第13話:【ご注文はメルムですか?】
「おい、終わったぞ」
振り向くと、男の胸がかすかに上下していた。浅いが、確かに呼吸が戻っている。凍りついていた肌にも、わずかに色が差し始めていた。
だが――イリスの眉が寄る。
「これ、普通の凍傷じゃねぇな」
低く呟き、男の様子を観察する。その視線が、ただの回復確認のそれじゃない。
「魔力が……減ってる」
「……は?」
ナナシの中で、さっきの言葉がよみがえる、寄生、喰う。
「……メルム」
そんなバカなと頭を振った瞬間、男の手がぴくりと動いた。
「……む……ら……」
かすれた声。震える指が、前方を指す。
雪の向こうに、小さな影が見えた。建物がいくつか並んでいる。
「む……め…と……むら……が……」
そこで男の意識が途切れる。
リガンが立ち上がり、軽く周囲を見回した。
「なんかこのまま放っとくわけにもいかねぇ感じだな。おにいさん、少しここで休んでな〜」
軽い口調だが、その目だけは笑っていない。
イリスが舌打ちする。
「面倒ごとの匂いしかしねぇけどな」
ナナシは無言で頷いた。
三人は視線を交わし、そのまま村へ向かって歩き出す。踏み出すたびに、雪を踏み潰す音だけがやけに大きく響いた。
近づくにつれて、違和感ははっきりと形を持ち始める。
人の気配が、ない。
煙も立っていないしそもそも生活の音が、一切しない。
風の音すら、どこか遠い。
「……静かすぎるな」
イリスが低く呟く言葉にナナシも同じ感覚を抱いていた。
近づくほどにその違和感ははっきりとした形を持ち始めていた。
まず、匂いがないのだ、雪の匂いでも、木の匂いでもない。生活の匂いだけが、綺麗に消えている。
「……やっぱりおかしくない……?誰もいなさすぎる……」
ナナシが小さく呟く。
イリスは答えないが、その歩幅がわずかに落ちた。
やがて家々が見えてくる。
扉は閉まっているが、閉めたというより“放置された”ような違和感があった。
軒先に干されていた布は凍りついたまま揺れている。誰も取り込んでいない。
足元で、カラ、と乾いた音がした。視線を落とすと、木製の玩具が雪に半ば埋もれている。
ナナシはそれを見下ろしたまま、ぽつりと呟いた。
「……子供、いる村だよな……」
返事はない。風が吹き、玩具がわずかに転がる。その小さな音だけがやけに大きく響いた。
リガンがふと足を止める。
「……あー、これはぁ……」
いつもの軽い声だが、どこか低い。
「結構ヤバいやつかもねぇ」
ヘラヘラとしているリガンの目は笑っていなかった。
ナナシの背筋に、ぞくりとしたものが走る。“来るべきじゃなかった”そんな感覚が一瞬だけ頭をよぎる。だが、足は止まらない。
ギシ、と、どこかで何かが軋んだ。
ナナシは反射的に振り向く。
そこに――人が、立っていた。
だが、その姿はどこかおかしい。
不自然な程体全体が黒く塗りつぶされたようなヒト型。
そして何より体の動きが噛み合っていない。片足を引きずるように一歩踏み出したかと思えば、次の瞬間には不自然な角度で止まる。
関節が、まるで別の何かに引かれているみたいにぎこちない。
ゆっくりと、こちらを向いた。
「……ッ」
イリスが息を呑む。
ナナシの視線が、その顔に釘付けになる。
目は開いている。
だが――焦点が合っていない。
その奥で、何かが蠢いているように見えた。
黒く塗りつぶされたような肌をさらに黒い影が波打つように這う。
そして、わずかに、脈打つ。
口が、動いた。
「……グ……ダ……イ……」
かすれた声。
だがその音の奥に、別の音が混ざる。
「……タ……ス……」
言葉が途切れる。
喉が震え、音が歪む。
「……グワゼ……」
その瞬間、身体がびくりと跳ねた。
意思とは無関係に、何かに引かれるように。
次の瞬間――
「グワゼログワゼログワゼロオオオオオオオオオ!!!」
それが、地面を抉るような勢いで走り出した。




