でも合ってんだろ?」
「まあ、否定はしません」
クラウスは黙っていた。
だが。
その視線は、静かにレオンを見ている。
「……何だ」
「いや」
クラウスが低く返す。
「変わったと思ってな」
「何がだ」
「目だ」
一拍。
「前のお前は、どこか全部諦めてた」
空気が少し静かになる。
クラウスは続けた。
「だが今は違う」
「守るものがある目をしてる」
レオンは少し黙る。
守るもの。
昔の自分には、無かった言葉。
でも今は。
自然と頭に浮かぶ顔がある。
リリアーナ。
ルミアたち。
学園。
ここにいる人間たち。
「……そうかもな」
ぽつり。
レオンが呟く。
その瞬間。
リリアーナの胸が、少しだけ熱くなった。
その時だった。
ふわり――。
風が吹いた。
窓の外。
レオンの目が細くなる。
「……まただ」
「え?」
リリアーナが振り返る。
レオンは静かに窓を見る。
夜空。
月明かり。
そして。
学園屋上。
白いローブ。
銀髪。
金色の瞳。
今度は、はっきり見えた。
エリシアも空気の変化に気づく。
「誰かいますの?」
「……いる」
クラウスが即座に立ち上がる。
「敵か」
「分からない」
だが。
殺気がない。
むしろ逆だ。
懐かしいような。
妙な感覚。
レオンはゆっくり立ち上がる。
「レイさん!」
リリアーナが慌てて止める。
「まだ安静です!!」
「少し行くだけだ」
「その“少し”で毎回大惨事になるんです!」
アルベルトが吹き出す。
「完全に信用ゼロだな」
「当然です!」
だが。
レオンは窓の外から視線を逸らさない。
「……あいつ」
一拍。
「俺を知ってる」
その声に、空気が変わった。
クラウスも目を細める。
「根拠は」
「分からない」
「だが、そんな感じがする」
屋上の女性は、レオンと目が合うと。
静かに背を向けた。
まるで、“来い”と言うみたいに。
◇
学園屋上。
夜風が吹いている。
月明かりが、白い石床を照らしていた。
白ローブの女性は、その中央へ静かに立っている。
近くで見ると、さらに異質だった。
銀髪。
白いローブ。
金色の瞳。
だが何より。
空気が違う。
まるで周囲から少し浮いているような感覚。
リリアーナが警戒する。
「……あなた、何者ですか」
女性は静かに振り返った。
そして。
小さく笑う。
「安心して」
「敵ではないわ」
「そう言う人ほど怪しいです」
「ふふ」
否定しない。
レオンは、彼女から目を離せなかった。
知らないはずなのに。
妙に胸がざわつく。
「……どこかで会ったか」
女性の瞳が、少しだけ揺れた。
「覚えていないのね」
「何を」
女性は少しだけ寂しそうに笑う。
「東の塔」
空気が止まった。
リリアーナが息を呑む。
レオンの目も細くなる。
「……何でそれを知ってる」
女性は静かに月を見る。
「あなたが十歳の時」
「東の塔の窓から、外ばかり見ていた」
「雨の日も」
「雪の日も」
「ずっと」
レオンの呼吸が止まる。
誰にも話していない。
東の塔の記憶。
女性は続ける。
「雷の本を読んでた」
「神霊伝承も」
「王国史も」
「外の世界へ行きたかった」
一拍。
「でも、“どうせ自分には価値がない”って諦めようとしてた」
リリアーナがレオンを見る。
レオンは何も言えない。
全部。
当たっている。
「……何者だ」
今度は低い声だった。
女性は静かにレオンを見る。
その瞳は、どこか優しかった。
「私は、セレスティア」
一拍。
「黒蒼雷を知る者よ」
その瞬間。
バチッ――。
レオンの神霊輪が、勝手に反応した。
黒蒼の火花。
セレスティアは、その雷を見る。
懐かしそうに。
少しだけ悲しそうに。
「やっぱり」
「目覚めたのね」
レオンが低く問う。
「……黒蒼雷って何だ」
セレスティアは静かに答えた。
「王国が、一番隠したかったもの」
夜風が強く吹いた。
リリアーナの背筋へ寒気が走る。
王国。
黒蒼雷。
そしてレオン。
全部が繋がっている。
セレスティアは、まっすぐレオンを見る。
「あなたは、失敗作なんかじゃない」
「最初から特別だった」
レオンの胸が、小さく揺れる。
東の塔で、何度も否定された言葉。
価値なし。
無能。
失敗作。
でも。
目の前の女性だけは、真逆を言った。
セレスティアは静かに微笑む。
「だから王城は、あなたを怖がった」
「……怖がった?」
「ええ」
一拍。
「あなたが“黒蒼雷”を継ぐ存在だから」
空気が変わる。
リリアーナが息を呑む。
レオンは静かにセレスティアを見る。
彼女は、まだ何か知っている。
黒蒼雷。
東の塔。
そして。
自分自身のことを。
セレスティアは月を見上げる。
「時間がないわ」
「赤眼は、まだ終わってない」
「王城の闇も」
「これから、もっと深くなる」
一拍。
「だから」
金色の瞳が、真っ直ぐレオンを見る。
「あなたは、自分が何者なのかを知る必要がある」
その言葉。
夜空の下で。
止まっていた運命が、静かに動き始めた。




