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第6話 晩餐

厨房からイナクの大きな声が響いた。

「まずはソラに、俺の料理の腕を分からせないとな!」

次の瞬間、鍋をかき回す音が止まった。

代わりに、皿が置かれる乾いた音が、立て続けに鳴る。

湯気が立ち、匂いが重なり、木のテーブルの上が一気に埋まっていく。

玉ねぎの甘い香りと、香草の青い匂い。

そこに焼けた魚の脂の匂いが混じって、鼻の奥が勝手に反応する。

油のはぜる音がまだ奥で小さく鳴っていて、いままで厨房にあった熱が、そのまま流れてきたみたいだった。

俺は並べられた料理を見て、思わず息を飲んだ。

「……すごい」

ナルが両手を広げる。

「ソラ君の歓迎会だからね!」

ミナも頷いて、少しだけ胸を張った。

「今日は大漁だもん、たくさん食べてね!」

テーブルの上には、皿と椀がずらっと並んだ。

四人はテーブルに座り、料理を囲んだ。

座るとすぐにイナクが言った。

「まずは、カブのスープから飲め」

ミナが木のスプーンを俺に渡す。

「熱いから、ふーってしてね」

俺はとっさに感じたことを口に出した。

「……子ども扱い?」

「え、そんなつもりは……嫌だった?」

そう言われると返答に詰まる。

「あ……嫌とかじゃないよ」

ナルが音もなく、俺に顔を近づけて言った。

「そういうこと言うと、言ってもらえなくなっちゃうよ」

ナルの顔はなんだかにやにやしている。

少しこの子の人となりが分かった気がした。

俺はスープをスプーンですくって口に入れた。

塩気が先に来て、そのあとに野菜の甘さが追いかけてくる。

カブは舌の上でほどけて、にんじんは柔らかくて甘い。

喉の奥がじんわり温かくなって、そこから身体全体が熱を持つ。

「……うまい」

声が素直に出た。

ナルが勢いよく頷く。

「でしょ! まずスープで胃を起こすのが、イナク流!」

次に目に入ったのは、鍋からよそった黒っぽい煮込みだった。

ミナが少し声を弾ませて言う。

「それ、ソラが獲ったナマズ」

皿の上で、白い身がほろっと崩れそうになっている。

汁は濃く、玉ねぎが溶けてとろみになっていた。

木のスプーンで身をすくう。

口に入れた瞬間、意外なほどあっさりしている。

香草の苦みと香りが、臭みを押さえ、後から深い味わいが来る。

「魚なのに……肉みたいだ」

俺が言うと、ミナも嬉しそうに頷いた。

「今日のは大きかったもん」

すると、ナルが急に生活の知恵を出してくる。

「ナマズの浮袋はね、お肌にいいんだよ」

「……浮袋?」

「そう、干してスープに入れるの」

「だから、ほら、私もミナもツヤツヤ美肌」

ナルが言うので、思わずミナの顔を見た。

肌が白くて、近くで見ると本当にきれいだ。

茶色い髪は少しくせがあって、光が当たるとふわっと揺れる。

黒い目は、笑うと小さく反射して、きらきらと光って見える。

なぜだろう、目が離せない。

ミナが俺の視線に気づいて、少しだけ口元を上げた。

「どうしたの? ソラ」

「……いや」

言われて目を離した俺を見て、それまで黙々と食事していたイナクが会話に入ってくる。

「そういうのをな、見惚れるって言うんだ。俺にも覚えがある」

ナルが俺の方を見て、これみよがしにニヤニヤしている。

ミナが割って入った。

「二人とも、そういう変な、からかい方やめてよね」

ミナの口調が軽い。いつものことという感じだ。

イナクが肩をすくめる。

「すまん、すまん」

ナルは笑ったまま、俺を横目で見ながら、

「はーい」

俺は返す言葉が見つからなくて、視線を逃がした。

その先に、香ばしい匂いのする皿があった。

ザリガニだ。殻ごと炒めてある。

玉ねぎの薄切りが絡んで、香草が散っている。

ミナが俺に食べ方を教えてくれた。

「まず、頭は外す。で、尻尾をこう持って殻を取る」

「こう?」

「うん。中身だけ出して。あと、手、汚れるよ」

「もう汚れてる」

俺は笑って、言われた通り殻を取った。

ぱちっと音がして、中身が白く出てくる。

噛むと、ぷりっと弾む。

塩気と香ばしさが強くて、思わずもう一口いきたくなる味だった。

ナルが、ザリガニを文字通りかじりながら言った。

「これね、殻も旨いんだけど、慣れてないと口の中が大変なんだってさ。だからソラ君は中身だけ食べなよ」

「え? 殻って食べられるの」

「私が食べる!」

即答だ。

ミナが横でくすっと笑って俺に言った。

「そんなのナルしか食べれないよ」

ナルは平然とザリガニを殻ごとボリボリと大きな音を立てて食べている。

あれは慣れとかの問題なのだろうか……。

すると、しばらく黙っていたイナクが俺に言った。

「一瞬でも見惚れた相手が、殻ごとザリボリ女じゃなくて良かったな。お前は運がいい」

たしかに、あのミナが、返す刀でザリボリしていたらショックだったかもしれない。

横の小皿には、小さなエビが盛ってあった。

揚げたというより、油で炒ってある感じで、表面が軽く焦げている。

香草の粉がまぶしてあって、指でつまめる。

口に入れると、ぱりっとして、次の瞬間に甘い。

油がしつこくなくて、香草の香りが最後に抜ける。

「これ、止まらないやつだ」

俺が言うと、ミナが得意げに言った。

「でしょ。私、これ好き」

ナルが「私も!」と手を上げた。

テーブルの端には、房ごと茹でたそら豆が山盛りで置いてあった。

房を割った瞬間、ふわっと甘い匂いが立つ。

熱が指に移って、湯気みたいに香りが上がる。

豆を口に入れると、ほくっとほどけて、あとから甘みが追いかけてきた。

青い香りが残って、塩がそれをきゅっと締める。

ナルはというと、房をそのまま平然と食べている。

「房、うまいよ?」とでも言いたげな顔で、もぐもぐ噛んでいた。

イナクがそれを見ながら俺に言った。

「白い綿の部分は食える、房は食えん」

そのとき、イナクがふっと立ち上がった。

「メインディッシュといくか」

それだけ言って厨房へ引っ込む。

すぐ奥で、何かを炙る音がした。

じゅっ、と短く脂が弾ける音がした。

炭と魚の匂いが一気に濃くなる。

イナクが戻ってきた。

手には串。湯気はないのに、熱だけが見える。

炭の香りをまとったまま、無言で皿を置く。

ミナが目を輝かせた。

「来た」

ナルが身を乗り出す。

「え、なにそれ!」

イナクは返事の代わりに、串を一本ずつ並べていく。

全部で四本。どれも黒く香ばしく焼けていて、脂が薄く光っている。

「……ウナギ?」

俺が言うと、ミナが応えた。

「今日の。特別!」

ナルが小さく声を漏らす。

「やば……これ、絶対うまいやつ」

ミナは咳払いを一つして、

「……食べよ」

串のウナギは、皮が軽く焦げていて、身の表面に塩が薄く乗っている。

タレはない。

だから香りが、まっすぐだ。魚の脂と、炭の匂い。

一口かじった瞬間、脂がふわっと広がる。

次に塩気が来て、最後に香草の香りが鼻に抜ける。

俺は思わず、変な声を出した。

「うわ」

ナルが「出た、うわ!」と笑う。

ミナが横で、肩を揺らして笑った。

「美味しいね」

「うん。うまい」

イナクは黙ったまま串をかじっている。

表情は変わらないのに、口元だけが少し上がっていた。

ウナギの串を食べ終えた頃、腹の奥がじんわり温かくなっていた。

満腹ってこういう感じか、と今さら思う。胸の奥まで満たされていくみたいだ。

ただ、ナルだけは終わらない。

俺たちが剥いたザリガニの殻を寄せ集めて、口に放り込み、ボリボリと噛んでいる。

「ナル……それ、ほんとに食べるの?」

「うん。おいしいよ」

当たり前みたいに言われて、俺は返す言葉がなくなった。

イナクは黙って空いた器をまとめ、皿を重ねた。

一度だけ俺たちの様子を見て、何も言わずに厨房へ運んでいく。

ミナが俺のほうを見て、身を乗り出した。

「ね。おいしかったでしょ」

「うん。すごく美味しかった」

「でしょ。イナク、料理の名人なんだから」

言い方はいつもの調子なのに、少し誇らしそうだった。

俺は辺りを見回してみた。

厨房の奥でイナクの音がする。

ナルが食べる音がする。

ミナが俺の横で笑っている。

この景色が、妙に落ち着く。

「いい……仲間だね」

俺が言うと、ミナは一瞬だけ目を丸くした。

それから、少し照れたみたいに笑った。

「でしょ。……うち、こんな感じ」

俺は腹の奥の温かさを確かめるみたいに息を吐いた。

こんなに楽しい食事は、ひょっとしたら初めてだったかもしれない。

“一緒に食べる”って、こういうことなんだろうか。

気になっていたことが、口から出た。

「あのさ」

「なに?」

「最初の登録者……サラ・ラピスさん……ってどんな人だったの?」

ミナの目が少しだけ揺れて、視線が一瞬だけ外れた。

俺はそこで、聞いたことを少しだけ後悔した。

「一人目は……私のママ」

「お母さん?」

ミナは頷いた。

「でも私、ママのことを覚えてないの」

「覚えてない?」

「うん。私が五歳の頃に死んじゃったから」

言い方が淡々としていて、ナルが殻を噛む音が少し大きく聞こえた。

ミナは続ける。

「ママは旧市街の生まれだったんだって」

「でも、すごい魔術の才能があって、それで、王宮に呼ばれて、宮廷魔術師になったらしい」

「宮廷魔術師……」

「うん。私は人づてでしか知らないけどね」

俺は頷いて、それから尋ねた。

「このギルドは、ママが作ったの?」

「うん。宮廷を出て、私を産んで……」

「私が五歳の時にギルドを作って、すぐ死んじゃったって」

ミナはそこで一度だけ息を吐いた。

それから、いつもの顔に戻す。

「だから、ラピス・ギルドは、看板だけ残ったみたいなもん」

「……ラピス」

そこで俺は、気づいた。

ギルドの名前。母親の苗字なのか?

「じゃあ、ミナの苗字もラピスなの?」

そう聞かれて、ミナはおかしそうに笑った。

「ちがうよ。ラピスはママだけ」

「え?」

「宮廷魔術師はね、王様から苗字をもらえるの。功績のしるしみたいな」

ミナは指で机をとん、と叩く。

「でもそれは、その人だけ。子どもには引き継げない」

「引き継げないんだ」

「うん。だから私はミナ。ただのミナ」

ミナは肩をすくめた。

それが寂しいのかどうかは、分からない。

でも、笑い方は軽かった。

「じゃあ、ギルド名は……」

「ママが自分で付けたの。いまは看板だけ」

言いながらミナは、この話を追い払うみたいに手を叩いた。

「はい、この話は終わり!」

「終わり?」

「今日はお祝いなんだから」

きっと……ミナにとって、あまり話したくないことだったのだろう。

俺はそう思った。

そのとき、厨房からイナクが戻ってきた。

空いた器が消えて、赤い殻も消えていた。

テーブルが少しだけ整っている。

イナクは短く言った。

「まだ食えるか。デザートだ」

ナルが元気よく答える。

「食える!」

ミナも首を縦に振ってから、俺を見る。

「ソラは?」

俺は腹の奥の温かさを確かめて、頷いた。

「……食える」

イナクが小さな椀を並べた。

湯気が立っている。甘い匂いが鼻に触った。

「さっきの赤い実!」

ミナが嬉しそうに言う。

イナクは頷くだけで、椀にとろりとしたものを落とした。

色は深い赤茶。粒が少し残っていて、とろりとしている。

ミナが木のスプーンでひとすくいして、口に入れる。

「……っ」

次の瞬間、顔がぱっと明るくなる。

「甘い!」

ナルもすぐ食べて、目を見開いた。

「やば! これ、やばい!」

俺も真似してひとすくい、口に入れた。

甘い。思わず瞬きをしてしまう。

「……なにこれ」

ナルが笑う。

「ソラ、顔が初めて甘味食べた顔!」

ミナも笑って、椀を抱えるみたいにしてもう一口いった。

「うま……幸せ……」

イナクは何も言わない。

でも、皆の反応を見て満足げだった。

満腹になると、急に眠気が襲ってきた。

今日一日、ほんとうに長かった。

登録。検査。池。収穫。野菜。歓迎会。

まだ一日しか経ってないのに、もうずっとここにいる気がする。

「もう、寝るね」

俺は椅子から立ち上がって、二階へ向かおうとした。

足が少しふらつく。

「ソラ」

ミナに呼び止められる。

振り返ると、ミナの手には布と桶があった。

「そのまま寝ないで。体、拭いてから」

「……拭く?」

「うん。汚れてるでしょ」

言われてみれば、指先にまだ池の匂いが残っている。

ミナは桶を置いて、布を掛けた。

「はい。ここでいいから」

「ここで?」

「今お湯を持ってくるね」

……とても面倒だ。

転生する前も、風呂が面倒だった気がする。疲れてると、なおさら。

ミナが小走りで戻ってきた。

鍋を両手で抱えていて、湯気が立っている。

桶に湯を注ぐと、湯気が鼻先をくすぐった。

「ほら。これで拭いて」

ミナが布を桶に浸して、軽く絞って渡してくる。

俺は受け取って、首筋から拭いた。

熱がじわっと沁みた。

泥と匂いがふっとほどけていくみたいで、思わず息が出た。

「あ……気持ちいい」

「でしょ」

ミナが満足そうに頷く。

俺は黙って腕を拭き、顔も拭いた。

体が軽くなっていく気がする。

「背中、拭くよ。上脱いで」

ミナが当たり前みたいに言った。

「エ?」変な声が出た。

返事を待たずに、ミナが布を温かい湯に浸して絞る。

「はやく、脱いでよ」

俺は慌てて上着を脱いだ。

次の瞬間、背中にじんわり熱が広がる。

「ま、まじか……」心の中で呟いて、俺は全身に力が入った。

温かくて、少しだけくすぐったい。

「背中……広いんだね」

ミナが笑って、丁寧に拭いてくれる。

不意打ちみたいな距離に、心臓が跳ねる。

俺は胸のざわつきを、ひとつ息で押し戻した。

これは、登録を急がせたことへの埋め合わせだ。

ミナは気を回してくれているだけで、特別な意味はない。

勘違いするな、と俺は自分に言い聞かせた。

「はい、終わり」

「……ありがと」

「いいって」

ミナはそのまま桶のそばにしゃがんで、俺が拭き終わるのを待っていた。

俺はひとしきり拭き終わって、布を握り直した。

……で、気づく。

まだ終わっていない。

「あの……」

「ん?」

ミナが顔を上げる。

俺は一瞬だけ目線を泳がせて言った。

「あの……下も拭きたいんだけど」

ミナはきょとんとした顔で俺を見た。

「……下?」

次の瞬間、意味が繋がったみたいに目が見開く。

「あっ……ごめん!」

「私は、向こうで待ってるから!」

「終わったら言ってね」

そう言い残して、ミナは早足に去っていった。

俺は一人で残りを拭いて、桶の湯で布をすすいだ。

温かさがまだ少し残っていて、妙に気持ちが落ち着く。

「……ミナ、終わった」

一階のほうへ声をかけると、すぐ返事が飛んだ。

「はーい! じゃ、おやすみー!」

ナルの声も混じる。

「ソラ君、おやすみー!」

俺は桶から離れ、階段へ向かった。

すると、背中に声が飛んできた。

「あ! ソラ! 歯磨きしてない!」

ミナの声だ。

俺は足を止めて、振り返る。

「ソラ! 戻ってきてー」

どうやら寝るまで、もう少しかかるようだ。

俺は階段を降り直した。

下で言われた通りに済ませて、もう一度階段を上がる。

二階は静かで、足音だけが少し響く。

部屋に入って、藁の寝床に潜り込む。

下からまだ小さな話し声と、食器の音が聞こえる。

目を閉じると、今日の出来事が遅れて押し寄せてきた。

でも考える前に、眠りのほうが早かった。

何も考える間もなく、俺は泥のように眠りについた。


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