三話 『 つまらない考察 』
途端、沈黙が一時、場を包んだ。
枝葉に落ちる雨だれの音がやけに大きく聞こえ、グチャリとぬかるんだ足元が埋まる様に動きを滑らせる。息を詰める様な驚きを上げるミーナが急にアグニの服を強く掴んだのは、足を取られて転びそうになったから。自分の背中に張り付くミーナを振り返り、目線だけで気を付けろと注意を促すアグニは、視線を周囲の警戒に戻しながら相手からの返答を待ち、舌打ちを鳴らす思いで眉を寄せた。
(しかし……ヒデェ状況だ)、と。
粘性を増した雨の一粒が、森に立ち込める強烈な臭いが、アウラの光さえなければ閉ざされてしまう視界が、まるで意思を持って足を滑らせてくるようなぬかるんだ地面が――そして、暗殺者に襲われている今という現状すべてが、酷かった。
(敵といっても生き物を殺すのは気分のいいもんじゃねぇし、人の形してたら尚更だ。なにより、狂戦士のあの形相と皮膚を裂くほどに肥大化した筋肉の様相は忌避感を与えてきやがるしな。さすがは暗殺者。陰険だよ)
それに、とアグニは思考を切り替える。
(なんで今なのかって理由は、まあ、一つしかねぇよな)
つまりは〝尾を飲み込む円環の大蛇〟の存在が重要だった、という事だ。
(そりゃそうだ。おっさんの話じゃ、ミーナの親父さんたちはバナコーラの王様から命令されて指輪の研究をさせられてたみてぇだし、殺された理由だって、指輪を返したくないっつー親父さんの信念があったからだ。その信念を曲げずに突き通した結果が、あの時の暗殺者からの『アルマディウス家は裏切った』って言葉に変換されたんだろうしな。来るかどうかも分からねぇグロウス城下町で暗殺者が十カ月も潜伏していたのだって、それだけミーナの胸に掛かった指輪が大事なもんで、必ず取り戻せって命令があったんだろう。つーことは、だ。逆に考えりゃ、それだけ情報が無かったって事だ)
指輪の在り処が分からなかった。だから取り逃した目標を追いかけてきた。
(二日前に襲ってこなかったのは、生き残った親類であるミーナが指輪の情報を持っている可能性があったから。今になって襲ってきたのは『空間をループさせる〝聖域結界〟によって、後を付けてきていた暗殺者集団の前から姿を消した後、また見えるようになった時には結界を視認できたから』。ヘルズネクトのこんな場所に〝聖域結界〟なんて高位結界魔術があったとなれば、そこに何があったのかも確信に近い予測が立つ)
けれどそれは、矛盾する考え方だった。
(状況として、ミーナを追いかけるなら、なんでその両親を手にかけた?)
そう、暗殺者がアルマディウス家を襲った時には、効果を発現させる方法と、在りか以外の全ての情報が揃っていなければおかしいのだ。そうでなければ、伝説にある指輪の効果をどうすれば引き出せるのか、指輪が隠された場所はどこなのかという、重要な二つの情報を聞き出す前にアルマディウス夫妻を殺す利点が無い。
(つっても、バナコーラの王様がどんな奴なのか知らねぇし、もしかしたら気が逸り過ぎてついうっかり殺せって命令を出しただけかもしれねぇけど……でもだったら、殺しても惜しくない大まかな情報を手に入れていたから、っていう流れの方が呑み込みやすくはなる、か)
例えば。場所の詳細は別として、指輪が隠してあるのは大陸最大の谷であるヘルズネクトだという知っていたら? 指輪の効果を発揮させるための方法などもうすでに手に入れていたとしたら? 広大で強力過ぎる魔物が徘徊する谷であるヘルズネクトを端から端まで探す労力と、いなくなったミーナを見つけて何らかのヒントを得る苦労を天秤にかけ、後者の方が効率いいと判断したなら? あるいは、どちらも並行して行っていたとしたなら……?
(まあ、ミーナが指輪に関して何かを知っていたなんてことはないみたいだけど、それを暗殺者連中が知ってる訳でもねぇし、万一説明する機会があっても信じるはずはねぇ。しかも、二日前に俺たちがした質問からヘルズネクトに行こうとしてることもばれたとなりゃ、ミーナが親の隠した秘密をこっそり取りに行くんだと勘違いされたって不思議はねぇーって事か)
つまりは、指輪がヘルズネクトにあることを知ってはいてもなかなか見つけられなかったバナコーラ側は、二日前に偶然見つけた生き残りであるミーナがヘルズネクトに行くという情報を手に入れて尾行していたという事だ。しかも、偶然が重なっただけであっても、事実ミーナは指輪を手に入れてもいる。これでは言い訳の仕様も無い。
(言い訳なんて初めからするつもりもねぇけど、ここまで相手の都合の良い展開に転がると泣き言の一つも頭を過るな)
アグニは酷い状況にクッと奥歯を鳴らしてから、後ろをついてきているミーナとジョイズ・モントレーを横目で窺った。視線を周囲の警戒に戻しながら、泣きそうに眉を寄せて口を尖らせるミーナに小さく問いかける。
「なあ、ミーナ。ちょっと聞きてぇンダが」
「ふぇ……?」
「ミーナの父ちゃんは、研究資料や研究結果をいつもどうしてた?」
「んと、ね」、と。
人間を殺す事への自己嫌悪や、それでも生きていたいから引き金を引いていた罪の意識、そして自分の親を殺した連中の手が直接入れた紅茶を飲んでいた事実を聞かされて、涙をこらえるのもそろそろ限界になっていたミーナだったが、それでもアグニを見上げて口を動かした。
「……あ、あたしが事故を起こしてから、別館にあった研究室にはあんまり入ったことないし、父様も研究の話をしてくれなかったから良く分からないけど……研究室におっきな金庫があったのは覚えてる。金庫の、人で言う額辺りに手のひらぐらいのガーネットって石がはめ込まれてて、持ち主以外には絶対に開けられない封印術が掛かってた……多分、あの宝石に魔力を溜めて、長い時間の封印を維持してたんだと思う……けど、どうして?」
アグニはミーナからの答えに「いやなんでもねぇ……」と一言返すと、足を動かしながら思案に戻る。
(おいおい、くそったれだなあ、おい。『持ち主以外には絶対に開けられない金庫』なんてなあ――ってことは、ミーナが襲われたあの日に……いいやおそらく、それ以前に研究結果も国王や暗殺者連中の手に落ちていたと考えていい。そもそも国王様からの命令で調べてたんだ。途中結果だって伝わっていて不思議はねぇ。だから襲撃されて、殺された。自分が必要な知識を手に入れたら、それ以外の連中に情報が洩れて良い事はねぇ。しかも〝永遠〟なんていうとんでもない物が手に入る情報なら尚更だ。最新の資料だって、やっぱりその日には暗殺者連中が手に入れられる構図になってるしな)
そしてもし、自分が考えていることが現実として起こっていたとするならば……。
(ああ、ヒデェ状況だ。酷過ぎるって言った方が良いくらいだ……)
アグニは状況の酷さを飲み込んで、未だ返答の無い闇に向かって口を開くのだった。
正当な怒りと這いよる足音




