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少年(少女)は足掻いている  作者: 草次城
第4章 呪い

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(28) アスター王子、傀儡の呪いと断定する

あと少しで本編が終わって、本編のその後が続きます。それで甘い感じで締めるつもりです。

 


 昨夜積もる前に溶けるような初雪が降った。そして今朝、濃密な霧が立ちこめ、人々はほのかに光る乳白色の壁を破ったり吸いこまれたりしながら行き来していた。


 一年の終わりの近さは、すなわち冬の舞踏会の近さでもあった。

 女子たちはどんなドレスを着るかではしゃいでいるのだろうが、男子たちも真剣ではないふりをしながらも、誰と踊るかあれこれ話してふざけあっていた。


 アスターも例外ではない。この時期になると、授業中でも不意に心が迷い出で、ベラドンナとのダンスの記憶を揺蕩うのだ。


 凍るような夜闇を純度の高いガラスで隔てた大広間で、蝋燭の温かい光の中、ベラドンナの微笑みだけを見つめていた。

 生え際の幼い毛が彼女の丸い額に落とす影。はっきりした眉の下、まつげが守る濃い琥珀の双眸。いつか泥をつけていた鼻、紅をつけた冷たくも見える唇。耳元で揺れる宝石のきらめきと、それをぶら下げる耳たぶの柔らかみ。

 湖の色のドレスから出た薄い肩。繊細な鎖骨。しなやかな肌。胸もとの翳り。そしていつもシオンを引っ張ってくれた掌。


 去年より伸びた身長に彼女は気づくだろうか。いいなと羨ましがる姿を想像して和み、すぐに冷静になった。

 ベラドンナはまだ呪いに苦しんでいるからだ。


 そろそろほとぼりが冷めただろうからアイリスに動いてもらう。解呪の貸しが一つあるのだ。嫌とは言わせない。


 そう決めてすぐ、まるでアスターの気迫が伝わったかのようにアイリスの方から突撃してきた。一日の最後の授業が終わったとはいえ、その場にとどまってお喋りしている生徒がまだそれなりに残っていた中へ、ソレルと一緒に飛びこんできたのだ。

 勢いそのまま彼女が開口一番発した知らせにアスターは耳を疑った。


「ベラドンナが話しかけてきた?」

「ついさっき! しかもとんでもないことをおっしゃってたんです」

「恐れながら殿下、姉はまるでアイリス嬢がそこらの男とただならぬ関係になったかのような発言をしたのです。明らかに彼女を陥れようとしていました」

「ねえほんと黙ってよ! 違うんですよ殿下、そこから話を広げようとしたのにこの人が邪魔するから。なんかまた追っかけてくるしさあ」

「あなたが正直にひどい扱いを受けたと告白しないと思ったからです。それより口調が砕け過ぎでは? 殿下の御前ですよ」

「ソレルは一旦黙ろうか」


 隣のフロラスに視線で刺されるまでもなく、厳しい言い方になった自覚はあった。しかし子犬のじゃれ合いはこの焦れったい状況では許容できないのだ。

 しかしソレルは鈍かった。


「どうして殿下は姉を庇われるのですか。アイリス嬢に何をしたかご存じないのですか? 階段から突き落とそうとしたのですよ。僕だって聞くに堪えない侮辱をされました。心底性格が悪い人なんですよ」

「彼女の行いがそう見えるのは理解している。アイリス嬢が被害を受けていることも。だが私はどうしても彼女が悪意からそうしているとは思えないんだ」

「あなた方は異口同音に慈悲深くそう仰る。彼女は殿下のご判断に従っているのでしょうが、殿下がそこまで姉に肩入れなさる理由が僕にはまったく理解できません。本当に悩み事があるとして、父や母、弟の僕にも頼らず、アイリス嬢を害しながら殿下に縋るような姉に、下心が欠片もないと本気でお考えなのですか?」

「――わからない」


 我が意を得たりといわんばかりのソレルの顔つきは、似ていない姉弟なのに、ベラドンナの得意顔を彷彿とさせた。だからこそ、アスターは純粋に疑問だった。


「君がどの立場からベラドンナについて私に説教をしているのか私には微塵も理解できない」

「えっ……」

「ベラが君たち一家に信を置かないことの何がおかしいんだ? 私のもとに慰めの子猫代わりに七歳のベラを四年間放り捨てることに決めたのは君の両親だ。公爵は何度も訪ねてきたが、その彼とて目的は私のご機嫌伺いだった。それでも私は彼女に憎まれていると感じたことは一度たりともなかったよ」


 エデルワイス邸での大切な思い出の数々。シオンと呼ぶ声。戻りたくないと心で泣いていた小さな彼女。それらの真実を、輪郭すら知らないソレル。


 遠くから見つめようと心に決めた。それなのに、彼女の近くに一緒に裸足で遊ぶ人がいないと示されたら、言い訳ができてしまって、困る。


「君は幼く、彼女の事情を知る由もなかった。それはわかっているつもりだ」

「お言葉ですが、人は変わるものです。かつてどんなに人格者であろうが、現在の姉は」

「そうだなソレル。だが私には、君が単にそれを彼女を切り捨てる口実にしたいだけのように見える。そして重要な点だが、私は君との議論がアイリス嬢の話よりも重要だとは感じない」


 ソレルが息を呑んだ。アスターはこれ以上彼の面目を潰さないために、出ていけとは指示せず沈黙を保つ。

 今度こそ彼は意図を察してくれ、ぎこちなく礼をして退室した。これで教室に残ったのはアスター、アイリス、フロラスの三人だけになった。視線でアイリスを促す。


「ベラドンナ様に聞かれたんです。あなたは呪われたそうだけど、どうやって針を抜いてもらったの、操り人形から戻してもらったのって」


 背筋が総毛立つ。

 呪術師のみが製法を知る薬を七日間飲ませ、最後の日の晩、呪う相手の任意の部位に、獣の骨に、これまた獣の血を染み込ませて作った黒い釘を打つ。すると相手はどんな命令にも言いなりになる。誰に言われたわけでもなく、自分の意思で動くのだと信じて。


 釘は必ず他人の手で抜かれなくてはならない。本人はおろか事故で脱落するのであっても、その人の魂は抜け、呼吸するだけの人形と化す。


 ゆえに彼らは命令される。釘の存在を無視すること。抜けたり誰かに見られたりしないよう守ること。もし見られてしまった場合には、自らの手でそれを抜くこと。

 ある事件をきっかけに、今日に至るまで呪いの代名詞であり続ける、その呪いの名は。


「私、別の人にも何回か似たような質問をされたんですが、その人たちは皆同じ呪いを想像してたんですよ」

「――傀儡の呪い」


 アスターが呟くと、アイリスが意気込んでこくこくと何度も頷いた。


「そうですそれです! でもその比喩だとすると、ベラドンナ様に呪われてる自覚があるのはおかしくありません?」

「ベラドンナはそういうところがある」

「さすがに贔屓が過ぎます殿下」

「そこらへん夕食でお話するって約束したんです。殿下、もう少しですからね……!」

「ありがとう。ベラをよろしく、アイリス嬢」

「はい!」


 呪いについて調べなくちゃとアイリスが図書館へ向かったあとも、アスターは物も言えずじっとしていた。


 ベラドンナの異変に気づいてからおよそ一年半。改めて数字にすれば拍子抜けするほどの期間なのが信じられない。

 この間にアスターは壁にぶつかり、人に出会い、様々なことを考えた。彼女にすべてを聞いてほしい。そして彼女の話を聞かせてほしい。


 きっと公爵に怒って文句を言うだろう。時間を無駄にしたと嘆き、躍起になって取り返そうとするに違いない。もしまだ彼女がわずかにでもアスターを友だと思っていてくれて、遊びに誘ってくれたらなら、今度こそアスターは彼女から逃げ出しはしない。フロラスを紹介し、アイリスやミモザを交えて友達として過ごすのだ。

 トリテレイアで習った刺繍を教えて、絶対に彼女の作品をもらおう。生涯のよすがになるとは限らない。いつか恋に区切りがついて、ただ懐かしく思い返すこともあるだろう。


「でも手始めはやはりそり滑りかな……」

「はい?」

「雪が積もらなかったら合奏もいいな。楽譜を整理しておかなくては」

「……もしやベラドンナ嬢と何をなさるか考えていらっしゃる?」

「うん。君も音楽は好きだろう。ベラは歌がうまいんだ」

「あなたから伺うベラドンナ嬢の心象が令嬢のあるべき姿からずれていくのですが、間違っているのは私ですよね?」

「会えばわかる。答え合わせを楽しみにしていてくれ」

「おや。彼女について教えてはくださらないので?」


 アスターは笑った。

 人は自分の感動を完璧に語る術を持たない。心の中では無限の広がりと輝きを持っていたはずの情動は、言葉を尽くして描写しようという試みの末に手で扱える大きさに切り取られ、唯一性を削り取られ、他人の手に渡るころには、手垢に塗れた卑近な情報にまで劣化してしまう。


「さもしい欲だよフロラス。彼女と僕の思い出は、二人だけの秘密にしたいんだ」

 

 だからアスターは別の本音ではぐらかしたのだった。


 傀儡の呪いは手順を守れば綺麗に解ける。記憶も被害者に残るため、公爵の罪まで暴くことができる。

 ベラドンナの解放は近い。あの東屋で、アスターが彼女を待つことさえできるようになるのだ。


 弾む心を抑えつけ、なんとか眠りについて、翌朝。青褪めたアイリスが会いに来た。


「ベラドンナ様が昨日の夕方からいないんです」


 いない。

 学園、いない、本邸、嗅ぎつけられた、死、証拠隠滅、ベラドンナ、死、死死死死――ベラドンナが死んだ?


「アスター!」


 男の叫びと女の悲鳴。暴力的に意識が閉じる。

 次の瞬間、アスターは見覚えのある部屋のベッドにいて、血走った目のフロラスに胸ぐらを掴まれていた。


「貴様その有り様でどの口で……! 二度目だぞこの醜態は! あと何回俺の肝を潰せば気がすむんだ愚か者めが!」

「ベラドンナは?」

「俺が死ぬと両親に伝えろ! こいつの首を絞めてやる!」

「落ち着けフロラス。滅多なことを言うな」

「だったらこれ以上俺を煽るな……っ」


 アスターを投げ捨てたフロラスが天を仰ぎ、額を覆って必死に怒りを鎮めようとしている。その首に浮かび上がる血管から視線をそらし、アスターはのろのろと衣服を整えた。


 しばらくして乱暴に椅子に座る気配がし、そちらへ顔を向ける。

 フロラスの眉間はまだ険しかった。


「オータム家の馬車が彼女を迎えに来たんだ。きっと素行の悪い娘を叱るために公爵が呼んだんだろう。今日中に戻らなければソレルが手紙を出すことになってる」

「手遅れだったら?」

「悲観的になるな。公爵が俺たちの企みを知っているはずがない。ソレルが口を滑らせた心配もない。あいつは何も聞いていないし姉が呪われているなんて露ほどにも考えていないのだから」

「わかってる、でも」

「落ち着け。ちゃんと息をしろ。そら、水を飲め、飲みながら耳だけ貸せ。――アイリス嬢の件で首飾りの仕掛けを見抜いたのはお前だったが、遅かれ早かれゴルドロッドやソレルも気づいただろう。あいつらが普段の彼女を知っていて、比較の基準があったからだ。だがベラドンナ嬢は違う。俺たちからすれば彼女の行動には恋あるいは地位狙いという一本の筋が通っている。彼女を指してらしくないと言えるほど俺たちは、弟ですら、いや、目眩ましが通じると考えた時点で公爵までもが彼女を知らない。アスター、ただ一人、お前という頑固者を除いてな」


 語気は素っ気なく青い目は鷲のように鋭く、アスターが憎いような雰囲気を漂わせながら、フロラスが断言してくれる。


「公爵がベラドンナ嬢を疑うはずがない。もし誰かに知られたら、彼女は自分で釘を抜くんだからな」

「ベラは自分の足で馬車に乗った」

「そういうことだ。焦るな。父もあいつを見張ってる」

「……ありがとうフロラス」

「本当にな」

「言い訳になるけど、僕は体が丈夫なのが唯一の取り柄なんだよ」

「唯一かは知らんが俺が請け合おう。確かにお前は俺の知る限り最も健康な王子だよ」

「どんな気分でも食事はできる。あまり眠れなくても顔色がいいんだ。だからいつも元気なのに」

「付け足そう。お前は頭も抜群にいい。これで取り柄が少なくとも二つになった。めでたいからもう何も言うな。目眩がしてきた」


 本当にフロラスは頭が痛そうだった。


 この会話の数日後、ソレルの安否を伺う手紙に、母親から返事があった。ベラドンナは謹慎中で舞踏会に出たがっているそうだ。

 しかしアスターの緊張の糸が切れた時間は短かった。


 マジュス卿から呼び出しがあったのである。




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― 新着の感想 ―
アスターに幸せになって欲しい それはそれとしてフロラス君は生涯苦労するやろうな 彼を労ってくれる奥さんと出会えると良いね
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