第2話:【仮面の少女はちっちゃくて口が悪い】
仮面の奥から、明らかに殺意のこもった声が飛んできた。
「コロスゾ、オマエ……!?」
「待って待って待って!!話し合おう!?まず深呼吸しよう!?ほら、ヒッヒッフー、ヒッヒッフー……!」
反射的に両手を上げる。
さっきから降参ポーズばかりしている気がするが、命には代えられない。
だが相手は、まったく聞く気がないらしい。
「何処が深呼吸だテメェ。助けてやった恩人に対して第一声がそれって舐めてんのか?」
「え……あ、もしかしてさっきの氷って……」
背後を振り返る。
完全に凍り付いたガンロック先生――もといアイスロック先生(仮)が、その場で静止していた。
改めて仮面の人物を見る。
「キミがやったの?」
「他に誰がいると思ってる」
「え、すっご……」
素直な感想だった。
あんな意味不明な怪物を、一瞬で止めたのだ。
普通にすごい。
「…………は?」
仮面の奥で、ぽかんとした顔をしている気がした。
「あー……いや、普通に尊敬するレベルなんだけど!いや本当に助かりました!」
ぺこりと頭を下げる。
さらに勢いのまま、その手を両手で包み込んだ。
「命の恩人だ……!」
完璧だ。
これで「背ちっちゃいっすね」は帳消しになったはず。
そう確信した次の瞬間――
「……はぁ……」
呆れたようなため息。
「調子狂うな、オマエ」
(よし、許された!)
彼は心の中でガッツポーズした。
「まあいい。助けてやったんだ、報酬は貰うぞ」
「うんうん、報酬ね――……ほうしゅう?」
「100万ゼル」
「絶対高いよね!?」
即答だった。
いや待て待て待て!命の恩人なのは分かる。
でもいきなり100万はおかしい。
「命助けた見返りが安いわけねぇだろ。ちなみに1ゼルもマケる気はねぇからな?」
イリスの視線が、ふと止まる。
黒紫色の籠手。
ナナシの左腕を覆う、異形の装甲。
「……つーか、さっきから気になってたんだけどよ」
「ん?」
「その籠手、なんだ?」
低い声だった。
さっきまでの軽口とは違う。
明らかに警戒している声音。
ナナシは左腕を見る。
「いや、自分も分からないんだよね」
「分からないで着けてんのか?」
「いや、だって…目覚めた時から着いてたから……」
「……」
イリスが黙る。
仮面の奥から、じっと籠手を見ていた。
「……外せるのか?」
「え?」
「だから、その気味悪ぃ籠手だよ」
言われて、ナナシは慌てて左腕を引っ張る。
「えーっと……うおっ、全然取れない」
びくともしない。
まるで皮膚と一体化しているみたいだった。
「……チッ」
小さな舌打ち。
「なんか知ってるの?」
「……いや」
イリスは短く否定する。
だがその視線は、明らかに何かを考えていた。
「あ………!フッ……」
彼は何かに気づき静かに目を閉じた。
「……どうした?」
「いや、まあまあ。少し待って」
落ち着いた声音で言いながら自身のポケットを探る。
右ポケット、何もない。
左ポケット、何もない。
内ポケット――あった。
「おっ」
取り出したのは、掌サイズの白い鍵だった。
やけに綺麗で、装飾もない無機質な鍵。
「……なんだそれ」
「うん……自分も知りたいです」
「は?」
「いや、今のところ持ち物これしかないみたいなんだよね」
沈黙。
(あ、これまずいやつだ)
彼は咳払いをひとつした。
「……そうだ、ツケで――」
「今すぐコロスカ?」
「ごめんなさいぃぃぃぃ!!」
即土下座だった。
地面に額を擦りつける勢いで叫ぶ。
「自分、記憶ないんです!!名前も何も分からないんです!!そんな奴がお金持ってるわけないじゃないですかぁ!!」
「……記憶が、ない?」
トーンがわずかに落ちる。
彼は顔を上げた。
「はい!目が覚めたら雪の中で、変な籠手ついてるなあって思って気付いたら岩に追いかけられてました!」
「情報量が多すぎる……」
仮面の奥から、深いため息が漏れる。
「くっそ……完全に助け損じゃねぇか」
「ほんとすみません!」
「じゃあその鍵はなんだ」
「それも分からんのです!」
「くそっ…!チッ……」
舌打ちが刺さる。
(泣きそう)
「オレはタダ働きが嫌いなんだ」
腕を組み、こちらを見下ろす。
「100万ゼル分は働いてもらうぞ」
「へい!なんでもやりますぜ旦那!」
「誰が旦那だ!!」
鋭いツッコミが飛ぶ。
「すみません!じゃあ白仮面の怪しい人!!」
「お前よりは怪しく……あ゛ーッもう!!」
苛立ったように叫ぶと、勢いよく仮面を外した。
現れたのは――
息を呑むほど整った、美少女だった。
輝くような銀色の髪に――
黒曜石みたいな黒い瞳。
雪景色の中に立つその姿は、まるで人形みたいに儚い。
だが。
「次ふざけたらマジで凍らせるからな?」
口が悪い。
めちゃくちゃ口が悪い。
(あ、でもやっぱちっちゃいな)
「今、絶対失礼なこと考えただろ」
「いえ全く」
「絶対考えただろうが、アァン?」
ジト目で睨まれる。
怖い……いや、怖くはないかもしれない。
なんか小さいし。
「チッ……まあいい。オレはイリスだ」
少女は面倒臭そうに髪をかき上げる。
「呼び方は好きにしろ」
「へい!イリスのアネゴ!」
「誰がアネゴだ…?マジでコロスぞ……!」
拳がぷるぷる震えている。
(好きにしろって言ったじゃん!)
「ん…そういやあ……」
イリスは、ふと口を開いた。
「名前は?」
「へ?」
「オマエの」
言われて、気付く。
本当に、自分には名前がなかった。
何も思い出せない。
どこで生まれたのかも。
何をしていたのかも。
どうしてこの籠手を着けているのかも。
何ひとつ。
「……名無し、みたいなもんなんだよね」
「名無し?」
「うーん……ん?」
少し考えて、彼は肩をすくめた。
「……じゃあ、自分の名前、ナナシ…とか?」
軽い冗談のつもりだった。
だがイリスは数秒黙り込んだあと、
「……ダセェな」
即答した。
「ひどくない!?」
そんな彼を見ながら、イリスは呆れたように息を吐いた。
「でもまあ、呼びづらいよりはマシか」
「え?」
「オマエ、今からナナシでいいだろ」
その瞬間。
不思議と、その名前が少しだけ自分に馴染んだ気がした。
「……あ、そっか…ナナシ、か」
ぽつりと呟く。
名無しのまま。
何者でもないまま。
それでも今、自分は確かにここにいる。
「よし!じゃあ改めまして!」
彼――ナナシは勢いよく立ち上がった。
「これからよろしくイリス!」
「距離感どうなってんだオマエ……」
呆れた声が返ってくる。
だがその時だった。
――ミシリ。
背後から、嫌な音が響いた。
「……え?」
振り返る。
そこには――
全身を覆っていた氷を砕きながら、ゆっくりと動き出すガンロック先生の姿があった。
「『ォォオオオオオ……!!』」
「いや生きてんのかよおおおおおお!?」




