(27) アスター王子、恋敵認定される
泣いている場面に立ち会ってから、アスターはアイリスに注意を払っていた。アイリスの異常を感知できたのは、そういった偶然の賜物だったのである。
ぐっと冷え込んだある日、挨拶を交わしたアイリスがそれで用は済んだとばかりにマントを翻して去ってしまったことに違和感を覚えたアスターは、いつもの席に座り、隣に並んだフロラスに問うた。
「彼女、最近何か変じゃないか」
「うわの空ですね。悩みでもあるのでしょうか」
「悩み、か」
ベラドンナに関してならアスターに一言言うだろう。例のケンカした友達についてだろうか。心配だが、アスターが介入すると拗れるのは疑いようがないので、見守りに徹する他ない。
嘆息したところで、ある名前がふっと頭に浮かんだ。
「フロラス、ゴルドロッドだ」
「は? ああ、あの騎士気取り。なるほど、少しは役に立つかもしれません」
アスターたちは、馬術の時間が、出番が来るまで余裕のある馬上槍試合だったのを幸いに、さっそく行動に移した。
人垣からフロラスに連れ出され、離れて待つアスターのもとへやってきたゴルドロッドは、あからさまに困惑と緊張を浮かべていた。
ところがアスターがアイリスと顔見知りであると伝えてから表情が変わり、彼女の困り事など何か知らないかと尋ねたときには、眉をキッとさせてこちらを睨みつけてきた。
「アッ、アイリスを、からかわないでやってくれませんか!」
「……うん?」
「殿下はいろんな女性に粉をかけていらっしゃると聞きました。そういうのはよくないと思います。アイリスの恩人なのはわかってますけど、そのせいであいつが危ないむぇっ」
「わあ」
フロラスがゴルドロッドの顔面を鷲掴んでいる。
あまりの早業と容赦のなさにうっかり呑気な反応をしてしまったアスターは、即座に突き刺さった鋭い視線に対し、全力で気づかないふりをしてみた。しかしフロラスの追及からは逃れられない。
「わあじゃないんですよ、わあ、じゃ。もっと悪評に敏感になってください慣れるにしても見逃すのは違うでしょうが前からこの問題は申し上げていたのですから」
「すまない私が間違っていた。だからもう離してやれ。息ができているのか不安になる」
こうしている間も、ゴルドロッドは腕を剥がそうともがいているのだ。
哀れを催したアスターが助け舟を出すと、フロラスはふんと鼻音を鳴らして後輩を解放した。かと思えば胸ぐらを掴み、
「貴様、次に殿下を愚弄するならば相応の覚悟はしておけよ」
と脅しつけて今度こそ手を離した。
尻もちをついて咳き込むゴルドロッド。一本気な少年に申し訳なくなりつつ、アスターは手を差し出した。
「知り合いとして彼女の力になりたいだけなんだ。そういった誤解をされないために君という緩衝材を挟んでいる。誤解しないでくれ……大丈夫か?」
「はいっ、ゲホッ、申し訳ありませんでした。ハァ、自分で立てます……。ありがとうございます」
ゴルドロッドはよろよろと立ち上がる。重ねてアイリスに関する情報を持っているか確認すると、またひとつ咳払いをしてから、掠れ声で答えた。
「心当たりがあります。アイリスが、急に変なやつと婚約するって言い出したんです」
「名前は?」
ゴルドロッドが口にした名は、さして印象のない家の三男のものだった。
「自分はアイリスがその男と一緒にいるところを見た覚えがありませんでした。おかしいと思っていろいろ聞いたんですが、とにかく婚約するの一点張りなんです。埒が明かないので自分たちで調べたら、家も性格も容姿もぱっとしなくて、アイリスが惚れるような相手ではないんです。それにあいつ、ずっとぼんやりしてて、とにかく不自然なんです」
「へえ……」
「相手の男はお互い一目惚れしたんだと戯言をほざいて自分には耳を貸しません。どう考えても怪しいのに、自分はっ……何をしたらいいのかわからないんです。だから殿下、どうかあいつの悪事を暴いてください。そしてアイリスを助けてあげてください! お願いします……!」
願いを託してゴルドロッドが走っていく。その背中を目で追いつつ、アスターはフロラスへ呼びかけた。
「なあ」
「いえ。それより私は脅されているのではないかと愚考いたします」
「まだ何も言っていないが」
「ご心配なく。なんだか最近こんな話を聞いたことがあるなとお思いなのでしょう、どうせ。あなたは次にこうおっしゃいます――フロラス、これは呪いじゃないか?」
アスターは振り返り、以心伝心の友をつくづく眺めた。この男が賢いのか自分が単純なのか決めかねるところだ。
「やめてください。あなたが単純なんですよ」
「そして君は賢い。だから力を借りたいんだが、解呪は医務室に行けばいいのか?」
「……サルビア夫人に相談するのがよろしいかと。肌に痕跡が出る呪いは多いとどこぞの好事家の方に伺いました」
「どれだけ真剣に対応してもらうかが問題だな。生半可に弄られると彼女が危険だ。それに彼女の場合、そのまま結婚して学園を辞めた方がいいと放置される恐れもある」
「いささか人間不信に傾いておいでだ。合意ならば私も結婚を勧めますが、夫人ならばアイリス嬢の意思を優先するでしょう」
「信じよう。君は脅しだと?」
「はい。その場合も犯人はその偽婚約者でしょう。狙いは彼女の持参金か、我々との縁あたりかと」
「そうか。もしそうなら迷惑だな。――ケラスス先生に話してみる。今は試合に戻ろう」
ところがである。物事は動くときには一気に動くようで、馬術の授業後、着替えて運動場から次の教室へと移動していたアスターは、まさに渦中の人物を発見した。
アイリスと自称婚約者である。彼は茫洋とした様子のアイリスの背に、マント越しとはいえ手を添えて、友人らしき少年たちに自慢げに何か喋っている。
あたかもすでに婚約が成ったかのように振る舞うのは、既成事実作りと見えて印象が悪い。あそこにいるのがベラドンナならとても平静ではいられず、前言を撤回して引き剥がしにかかってしまうくらいの光景だ。
小柄な少女が男複数人に囲まれているのも不安で、つい立ち止まったアスターを置き去りに、フロラスがずんずんと彼らに迫っていく。
その横をぱっと追い抜く小柄な影。一人はソレルでフロラスに捕まり、すり抜けた一人がアイリスのもとへ駆けつけた。
「アイリスに触るな!」
「うおっ、また君かっ」
ゴルドロッドだ。自称婚約者の手首を下から打ち払って彼女を背に庇い、男を睨め上げる。
構図としては女子を取り合う一人と四人だ。しかもその女子がアイリスなので、運動場から来た生徒たちが野次馬になりかけており、フロラスがソレルに何か言い、揃ってそれを散らしにいく。
アスターは会話がなんとか聞こえる範囲まで移動し、ゴルドロッドたちの様子をうかがった。
「馴れ馴れしいんだよあんた。恋人でもないくせに」
「妻をどう扱おうが夫の勝手だろ。部外者のくせに口出するな、図々しい」
「アイリスはあんたの妻でも持ち物でもない」
「そうなったも同然なんだよ番犬くん。いいかい、僕が君の哀れなほどの健気さに免じて寛大になるのも限度があるんだ。いい加減女々しい嫉妬はやめて、僕のアイリスとは友人として仲良くしてやってくれたまえ。頼むよ、じゃ、僕たちはこれで」
「待てよ、触るなって言っただろ……!」
ゴルドロッドを押しのけて、男がアイリスを連れ出そうとする。すかさずゴルドロッドが背面の裾をつかんで引き留めようとしたので、急ぎ足だった男が短く叫びながらよろめく。
直後、アイリスが苦しげにのけぞり、顎下に食い込むマントに手をやった。どうも男が、支えを求めてアイリスのマントを引っ張りでもしたらしかった。
つられて一歩踏みだし、アイリスに注目したアスターは、マントの合わせが開いてあらわになった彼女の襟元から、古ぼけた茶色の玉を連ねた何かがちらりと覗いているのに気づいた。
すぐにアイリスが解放されて隠れたそれは、おそらく首飾りだった。
男は苛立ったようにゴルドロッドを怒鳴りつけた。
「何をするんだ、乱暴はよしてくれ! 君のせいで彼女が苦しんだんだぞ」
「それはっ、……すまない」
「ふん! これだから野蛮な連中は嫌なんだ。この際言わせてもらうけど、君ってさ――」
ここぞとばかりに男が言い募るのを聞き流し、アスターは思考する。
髪形に凝っておしゃれを楽しむアイリスが選ぶのが不思議なような首飾りだが、損傷を避けるように服にたくしこんでいるからには大切な品なのだろう。
しかしそれにしては数日前に川辺で垣間見た首元には何もなかった。誰もが大事なものを肌身離さず持っているわけではあるまいし、日によって着け外しをしているだけかもしれないが、やけに気になる。
聞くか。アイリス本人に。
「――もうたくさんだ。二度と僕らに吠えかかるのはやめてくれ。行こう皆」
「やあ、決闘か?」
アスターはさも今通りかかったかのように、朗らかにゴルドロッドたちに近づいた。
「残念ながらそれは校則で禁止されている。意見の相違があるなら話し合いで解決すべきだ。特に女性の前ではな。そうだろうアイリス嬢」
「はい」
「そ、そうですね。仰せの通りです。では我々は失礼します、無関係なので」
「あっ、ちょっと」
男の呼び止めは意味をなさず、彼の友人たちは蜂に追われるように逃げ出した。手間が省けたとアスターは用件に入る。
「ところでアイリス嬢。偶然見えたのだが、変わった首飾りをつけているな」
「なっ……」
小さな驚きの声を発したのはアイリスでもゴルドロッドでもなかった。アスターは無言で、その声の主へ目を向ける。
男の顔は青かった。
「申し訳ありません、ただ、驚いたものですから」
「君が、何に?」
「いえ、あの、殿下の観察眼に敬服したのでございます。僭越ながら彼女の代理で私がお答えいたしますが、それは彼女の母親の形見です。みすぼらしいので人のお目汚しにならないように注意していると彼女から聞きました」
「――そうか」
アイリスは母親を愛している。アスターはそれを知っている。
それで十分だった。
「素敵な話じゃないか。ぜひその形見とやらを見たいな。君、外してやれ」
「いえっ、いえ殿下、恐れながら……彼女に意見を聞かないかぎりは」
「そうなのかゴルドロッド?」
「いいえ嘘です。さきほどこの男は自分はアイリスに何をしてもいいんだと言いました」
「き、貴様……っ」
「まだ何か? 私にとってはどちらでも変わらないのだが」
想像する。そして纏う。自分の指のささくれひとつが人を鞭打つ理由になると心から信じる人間特有の、混じり気のない傲慢と冷酷を。
掌を男へ伸べて、王子は微笑んだ。
「ほら。渡すんだ。お前が、私に」
震えながら、口を開閉させた男は、ついにその場にがっくりと座りこんだ。
ゴルドロッドが狼狽えるのをよそに、アイリスだけが何事も起こっていないかのごとく佇んでいた。
後の調べで、自称婚約者が、呪いの首飾りを用いてアイリスを操って婚約を結んでしまおうと目論んでいたことが明らかになった。目的はフロラスの推測が半分正しく人脈の確保。持参金の方は、庶子には大した額を持たせるはずがないと期待していなかったそうだ。
アイリスについては、首飾りを外したあとに無事回復し、犯人があの男であると証言したらしい。
ケラススがアイリスに付いて男がきちんと処罰され、かつ彼女の不利にならないよう取り計らってくれたのだとゴルドロッドが、図書館にいたアスターとフロラスのもとへ自主的に報告に来た。
彼はなぜか悔しそうだった。本人が隠そうと努力していたのは伝わったが、何かまだ問題があるのかと思ってアスターがそれを指摘すると、彼は下唇を噛んだ。そして押し殺した声音で言う。
「不遜は承知で申し上げますが、自分は彼女のために何もできなかったのに、殿下はあっという間に解決してしまったことが、恥ずかしいんです。自分はやつの言う通り吠えていただけで、いや、犬にも失礼なくらい、自分は未熟です。本当に」
「そういう星の巡りだっただけだ。あまり思い悩むな。君が彼女を支えるんだろう」
「……お心遣い痛み入ります。でもきっとあなたを追い越してみせます。……負けませんから」
ゴルドロッドは凛々しかった。アスターは微笑ましく後輩を見送ってから、フロラスを見やった。
「なあフロラス、彼は何の勝負の話をしていたんだ?」
「どうでもいい。俺は頭が痛いんだ。誰かさんの推理が現実になったおかげでな」
「実を言えばあれが初めて見る呪具だった」
「俺もだ。まったく、彼女はこれからが大変だぞ。馬鹿のせいでいらぬ傷がついてしまった。間違いなく悪い噂になるぞ。俺はあの間抜けが仲間に悪事自慢していても驚かない自信がある」
「異様に勘が鋭い人もいるからなあ。そもそも彼らにとっては真偽など些事に過ぎないだろ」
深々とため息をついたフロラスが、苦り切った面持ちのまま唸る。
「呪いの君はまして難儀だ」
「……ああ」
「彼女の騎士になりたがる酔狂なやつは二人といないと俺は思うが」
「黙れよ。無理だと言っただろ」
「おお怖い怖い。どうかお許しを。何、今はまだいいが、いざというときに妙な意地を張るなよ。それ見ろと大笑いするのが俺の細やかな夢なんだっ」
フロラスの足を蹴り飛ばし、アスターは素知らぬ顔で読書を始めようとし、題を見てやれやれと席を立った。
盛大な悲恋の物語が読みたい気分だった。




