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七話 『 大王は裏方に徹す 』

 ジョイズ・モントレーを旅立たせた日の夜、青く淡い魔法の光に揺れる絢爛豪華な部屋に一人佇むグロウスは、執務机から角の生えた小さな兎の硝子細工を取り出して、クリーム色のアウラを輝かせた。拳の中に収まる程度のそれには魔法陣が刻まれていて、魔力を込める事でグロウス城下という一定範囲の特定の者と思考を交わす『遠話術式』を発動させる。

「(知っての通り今日、ヘルズネクトに騎士達を差し向けたが、どうだ様子は?)」

 頭の中に僅か生まれる空白の時間で息をつき、グロウスは相手からの応答を待つ。小豆を洗うような音がノイズとして数秒流れ、フツ――と、他人と思考が繋がる不思議な感覚が体を包むと、重たくも透き通った女の声が頭に届く。

『――おや、こんな時間に王様から連絡が来るなんて、珍しい事もあるもんだ……幾ら忙しいからと言って、不摂生は良くないんじゃ、ないか?』

 相手が一国の王だという事を忘れているような軽口だった。一般的な王なら不敬だと喚くだろうが、しかしグロウスに気にした様子は微塵もない。

「(歳の所為か眠れんのよ。それもここ一年のごたごたがあってから、益々に酷い。そなたに見張らせている間者が今日も大人しくしていたなら、眠れる気がするのだが)」

『それは、難儀だね。そして、難儀とは重なる物だよ』

「(と、言うと?)」

『想像通り、間者が動いた。間者本人に、重役というポストを王様が与えてくれていたおかげで、動きは簡単に分かったけどね。どうやら、ヒントを見つけた、らしい』

 軽口を叩く女の意識に僅かノイズが混じる事に気づきつつ、けれどグロウスは女の素性を知っているからこそ、その事を気にせずに話を促した。

「(ヒントとは、『秘密』を手に入れる為のか)」

『さあね。二人連れの片割れ、娘の方が、どうやら例の一族の生き残りらしくてね。しかもその二人、ヘルズネクト攻略に、参加しているらしいときたもんだ。……それがどう話に繋がっているのかは、まあ、血縁を考えればそう難しいことじゃ……』

 その瞬間、グロウスは目を見開いた。驚きに思考が鈍くなる。

「(――今、何と言った?)」

『なんだ、聞いてなかったのかい?』

 こっちも暇な体じゃないんだがね……とわざわざ言い置いてから、

『連中は例の一族、アルマディウスの生き残りの娘を見つけたらしいのさ。そしてその娘は、今日の攻略作戦に参加してもいる。どう考えても『秘密』に近づく為だろうね』

 ジ、ジジッと女の意識に走るノイズは落ち着くどころか少しずつ荒さを増していき、念話を続けるのに少々不都合が生じるほどになっていった。

 本来、それは普通ではない。思考をダイレクトに繋げる魔法に混ざるノイズなど、寝起き直ぐの混濁した意識状態や、体を動かしている最中の『力み』に応じて起こる〝思考の阻害〟くらいだからだ。

 だがその異常に、今のグロウスは気付けるだけの余裕を失っていた。

「(……娘が……侯爵の娘が、生きておったと?)」

 グロウスの脳裏に浮かぶのは、会った事も無い侯爵からの手紙の内容と、激しい後悔に似た安堵だった。

「(そうか娘は、侯爵の娘は生きる事が出来ているのか……)」

 その時の思考が女にも伝わり、女は離れた場所で口角を愉快気に持ち上げた。

『王様らしい。優しい思考で何よりだよ。その優しさを、あたしの様な人間にも分けてくれれば、さらにいいんだがね?』

「(それは……)」

『……冗談だよ。そんなに申し訳ない、なんて考えないでくれ。捨てられていたあたしを拾って、育ててくれた恩を……忘れた訳じゃないんだ』

「(むう……)」

 グロウスは窓際まで移動して、長く蓄えた白い髭を撫でた。

 王国隠密(おうこくおんみつ)諜報官(ちょうほうかん)

 他国への潜伏や、他国の密偵を密偵する。それが女に与えた仕事だった。

 騙し、脅し、惑わせ、時に殺す。その肉体に備わった、あらゆる能力を使わせて。

 女にさせる行いではない事など誰よりも、もしかしたら女以上に分かっているグロウスは、女が雨の中でも薄汚れた少女だった頃を思い出して、溜息の様な息を鼻から抜く。けれど、すぐにその情景を頭から追い出すと、自身に毅然を取り戻した。今はそれを考える時ではない。

「(まあよい。間者が動いているのなら、こちらもその後を追えばよいのだ。その娘がヘルズネクト攻略に参加しているなら、間者の動きも既に分かっているのだろう?)」

『ああ、分かってるよ。分かっちゃいるが……どうにも後手後手感が半端じゃあない』

「(後手に回っている? それはどういう……)」

 しかし一国の王の疑問に対して女は、

『待ちなよ、王様……そんな事は、今は……話している場合じゃないん、だ。B24で待機中でね……』

 ぶつ、と。話を途中で断ち切ることを返答とするように、通信を一方的に切った。

 やはり国の王を相手にするには些か勝手が過ぎるが、それがこの王国隠密諜報官という女だと理解するグロウスは、女の勝手を気に留めることをしない、どころか、むしろグロウスには珍しく、ようやく女の状況に意識が追いついて眉を寄せていた。

「|話している場合ではない《、、、、、、、、、、、》……か」

 思案し目を細めるグロウスは、手のひらに乗った硝子のウサギにもう一度魔力を注いで、今度は城詰めの騎士に命令を飛ばす。

 ――B24へ救護員を送れ、と。

(あ奴め、何故素直に助けてくれと言えんのだ……)

 呆れたように溜息を吐き出して、それからそっと窓枠へ硝子の兎を置くと、昨日はやたらと賑やかだった一軒の店を眺めて、友である頑強な体躯の持ち主を思い浮かべた。

(……私を良き王と呼んでくれる我が強盛たる騎士ジョイズ・モントレーよ。私が本当に良き王ならば、孫ほども歳の違う娘に間諜などさせるものだろうか?)

 年老い、落ち窪んだ眼窩に長年の苦悩を染み込ませた瞳を暗く輝かせ、

(私は、玉座の背丈に見合うだけの事を、しているだろうか?)

 グロウスは苦汁を大きな刷毛で塗り込めた様な皺だらけの顔を、すっと撫でた。

 ーーそのとき。骨ばって枯れ枝のようになった指が、顔に深く刻まれたリュートの弦の様な皺を弾いた瞬間、失笑もついでに、くい、と口角が持ち上っていた。

「ふふ、はは、ははははは……あー、まったく。私という人間は、今更にも程というものがある。やらねばならぬ事を前にして、惑っている場合ではないよなあ」

 己を馬鹿にした様な小さな笑いを喉の奥から絞り出して、ここにはいない友に尋ねる。

 そしてグロウスは、王の表情を自身の老いた顔に張り付けて、部屋を後にした。

 一つの国の王としてやらねばならぬ事をやり遂げ、顔も知らぬ友と、旧知の友との約束を果たす為に。

「侯爵、そなたの願い、いまこそ果たそうぞ。我が豪胆たる騎士ならば、必ずやそなたの願いを守り抜いてくれよう」

 そこにはもう、歳さらばえ、髭を長く蓄えた好々爺などいなかった。

 余りにも大きな背をした一国の王が、静かにそびえていた。

次回 「 もう一つの戦い 」

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