第101話「変わり始めた学園、無能王子は“自分の居場所”を少しずつ知っていく」
王城使節団が去った後。
医務棟には、妙な静けさが残っていた。
誰もすぐには喋らない。
先ほどまでの空気が重すぎたのだ。
王命拒否。
それは、本来なら簡単に口にしていい言葉じゃない。
まして相手は王城。
王国そのもの。
普通の貴族なら、その場で膝をついていた。
だが。
レオンは断った。
真正面から。
迷いなく。
そして。
それを見ていた全員が、もう理解していた。
東の塔で捨てられた“無能王子”は。
もう、どこにもいない。
「……ふぅ」
アルベルトが大きく息を吐き、椅子へ背中を預けた。
「緊張したぁ……」
「今さらですの?」
エリシアが呆れたように言う。
「いや、だって相手あのタイプだぞ?」
「“私は感情ありません”みたいな顔しながら嫌味言ってくるやつ」
「確かに少々鬱陶しかったですわね」
「少々どころじゃねぇよ」
アルベルトは肩を回す。
「でもまぁ」
一拍。
「スカッとはした」
その視線がレオンへ向く。
「王命断るとか普通やらねぇし」
「そうか」
「そうかじゃねぇ」
アルベルトが笑う。
「お前、自分で思ってるより大分ヤバいことしたからな?」
「分かってる」
「本当に?」
「たぶん」
「お前最近その返し多いな!?」
リリアーナが即座に割って入る。
「駄目です」
「今の“たぶん”は絶対分かってないやつです」
「……」
否定できない。
レオンが黙ると、リリアーナがさらにじとっとした目を向ける。
「それに」
「王命断るなら断るで、もっと自分を大事にしてください」
「ん?」
「“もう従わない”って言うなら、ちゃんと生き残らないと意味ないんです」
真っ直ぐな声だった。
レオンは少しだけ目を細める。
昔なら。
自分がどうなろうと構わなかった。
でも今は。
“生きろ”と言ってくる人間がいる。
それがまだ少し、むず痒い。
「……努力する」
「今度はちゃんと聞きましたからね?」
「……ああ」
エリシアが口元を隠して笑う。
「本当に弱いですわね」
「誰がだ」
「リリアーナ様に」
「違う」
「違いません」
即答だった。
アルベルトまで頷く。
「うん、完全に弱い」
「認めろ」
「認めません」
レオンが真顔で返す。
だが。
その空気は、もう以前みたいな重苦しさではなかった。
笑いがある。
軽口がある。
ちゃんと、“日常”になり始めている。
その時だった。
コンコン――。
再び扉がノックされる。
全員が一瞬だけ警戒する。
だが。
「し、失礼します……!」
入ってきたのは、女子生徒だった。
二年生くらい。
茶髪の少女。
かなり緊張している。
その後ろには、男子生徒も数人いた。
「……?」
レオンが首を傾げる。
少女はレオンを見るなり、勢いよく頭を下げた。
「あ、ありがとうございました!!」
室内が止まる。
「え?」
リリアーナが瞬きする。
少女は真っ赤な顔で続けた。
「その、わたしたち!」
「避難遅れてて……!」
「前庭近くにいたんです!」
「でも黒い雷が結界みたいになって、瓦礫から守ってくれて……!」
男子生徒も慌てて頷く。
「俺も見た!」
「最後、空から赤い杭いっぱい降ってきた時!」
「黒い雷が全部落としてた!」
「マジで死ぬかと思ったんです!」
レオンは少し黙る。
そんな細かいところまで見えていなかった。
必死だったから。
でも。
助かっていたらしい。
「だから、その……!」
少女が再び頭を下げる。
「ありがとうございました!」
後ろの生徒たちも続いた。
「助かりました!」
「ありがとうございます!」
「レオン様!」
“レオン様”。
その呼び方に、レオンは少しだけ目を見開いた。
昔は。
王族として呼ばれても、そこに尊敬なんて無かった。
哀れみ。
侮蔑。
失望。
そういうものばかりだった。
でも今は違う。
目の前の生徒たちは、本気で感謝していた。
レオンは少し視線を逸らす。
慣れない。
こういうのは。
「……気にするな」
短く返す。
少女が少し困ったように笑う。
「そういう返し、なんかズルいです」
「何がだ」
「もっと偉そうでもいいのに」
「面倒だ」
その返しに、生徒たちが小さく笑った。
空気が和らぐ。
その時。
別の男子生徒が、おずおずと前へ出た。
「あ、あの」
「何だ」
「黒い雷……」
一拍。
「すげぇ、かっこよかったです」
レオンが止まる。
横でアルベルトが吹き出しかけた。
エリシアも笑いを堪えている。
リリアーナは少し誇らしそうだった。
「……そうか」
レオンは短く返す。
でも。
ほんの少しだけ。
耳が赤かった。
リリアーナが気づく。
「……ふふ」
「何だ」
「なんでもないです」
完全に面白がっている顔だった。
その後、生徒たちは見舞いの花や焼き菓子を置いて帰っていった。
部屋には、少し不思議な空気が残る。
アルベルトがにやにやしながら言う。
「人気者じゃん」
「違う」
「いや違わねぇだろ」
「英雄扱いされてんぞ」
「向いてない」
「顔赤かったくせに」
「赤くない」
リリアーナが即答する。
「ちょっと赤かったです」
「味方が増えた……」
レオンが小さく呟く。
エリシアが笑う。
「諦めてくださいまし」
「もう学園側は、かなりレオン様寄りですわ」
「王城側は嫌がるだろうな」
アルベルトがニヤリと笑う。
「“無能王子”のはずが、学園の英雄になってるし」
その時。
廊下の方が少し騒がしくなった。
「ん?」
リリアーナが扉を開ける。
すると。
そこには大量の箱が積まれていた。
「……何これ」
ミーアが一枚の紙を見る。
「差し入れ一覧……ですね」
「果物」
「菓子」
「栄養薬」
「花束」
「……ぬいぐるみ?」
アルベルトが爆笑した。
「誰だよぬいぐるみ送ったやつ!!」
リリアーナも吹き出す。
「人気者すぎません!?」
レオンは完全に困った顔になっていた。
「……何でこうなる」
「好かれてるんです」
リリアーナが笑う。
「助けたから」
「名前を守ったから」
「みんな見てたんですよ」
レオンは廊下の箱を見る。
数日前まで。
自分へ向けられる感情なんて、ほとんどなかった。
でも今は。
こんなにもある。
温かいものが。
少しだけ、胸の奥へ落ちていく。
その時。
レオンの視線が、ふと窓の外へ向いた。
屋上。
誰かがいた気がした。
白いローブ。
金色の瞳。
風に揺れる銀髪。
だが。
瞬きをした時には、もういない。
「……まただ」
小さく呟く。
エリシアが反応した。
「何かありましたの?」
「いや」
レオンは少し考え。
「誰かに見られてる気がする」
その瞬間。
部屋の空気が変わった。
クラウスが静かに目を細める。
「敵か?」
「分からない」
「殺気は?」
「ない」
むしろ。
妙に静かだった。
敵意とも違う。
観察。
確認。
そんな感じ。
リリアーナが少し不安そうにレオンを見る。
「……怖いですか?」
レオンは数秒黙り。
そして、小さく答えた。
「いや」
一拍。
「でも、何か知ってる感じがする」
黒蒼雷。
神霊。
そして、自分自身。
あの金色の瞳は。
全部知っているような気がした。
まだ見えない。
だが。
物語の奥にある“何か”が、確実に近づいてきている。
そして。
レオン自身もまた。
少しずつ変わり始めていた。
守るために。
逃げないために。
そして。
自分の居場所を、失わないために。




