第8話 そのときには
「そのときには…」
それは、2人の初めての約束だった
俺たちは組合を後にした。
ミナは依頼書を胸に抱え、半歩先を歩いている。
さっきもらった角砂糖の包みは、鞄の奥へ丁寧にしまっていた。
歩きながら依頼書を開き、ミナは念を押すように書かれた内容を指でなぞる。
「……東区画、ラムズ鍛冶工房。即時開始。うん、間違いない」
小さくうなずいて依頼書をたたみ、胸に抱え直した。
「急ごう」
その一言で歩調がひとつ上がり、俺も黙って隣に並んだ。
組合の区画を抜けて東区画へ入ると、景色が急に変わった。
道幅が広くなる。石畳は継ぎ目まで掃き清められ、植え込みは同じ高さで揃っている。
黒鉄の門柱の上には大きな看板が掲げられ、白い文字で「ラムズ鍛冶工房」と書かれていた。
「……大きい看板だね」
「うん…凄いね……東区って、ほぼラムズの街なんて話は聞いたことあるけど…」
門前には警備員が四人いた。
俺たちが近づくと、全員が同時に一歩だけ前に出る。
まず依頼書を渡す。
相手は手元の控えと依頼書を見比べ、組合の発行印と受付印を慎重に確認した。
次に登録カード。刻まれた番号を読み上げ、別の紙に書き写す。
そこでやっと、通路の脇に立つもう一人がうなずいた。
確認はそこで終わらなかった。
鞄を開けて中身を見せる。ミナの腰袋の中も見せるように言われる。
ミナが袋の口を広げたとき、金貨が一枚、光をはねる。
警備員の眉が一瞬だけ動いたが、ミナが依頼書を示して「前金です」と言うと、無言で記録に書き込んだ。
続いて鞄の中身を改められ、奥の小さな紙包みに警備員の手が止まる。
「これは?」
「角砂糖です。組合で貰いました」
ミナがそう答えると、警備員は紙包みを持ち上げ、折り目を少しだけ開いて中身を確認した。
持ち込み品は一つずつ読み上げられ、項目ごとに記録される。
「退出時、同項目で再照合します」
そう告げると、警備員は入口脇の小さな台を指さした。
そこには膝ほどの高さの台が据えられていた。
天板の中央に、四角い金属板がはめ込まれている。
脇には針の付いた丸い計器と、青白く光る小石が取り付けられていた。
「片足ずつ、板の上へ」
俺が先に乗る。
板がうっすら光って、計器の針が少しだけ振れた。
警備員は一度だけ頷く。
次にミナ。
右足を乗せた瞬間。
計器の針が跳ね上がって、端まで行って戻らない。
警備員の顔が曇る。
「もう一度、やり直せ」
ミナが言われるまま乗り直す。
今度は最初より強く光り、針が目盛りの外へ振り切れた。
近くにいた警備員同士が、小声で言い合う。
「高すぎる」
「宮廷魔術師級でも、こんなの聞いたことないぞ」
空気が一瞬止まった。
すぐに年配の警備員が前に出る。
「器具を見ます」
年配の警備員は計器の側面を開け、中の石を入れ替え、配線を押し込み直した。
それから、自分の手を何度か板にのせ、針の動きを確認した。
「……よし。もう一度、そちらの方」
ミナが言われた通り、再び片足を板に乗せた。
次の瞬間、針がまた大きく跳ね、目盛りの端で細かく震える。
警備員たちの間に、短い沈黙が落ちた。
年配の警備員が低く言う。
「測定台の故障。魔力値が異常に跳ねている。機器不調として記録」
若い警備員が言われた通りに記録する。
「入場を許可します。先へどうぞ」
年配の警備員が手を上げた。
「入構許可。訪問区画は主配管回廊のみ」
「退出時も同様に照合します。入構札は外さないでください」
若い警備員が金属の札を二枚持ってきて、紐を通し、俺たちの首に掛ける。
札の表には訪問区画、裏には入場時刻が刻まれていた。
俺たちは札を首から下げて、門の内側へ進んだ。
中へ入った瞬間、思わず足が止まる。
広い。とにかく広い。
正面には、ひときわ大きい建屋があった。
白い作業服の人たちが同じ間隔で並び、巨大な円筒を組み上げている。
鐘が鳴るたび、全員の手がいっせいに次の動きへ切り替わった。まるで一つの生き物みたいだ。
左手の建屋は、熱気がむき出しだった。
赤く焼けた金属の管や留め金が積まれ、種類ごとに分けて並べられている。
搬入口では、何頭もの馬に引かれた大きな馬車がひっきりなしに出入りしていた。
大きな音を立てながら、荷台いっぱいの管材を積んだ馬車が出ていく。
「……すごい」
ミナが立ち止まったまま、目の前を見上げる。
「旧市街の工房と、ぜんぜん違う……」
俺も同じ方を見て、素直にうなずいた。
「うん。すごいね」
ミナは依頼書を胸に抱え直し、少しだけ声を落とした。
「……なんか、緊張してきちゃったかも」
言いながら、もう片方の手で俺の袖の端をつまむ。
その小さな力だけで、ミナの不安が伝わってきた。
思い返せば、ここまで何度もミナに引っ張ってもらってきた。
だから今度は、俺が返す番だ。
俺は、袖をつまむミナの指先に、そっと手を添えた。
ミナがほんの少しだけ目を見開く。
うまく言えなくてもいい。
そう決めて、俺は息をひとつ吸った。
「大丈夫! おれがいるだりょ」
大事なところで、俺は噛んだ。
ミナは一瞬きょとんとして、瞬きをふたつ。
「……だりょ?」
復唱した自分でおかしくなったみたいに、ミナは口元を押さえて笑う。
「かっこいいー」
からかうように笑ってから、ミナはふっと表情をやわらげた。
「頑張ってくれてありがと、ソラ」
袖をつまんでいた指の力が、ふっとゆるんだ気がした。
「ラピス・ギルドのお二人ですね」
背筋の伸びた職員が二人、音もなく近づいてきた。紺の制服、胸に銀の徽章。
「代表がお待ちです。こちらへ」
案内の職員に続いて、俺たちは棟の奥へ進んだ。
磨かれた通路を抜け、金属の扉を一つくぐる。
そこで空気が変わった。油の匂いが濃い。
通された先は整備場の一角で、作業台の上には配管図が広げられ、片隅に使い込まれたレンチが置かれている。
その作業台の前に、肩の広い大柄な中年の男が立っていた。
口元には短く整えた髭。腕まくりしたシャツに、使い込まれたエプロン、太い指には古い火傷跡が残っている。
「来たか!」
低く太い声が響いた。
「俺がラムズだ!」
職員が一歩前へ出る。
「代表、こちらが…」
「いい、口上は抜きだ!」
ラムズは片手で職員を下がらせ、俺たちを順に見た。
「で、名前は!?」
「ミナです!こっちはソラ」
ミナは勢いよく言ったあと、慌てて頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします! あ、えっと、がんばります!」
ラムズは一瞬だけ黙り、俺の方をちらりと見た、次の瞬間に豪快に笑った。
「ははっ、いい! 変に取り繕わねえ方が俺の性に合う!」
ラムズは配管図をざっとまとめて握り、顎で通路の奥をしゃくる。
「行くぞ。この棟は見た目は綺麗だが、中身は古い。 お前のスキルで見抜けるか試させてもらう」
そう言うなり、ラムズはそのまま歩き出した。
ミナは反射みたいにその後ろへ付き、俺はその背中を追った。
少し進んだところで、ラムズが振り向かないまま言った。
「おい、坊主。俺はテメーの仕事中に、女のケツの後ろにいる男は信用しねえ、お前はどっちだ」
「け……けつって……」ミナが小さく声を上げる。
ラムズは気にせず手だけをひらひら振った。
俺は少しだけ息を飲んで、ミナの前に出た。
ラムズに連れられて、最初に入ったのは天井の高い通路だった。
床は磨かれ、壁は白塗り。表示板も新品みたいに見える。
頭上と側壁には太い配管が何本も走っている。
「ここが主配管回廊だ」
先を歩くラムズが、振り向かずに言った。
だが俺の目には、別の景色が重なった。
赤い数字。
継ぎ手の上、弁の根元、固定具の脇。
視線を配管に沿って走らせるたび、赤いカウントダウンが引っかかった。
年単位の数字に混じって、短いものが四つだけある。
23日
16日
9日
3日
「……短いのが四つある」
思わず声が漏れた。
ラムズが横目で見る。
「見えるのか? どこだ」
俺は順に指さした。
「分岐のここ。次にその先の弁の根元。あと床下の固定バンド裏。最後に、その奥の曲がった管」
「どう見えるんだ?」
「寿命が数字で見える。いちばん短いのは3日」
ラムズはすぐ工具箱を引き寄せた。
「よし。まず3日の場所からやる。ミナは記録、ソラは手を貸せ」
ラムズは点検口へ行く前に、区画の元栓へ向かった。
バルブを閉め、札を掛け、簡易の鍵を通す。
「まず流れを止める。これをしないで外すと、一気に噴く」
ラムズは札を指で弾いた。
「札と鍵は、誰かが間違って開けるのを防ぐためだ」
次に、下流側の小さな弁を少し開く。
「シュー……」と短い音がする。
「中に残った魔力を逃がしてる。音が消えて、計器がゼロになるまで待て」
針がゼロまで落ちるのを見て、ラムズはうなずいた。
「これで安全だ」
ラムズは問題の継ぎ手に目を向ける。
検知器を継ぎ目に近づけてから、留め金を順にゆるめる。
取り外すと、内側は腐食し、当たり面に細いひびが入っていた。
「……当たりだな」
「ミナ、記録しろ。ソラ、交換管を持ってこい」
ラムズは外した菅を俺に見せ、端を指で叩いた。
「この刻印。同じ印の管を持ってこい。棚の札にも同じ印がある」
俺は外した菅を手に、棚へ走った。
札の印と見比べて、同じ管を一本選び、長さを並べて確認してから戻る。
ラムズは受け取ると、外した側をワイヤブラシでこすり、布で拭いた。
「ここに汚れが残ると、すき間ができる。すき間ができると、また漏れる」
ラムズは指で表面をなぞる。
「段差なし。欠けなし。これで付けられる」
新しい菅とパッキンを入れ、軽く締めて位置を合わせる。
ずれがないのを確認してから、向かい合う順でしっかり締めた。
「いきなり強く締めるな。まず軽く留めて位置を合わせる。確認してから強く締めろ」
ラムズは抜き弁を閉め、元栓をほんの少しだけ開いた。
「いきなり全開にするな。少しづつだ」
ラムズは継ぎ目に検知液を塗る。
「漏れ確認だ。泡が出なければ問題ない」
しばらく見ても泡は立たず、ラムズは小さくうなずいた。
「一本目、交換完了だ」
ラムズは休む間もなく立ち上がり、次の箇所へ向かった。
二本目は固定バンドの裏。被覆が裂け、にじみが出ている。
三本目は曲管の継ぎ目。金具の縁が痩せて、色も変わっていた。
ラムズは一本目と同じ手順を迷いなく繰り返す。
俺は言われる前に工具を渡し、管を支え、ミナは時刻や内容を記録していった。
作業の合間、俺は奥へ続く配管を見た。
年単位の赤い数字が、いくつも見える。
その視線に気づいたのか、ラムズが声を飛ばした。
「まだあるのか?」
「あります。数は多いです。でも、どれもまだ寿命は残ってる」
俺が答えると、ラムズは短くうなずく。
「この四つを終わらせたら、位置と残り時間を全部書き出す」
ラムズはレンチを持ち直した。
「時間があるのは計画交換で潰していく」
三本目が終わると、ラムズは四本目の前でレンチを俺に差し出した。
「次はお前だ」
「……俺が?」
「もう覚えただろう。やれ」
ラムズはそこで工具箱の脇にどかっと座り込み、腰の水筒を抜いて一口飲んだ。
「俺は見学だ。手順を飛ばすなよ」
俺は息を吸って、はっきり返した。
「はい。やります」
それからミナを見る。
「ミナ、手伝って」
「うん、わかった」
俺は元栓へ向かい、バルブを閉める。札を掛け、鍵を通す。
抜き弁を少し開くと、短い音と一緒に残圧が抜けた。
計器を確認して、古い菅を外し、刻印を確認する。
俺は顔を上げてミナに声をかけた。
「ミナ、これと同じ刻印の交換管を一本」
「すぐ持ってくる!」
ミナが持ってきた交換管を受け取り、当たり面を磨いて拭く。
欠けがないか指で確かめ、新しい管とパッキンを合わせる。
軽く留めて位置を決め、まっすぐ入ったのを確認してから強く締めた。
抜き弁を閉め、元栓を少しずつ戻す。
最後に継ぎ目へ検知液を塗る。
俺とミナは、そろって息をのんで継ぎ目を見つめた。
泡は出ない。
「……出てない」
ミナが小さく呟く。
もう一呼吸ぶん待って、俺はうなずいた。
「うん。漏れてない」
次の瞬間、俺たちは顔を見合わせて笑った。
「やった、漏れてない!」ミナが弾んだ声を上げた。
「できた!」俺が思わず声を上げる。
ミナはすぐにしゃがみ込み、記録帳を開いた。
「交換時刻…場所…管の刻印……劣化の状態……」
小さく確認しながら、てきぱき書き込んでいく。
俺はその横で立ち尽くした。
読めないし、書けない。
手伝いたいのに、何をすればいいのか分からない。
「ミナ、俺、何かやることある?」
「うん。外した管、回収箱に入れてくれる?」
「わかった」
言われたとおり運び終えて、またミナを見る。
「ほかは?」
ミナは手を止めずに、やわらかく笑った。
「ありがとう。あとは私がやるから、ソラは少し休んでて」
そう言われて、俺は小さくうなずいた。
浮いていた気持ちが、ゆっくり落ち着いていく。
それを見ていたラムズが、口の端を上げた。
水筒を揺らしながら俺の横に来る。
ミナに聞こえないくらいの声で、ラムズが耳打ちした。
「あんな子、早くツバ付けねえと、誰かに取られちまうぞ」
「は……?」
俺は返事に詰まる。
「なに? 二人でこそこそ」
ミナが首をかしげる。
「こっちの話だ」
ラムズはそう言って肩を揺らし笑った。
そこから先は、やることがはっきりした。
ラムズは作業場の端に腰を下ろし、見守る役に回った。
「危ないと思ったらすぐ止めろ。手順は省くな」
最初にそれだけ言って、あとは俺たちに任せた。
俺は赤い数字を順番に拾っていく。
寿命の短い管はその場で交換し、寿命がまだ残っている管は、位置と寿命を記録して、後日の交換へ回す。
その流れが噛み合って、作業は驚くほど順調に進み。
夕方には、全ての菅の交換と記録が終わっていた。
ラムズは図面と記録票を見比べ、深くうなずいた。
「……よし。俺からの依頼はここで完了だ」
そう言って、腰の革袋から金貨を取り出す。
まず四枚、机に並べた。
「これは約束の残りだ。前金一枚は渡してあるから、これで報酬五枚」
続けて、さらに五枚。硬い音を立てて、金貨が重なる。
「こっちは上乗せだ。想定よりずっと仕事が早くて正確だった」
ラムズは俺たちを見て、口の端を上げた。
「それだけの仕事をしてくれたってことだ」
ミナが目を丸くする。
「えっ……こんなに?」
ラムズは豪快に笑った。
「受け取っとけ。また頼むぜ!」
ミナは重なった金貨とラムズの顔を見比べた。
「あ、ありがとう」
と、少し遅れて頭を下げる。
腰の子袋を開いて、金貨を丁寧に袋へしまう。
なにやら動きがぎこちない。目の焦点が合っていない気がする。
俺も頭を下げた。
「ありがとうございました」
ラムズは鼻で笑って、俺の肩に腕を回した。
「礼はいい。俺もソラにツバつけてるだけだ」
「腕のいいやつは、すぐ他所に持ってかれる。…女もな」
ミナがむっとした顔で割って入る。
「ソラに変なこと言わないで」
「年長者からの金言ってやつだ!」
ラムズは腹の底から笑っていた。
俺たちはラムズと別れ、門へ向かった。
帰りも止められると思っていたが、門前の警備員は四人そろって敬礼した。
「お疲れさまでした!」
なんの検査もなく、門はすぐに開いた。
ミナが少し目を丸くした。
「もう出ていいの?」
少し拍子抜けしたまま、俺たちは外へ出た。
門を離れるころには、空は茜色に染まっていた。
しばらく無言で歩く。
背中に鉄の匂いが残っていて、手にはまだ作業の感触が残っている。
先に口を開いたのはミナだった。
「ラムズさん、最初こわい人かと思ったけど、良い人だったね」
「うん。丁寧に仕事を教えてくれた」
少し間をおいて、ミナが腰の袋をそっと押さえる。
「……それに、金貨十枚だよ」
「うん」
「なんか、まだ信じられない。夢みたい」
ミナは小さく笑って、でも目はどこか潤んでいた。
「昨日まで、ほぼ無一文だったのに…」
俺は頷く。
「俺も、手がふるえてる。ほんとに稼げたんだって、実感してきて…」
それだけじゃない。もう、自分の気持ちを誤魔化さなくていいからだと気づいていた。
ミナがこちらを見る。
「ソラ、今日はありがとう。すごかった」
「ミナがいてくれたから、できた。ほんとに」
「ううん。ソラがいたからこそだよ」
「それでも、ミナが支えてくれたから、やり切れた」
「じゃあ、半分こだね」
「うん。半分こ」
二人で笑って、また歩き出す。
「これなら、きっとうまくやっていける」
ミナが前を向いたまま言う。
「もう……昨日までみたいに怯えなくていいんだね」
「そうだな」
風が吹いた。
夕焼けの光が石畳を長く照らす。
そこで、俺は自分の気持ちを誤魔化すのをやめた。
仕事を覚えた。
自分は稼げる。
ミナを守れる。
彼女を幸せにできる。
そばにいたい……
俺は足を止めた。
「ミナ」
「ん?」
ミナは足を止め、肩越しにこちらを見た。夕風で髪が揺れる。
俺は息をひとつ吸って、言った。
「俺が、たくさん稼いで、もうお金の心配がいらなくなったら……そのときには…」
その先は飲み込んだ。
まだ今は、言うべき時じゃない。
ミナは口元だけをそっとゆるめ、視線を夕焼けに流した。
「うん。続きは、そのとき聞かせて」
胸の奥で、俺は静かに決意する。
稼いで、守って、ちゃんと隣に立てる自分になる。
二人で歩き直した。
旧市街の灯りが近づいて、鍋の匂いが夜風に混じって流れてきた。




