第5話 私のギルド
組合を出ると、通りはまだ賑やかだった。
露天の声、肉屋の匂い、紙包みを抱えた人の笑い声。
さっきまでの部屋の空気が、少しずつ遠くなる。
ミナは歩きながら、俺の手元を一度だけ見た。
登録証明カードをしっかり持っている。
ミナは嬉しそうに言った。
「よし!」
そう言って、ミナは急に方向を変えた。
「ギルドに帰る前に寄り道するよ!」
「寄る?」
「晩ご飯の材料」
「約束したでしょ。美味しいもの、作ってあげるって!」
ミナは終始、鼻歌を歌って上機嫌だ。
街の端を抜けると、土の匂いが濃くなる。
途中、大きな桶を持った子どもと何度もすれ違った。
しばらくして、畑が見えて、風が少し冷たい。
道の先に、大きな家があった。
門があって、庭先に木箱が積まれている。働く人の姿もある。
旧市街の家とは、作りがまるで違う。
「少し、待っててね」
そう俺に言うと、ミナは迷いなく、その家の門のほうへ行って声をかけた。
俺は少し離れて待つ。
家から老婆が出てきて、ミナと何か会話をしていた。
短い会話が終わったのか、ミナが戻ってきた。
「何の話をしてたの?」
「あとで分かるよ。こっち来て」
ミナは門を背にして歩き出した。
畑のあぜ道を抜けると、足元の土が少し湿ってくる。
風の匂いが変わって、水の匂いが混じった。
土手の向こうに、ため池が見えた。
広くて、池の縁に小さな小屋がある。
「ほら、あそこ」
ミナは迷いなく土手へ下りて、ため池のほうへ向かった。
ため池は、思ったより大きかった。
小さな小屋の横に、網が丸めて置いてある。
ミナはそれを引っぱり出して、肩に担いでから俺の方を向いて言った。
「これより、晩ご飯の捕獲大作戦を始めます!」
何かが始まったようだ。
俺は池を横目で見て言った。
「この池で?」
「大丈夫だって。美味しいから」
そう言いながら、ミナは結び目をほどく。
「はい! どうぞ」
それを俺に渡す。
「え、俺も?」
「うん。今日は二人なんだから」
ミナは同じ網をもう一つ引っぱり出して、網の端を整える。
それだけで、手慣れているのが分かった。
「はい! 注目!」
ミナが急に先生みたいな声を出した。
「網はここ持って。手首は固めない。力抜く」
「力抜く?」
「うん。力むと網が丸まって、開かないし、遠くに飛ばない」
ミナは両腕を大きく上げた。
「ばんざーーい、って感じで、そのまま前に放る!」
「……ばんざい?」
「そう。ばんざい。やってみて」
俺も真似して腕を上げる。
「こう?」
「うんうん。いい! じゃあ、せーのー!」
二人で、それぞれの網を投げ入れる。
水面がばしゃっと鳴って、網が沈んだ。
ミナが俺をちらっと見て言った。
「今の投げ方、いい! 開いた」
「開いた?」
「うん。網がちゃんと開いたら勝ち」
ミナが先に引き上げに入る。
「引くときはね、急に持ち上げない。ゆっくりと寄せて、最後に、持ち上げる」
ミナの網が水面から上がる。
ザリガニが何匹も獲れていた。
「うわ、結構いる」
「いるいる。ほら、次はソラ」
俺も真似をして網を引く。
「お、重い……」
「え! 大物?」
ミナが、いきいきとしている。
「当たりかも!?頑張って、ソラ」
俺は腕に力を入れて、最後に持ち上げた。
網の中で、ぬるっと大きいのが跳ねる。
「え、なにこれ」
「ナマズだー!」
引き上げた網の真ん中に、立派なナマズが入っていた。
ミナの顔がぱっと明るくなる。
「やった! でかい!」
「でかいね!」
「今日、いい日だね!」
ミナは勢いよく桶を寄せる。
「ほらほら、逃げる前に!」
俺が網を傾けると、ナマズがどさっと落ちた。
桶の中で水が跳ねて、黒い背がバタバタと暴れる。
「見て! ほんとに大きい!」
ミナは身を乗り出して、目をきらきらさせた。
「ソラ、すごい! こんなの滅多にないよ!」
「……いや、おれは…」
言いかけて、喉が詰まった。
褒められると、反射で逃げようとする俺が、胸の奥にいる。
「むー……」
ミナは俺を恨めしそうに睨みつけた。
「ど、どうしたの?」
ミナは桶の中のナマズを掴み上げて、俺の顔に突きつけてきた。
「ちゃんと見なさい!」
ミナの目は真っ直ぐ俺を見ていた。
「ソラは凄いことをしたんだよ、ちゃんと見ないとだめでしょ!」
戸惑う俺を見て、ミナは俺の目を見るのをやめた。
ナマズを桶に戻して、水を跳ねさせた。
「私は……ちゃんと見て欲しい」
言い終えると、ミナは少しだけ唇を噛んだ。
俺は、どう返事をすれば良いのか分からなかった。
でも次の瞬間、ぱん、と手を叩いてミナは気持ちを切り替える。
「……よし」
ミナは網を取り直して、いつもの声に戻った。
「もう一回いくよ!」
ミナが即座に網を整える。
「せーのー!」
二回目。
三回目。
桶の中ではザリガニが暴れ、小さなエビがぴちぴち跳ねている。
投げるたびに、桶の中身が増えていく。
俺が次の網を引いたとき、重さがさっきと違った。
暴れる感じじゃないのに、妙にずしっと来る。
「……ん?」
網の中で、黒いものが一本、ぬるっと動いた。
「え、なにそれ……」
ミナが覗き込んで、声が弾む。
「ウナギ!」
「ウナギ!?」
「手で掴むと抜ける! 網ごと、桶に!」
俺が慌てて網を傾けると、ウナギがつるっと逃げかけた。
ミナが素早く桶を寄せて、網の口を押さえる。
「ほら! 落とす、落とす!」
次の瞬間、黒い線がどさっと落ちて、桶の中でくねった。
「やった! やった! 今日は本当にいい日だね!」
ミナは俺の手を取り、無邪気に喜んだ。
「すごい! すごいよ! ソラ、こんなに獲れたことなんか、なかったよ!」
俺は桶の中を見て、喉の奥を一度鳴らした。
今度はちゃんと見る!
俺は意を決して声を出した。
「ど……どんなもんだ!」
言った瞬間、自分でもぎこちないのが分かる。
「……ぷっ」
ミナが口元を押さえて笑って言った。
「かっこいー」
「笑うな!」
「いまの、すっごい頑張って言った顔してた」
「……うるさい」
ミナは楽しそうに笑いながら言った。
「でも、いいね、そういうの……もっと言って」
言えば笑うくせに……。
その後も何度か投げて、桶がさらに重くなる。
俺の腕が重くなってきたころ、何かが銀色に光った。
今までの獲物と毛色の異なる魚だった。
「あ! それはダメ、池に戻してあげて」
ミナの声が、さっきまでとは違う。
その魚だけは丁寧に網から外して、池に戻した。
そしてミナは言った。
「あの魚をこの池で育ててるの」
俺は言った。
「綺麗な魚だね」
「うん。すごく綺麗で、美味しくて、高く売れるみたい」
「へえ」
「だからあれは戻す。池のもの」
「じゃあ、他の生き物は?」
ミナが桶を見て言った。
「増えると困るやつ。獲った分はもらっていいの」
ミナが桶を覗き込んで言った。
「今日はすごく多い。大漁だね」
「お……俺がいたから?」
「うん! ソラがいたから」
俺の予想と違ってミナは笑わなかった。
ミナは桶の縁を叩いた。
「大事な戦力だね」
「そ……そうか」
「そう。戦力」
ミナが笑って、また網を投げた。
漁を終えて戻る道、桶が重い。
水の匂いと泥の匂いが手に残る。
ミナは平気そうに歩いている。俺はちょっときつい。
「持てる?」
「……持つ」
「えらい、おとこのこ~」
からかわれてるのは分かる。
分かるのに、妙に背中が押されるのが悔しい。
さっきの農家の門が見えてきた。
ミナが先に言う。
「もどったよー、トネさん」
門をくぐると、さっきの老婆がすぐに出てきた。
「おかえり。早かったね」
「うん。今日は新戦力がいたから」
ミナがチラっと俺を見る。
トネも俺を見る。
「へえ」
それだけ言われた。
ミナは持っている桶を見せた。
トネが覗き込んで、ふうっと息を吐いた。
「助かるわぁ。ほんと増えるのよ、これ」
トネの目がふっと鋭くなった。
「池のきれいなの、戻した?」
「戻した。あれは池のもの」
トネは俺の桶も見て頷いた。
「ずいぶん頑張ったね、おまけしとくよ」
そう言って、家から籠を二つ持ってきてドサっと置いた。
玉ねぎ、カブ、にんじん、そら豆、香草みたいな束、赤い実の小袋。
持ちきれないくらいの量だ。
「持って帰りな!」
「こ、こんなに?」
俺は思わず声が出た。
トネは俺の顔を見て笑った。
「頑張った分だよ。持ってきな」
ミナが俺の肩を叩いて言った。
「ほら、ありがたくもらうよ」
トネが少し声を大きくした。
「あのミナが男を連れてくるなんて、長生きしてみるもんだ」
その声に、庭先で木箱を運んでいた働き手たちが、いっせいにこちらを見る。
「そのお祝いも入っとるよ」
「男嫌いで、うちの孫たちとも、よう喧嘩しては泣かしとったのになあ」
「ちょっと! 変な言い方しないでよ」
ミナが即座に言い返す。
トネは笑ったまま、肩をすくめる。
周りの働き手たちも、くすくす笑っている。
「やめて!」
心なしかミナの耳が赤くなっているように見えた。
居心地が悪そうなミナが俺の視線に気づき、目が合った。
するとミナが目を逸らして、口を尖らせる。
「そういうの……だめだからね」
「え?」
「だめなの!」
ミナは桶を持ち、籠を背負って歩き出した。
俺も同じように荷物を持ち、ミナの後を追った。
帰り道は少しずつ荷物が重くなっていくようだった。
桶が重い。籠が重い。手が冷たい。
でもミナは機嫌がいい。
「今日は良い日だね」
……それ、何回聞いたんだろう。
ギルドが見えてきた。
営業時間は終えているはずなのに、明かりが残っている。
扉の前でミナが小さく息を整えた。
「……よし」
扉を押す。
中に入った瞬間、空気が違った。
瓶に挿した小さな花がいくつも並び、カウンターの端には飾り紐が渡してある。
奥には手書きの看板――「ソラ歓迎会」と書いてある。
「おかえりー!」
受付のナルが先に飛んできた。
厨房のほうからも声が飛ぶ。
「食材か! すげぇ量だな」
ミナが桶を持ち上げた。
「でしょ。今日は大漁だよ~」
ナルがパタパタ走ってきて、視線をちらちら合わせながら問う。
「それで……どうだった?」
ミナは笑って、俺の手を取ると、登録証明カードを軽く持ち上げた。
「合格。ちゃんと通った」
「やったー!」
ナルが両手を上げる。
厨房から体の大きな男が出てきた。
黙って桶と籠を受け取り、俺にだけ短く言った。
「俺はイナクだ。よくやった」
それだけ言って、また厨房へ戻っていく。
ナルが受付の横の壁にある札を指さして、俺のほうへ顔を向けた。
「ねえねえ、ソラ君、見て見て!」
「今日ね、ラピス・ギルド、登録者“二人目”なんだよ!」
「二人目?」
その後ろで、イナクが看板の紙を一枚、くるりと裏返した。
「ソラ歓迎会」が「登録おめでとう」になる。
それを横目で見ながら、ミナが言いにくそうに口を開いた。
いつもの勢いが、ほんの少し落ちる。
「……実はさ」
「うち、組合に“登録してる人”がいなかったの……」
ミナは受付の横の壁にある札を見て、それから俺を見る。
あの札は、たぶん登録者の名札なんだと思う。
「一人目は……サラ・ラピス」
「でも……もういないの」
言い終わって、ミナは小さく息を吐く。
それから、勢いよく俺に向かって頭を下げた。
「……だから、急がせた。今日の登録」
「ソラのためって言ったけど、実は私のためで」
「ごめんなさい!」
ナルが「えっ」と何か口を挟みかけて、やめた。
イナクが厨房の奥で、さらに激しく鍋をかき回す音がする。
俺は答えを探して、短く言った。
「……いいよ」
ミナがすぐに顔を上げた。
「……いいの?」
「うん」
「ほんとに?」
念を押すみたいな感じだ。
俺はそこで、自然と言葉が出た。
「むしろ…俺のほうが感謝しなきゃいけないと思って……」
言いながら、ミナの様子がなんとなく変に感じた。
ミナは一度だけ唇を結んで、もう一度口を開いた。
「それから……正直、ついでに……言うと」
声が少しだけ小さくなる。
「ラピス・ギルドって看板はあるけど……ギルドとしての仕事は…ゼロで」
「掲示板の紙は旧市街の日雇いの仕事しかなくて、ほとんどお金にならなくて」
ミナは目を伏せたまま続ける。
「宿と食堂を回して、やっと……組合にお金を納めて、看板を残してるだけ……みたいな」
「それも、本当は全然お金が足りなくて……ママが残してくれたお金で維持してきたけど……それも……無くなっちゃった……みたいな」
さらに声が小さくなった。
「本当は……ソラは、もっとちゃんとしたギルドに入ったほうがよくて」
ミナの声が、どんどん小さくなる。
「……だから。気づかれる前に、登録しちゃえ……っていうか」
「しちゃった……みたいな」
言い終わって、ミナは上目遣いで俺を見た。
「……それでも、いい?」
ミナは、指先で袖口をいじりながら、返事を待つように黙る。
俺はそこで、胸の中の点がいくつか繋がるのを感じた。
登録を急いだ理由。組合での様子。
そして、組合の受付でミナが渡した金貨三枚。
きっと、あれは俺の登録料だったのだろう。
彼女の都合のいい方向に、誤魔化されたのかもしれない。
でも、この子は、出来る限りのことをしてくれたのだと思った。
だから、もう一回、俺は言った。
「……いいよ」
ミナが息を止めたみたいに見えた。
俺は続けた。
「後払いなんだろ?」
ミナの口が少し開いて、それから笑った。
いつもの顔だ……この方がいい。
そこでナルがぱっと明るく割り込む。
「ほらほら! 難しい話はあと! 今日はお祝い!」
「花もね、昨日から用意してたんだよ。ミナ、落ち着かなかったし」
ミナが不満そうな目をして言う。
「落ち着いてましたけど……」
ミナの反論に厨房から声が飛ぶ。
「バレバレだってよ!」
ミナがそれに反論しようとして、やめた。
それから、俺のほうに身体をくるっと回して、正面に向き合って言った。
「この子はナル」
「あの煩いのはイナク」
「ここが、私のギルド! 私の全て……そしてソラ」
「ようこそ、私のギルドへ!」
そう言って、手を広げるミナが眩しく見えた。
まだ転生してから、二日目だ。
でも今日は、妙にいろいろとあった。
短い時間で、ミナに、いろんなものをもらった気がした。
俺には、なんとなく感じているものがある。
今、目の前にある人との繋がりを、煩わしいものに感じる誰かが、俺の胸にいる。
……転生前の記憶はない……でも。
もう、自分がどんな人間だったのかは……想像がついている。
俺は、この短い時間で得たものの方が大切だと思った。
その感情は……勝手に口から出てきた。
「よろしくおねがいします」
ナルが手を叩く。
「よろしくね! 正式依頼が来たらさ、大きな仕事もあるし、人手もいるし、報酬も違うんだよね!?」
イナクが鍋を激しく振りながら返す。
「よろしくな! そうなったら、ここに来るやつらにも仕事を回せる」
ミナが嬉しそうに言った。
「よろしくおねがいします! きっと大丈夫、全部うまくいくよ!」
彼らの返答を聞きながら、俺は思った。
この世界の事情は分からない。
ただ、彼らの置かれた立場が、厳しいものであることは、俺にも分かってきた。
ワラにもすがる、そのワラが、俺なのかもしれない。
仮にそうだとしても、彼らの力になりたいと、今の俺は思っている。
ミナは、俺を必要としてくれたから。
多分、それだけの理由で。




