第12話:【魔法、使えませんでした】
雪が、静かに降っている。
だが積もる気配はない。地面に触れたそばから、淡く溶けて消えていく。
吐く息は白く、指先にじんわりと冷えが染みていた。
その中を、三人は進んでいた。踏みしめるたびに、湿った土と雪がぬかるんだ音を立てる。
「……チッ……いつまで降りやがんだ、ここは」
先頭を歩くイリスが、面倒くさそうに空を仰ぐ。
仮面越しでも分かるほど、その声には苛立ちが滲んでいた。
「いいじゃねぇか〜〜」
後ろから、気の抜けた声が飛ぶ。
「ノルディカ寄りだったら今頃もっと悲惨だぜ〜?あ、でもせっかくだし雪だるまくらいは作りたかったな〜〜」
「ガキくせぇ……」
振り返りもせず、イリスは吐き捨てる。
その後ろで、ナナシは黙って歩いていたが――ふと口を開いた。
「……ねぇ、リガン」
「ん〜?」
「ゴーレムに取り憑いてたやつ。メルムって言ったよね」
「ああそうだ、オマエ色々知ってんだろ。教えろ」
イリスが仮面をわずかにずらし、横目で鋭く睨む。
「いやいや、そんな睨まなくても話すって〜〜…ウオッホン!」
リガンは両手を軽く上げ、芝居がかった咳払いをひとつ。
「まずメルムってのは、ただの粘液生命体。いわゆるスライム系の魔獣だ、弱くて脅威度も最低クラス。子供でも倒せる定番――ってのが、まあ普通の認識だね」
「……へ?」
ナナシが足を緩める。
「……ああ、オレの知ってるのもそれだ」
イリスは短く頷くが、ナナシは納得できない。
「ちょっちょっ……!あれが!?」
「あはは……そうだよなあ〜〜」
リガンは一瞬だけ前を見た。
その目の奥の色が、ほんのわずかに変わる。
「――だが、最近は違う」
声が、わずかに落ちた。
雪の降る音が、やけに大きく感じられる。
「あいつら、ある時から“寄生”するようになった」
ナナシの足が一瞬止まりかけるが、すぐに歩みを戻す。
“寄生”という言葉だけが、妙に頭に残る。
「寄生した相手の力を使う。能力も、そのまま引き出す」
リガンは続ける。
「で、さらに厄介なのが――相手を選ばない」
「……それって……」
ナナシの喉がわずかに鳴る。
「動物も、無機物も、ヒトも」
あっさりと言い切った。
空気が、少しだけ重くなる。
「だからさっきみたいな監査局が動いてるわけ、表に出せない案件を処理する連中なのよ」
イリスは何も言わない。
だが、その歩幅がほんのわずかに狭くなっていた。
「じゃあ、それってかなりヤバいってこと?」
「そういうこと。しかも今回のはゴーレムに寄生して、最後にはヒト型まで取り始めてた」
ナナシの脳裏に、あの顔が浮かぶ。
瞳、意思。
そして――あの、濁った怒りのような感情。
「……なんだったんだ…あれは……」
忘れようと頭を振る。
その時――視界の端に、違和感が走った。
白の中に混じる、歪な影。
「……あれは……?」
ナナシは足を速めた。
近づくにつれて、それが人の形だと分かる。
雪に半ば埋もれるように、男が倒れていた。
「おい!」
駆け寄ると、肌は青白く、指先は紫に変色している。
息も浅く、今にも消えそうだった。
「これ…凍傷になってる……!」
「どけ、ナナシ」
イリスが前に出る。
虚空に手をかざすと、空間がわずかに歪み――赤黒い魔導書が現れる。
空気が、張り詰めた。
仮面が外れ、瞳が赤く染まる。
「目録展開」
【検索開始】【該当数:1】【覇刻:蒼再刻】
ページがひとりでにめくれ、止まる。
淡い光が、本の隙間から滲み出す。
「巡れ水脈、命を繋げ―蒼再刻」
イリスの手から、柔らかな青い光が溢れる。
それは男の身体に触れ――
凍りついた皮膚を、ゆっくりと“ほどいていく”。
凍りついていた男の指先には、かすかに血色が戻り、硬直していた皮膚が柔らかさを取り戻していっているのがわかる。
「……おぉ………すごい……」
ナナシは思わず息を呑む。壊れかけていた命が、まるで時間を巻き戻すみたいに静かに繋ぎ直されていく。その光景が現実のものだと理解するまで、わずかな間が必要だった。
魔法――という言葉が、ようやく実感を伴って胸に落ちる。
ナナシは視線をイリスの手元に残したまま問いかける。
「ねぇ、リガン……魔法ってさ…自分も、ああいうの使えたりするのかな……」
その声には、隠しきれない期待が混じっていた。
「無理だな」
だが答えたのはリガンではなくイリスだ。
返答はあまりにも早かった。
「え」
間の抜けた声が漏れる。ナナシが顔を上げると、イリスは視線すら寄越さず、淡々とした口調で続けた。
「そもそもオマエ、魔力ねぇし」
一瞬、言葉の意味が理解できない。冷たい空気が、やけに重く感じられた。
「いやいやいや、ちょっと待って。そんなサラッと言う!?」
慌てて食い下がると、イリスは面倒くさそうに僅かだけ顔を向ける。
「普通はな、魔力には多少の流れがある。オマエはそれが一切ねぇ」
「……流れ?」
「魔力の流れだ。見りゃ分かる」
「魔力ってそんな感じでわかるもんなの!?」
ナナシはリガンを見て問いかけると
「いやいや、普通はわからんのよ?イリスが特別なだけで」
「……じゃあ、自分って魔法使えないってこと?」
「そうだ」
迷いのない断言だった。
「えぇぇ……」
思わず肩が落ちる。胸の奥で膨らんでいた期待が、あっけなくしぼんでいくのが分かった。
(魔法……使ってみたかった………)
その様子を見て、リガンが小さく微笑む。
「まぁ、イリスが言うならそうだろうしねぇ」
軽く歩み寄り、ぽん、とナナシの肩に手を置いた。
「……残念、だったな?」
「その言い方ちょっとムカつくんだけど!?」
ナナシが顔を上げると、リガンはいつもの調子で肩をすくめていた。
張り詰めていた空気が、わずかに緩む。だがナナシの中には、割り切れない何かが引っかかったままだった。




