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少年(少女)は足掻いている  作者: 草次城
第4章 呪い

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(26) アスター王子、王冠の使い道を見出す

アイリスは学園改革系少女マンガのヒロインのイメージです。

 


 マジュス卿の屋敷から戻って数日、小春日和の休日の今日。数学の課題に取り組むのにも史学の論述をやっつけるのにも飽き、さりとてフロラスには相手をしてもらえなかったアスターは、せっかくの陽気なので室内にこもっているのはつまらないと一人部屋を飛び出した。


 男子棟の廊下から学園の中庭を見下ろすと、同じく日差しを恋しがった生徒たちが繰り出していて、鳥の群れのようだった。その群衆の中に光を含んで一際輝く赤がないかを探している自分に気づいたアスターは、ため息をついて歩き出した。


 彼女はきっといつもの東屋の丸屋根の下にいる。会いに行こうと思えば簡単に会えてしまうから、もっと遠い場所へ行かなくては。


 そうしてアスターが足を向けたのは、かつてケラススを捕獲した川だった。川辺ならば今日の天気でも肌寒く、人気がないだろうと当たりをつけたのだ。


 思ったとおり道中は誰ともすれ違わなかった。到着しても、光の破片が散る濃紺の流れとその両岸に白く枯れた葦原が見渡すかぎり広がるばかり。冷たい風に撫でられるたびに立つ葉擦れの音がよく聞こえ、それは乾いて淋しげだった。


 そのまま横になってもよかったのだが、せっかく幹がかなり太い楓の木があったので、アスターは木登りを選んだ。

 秋に美しく紅葉していた、掌よりも大きな葉はすっかり落ちている。身を隠せずともアスターだけなのだから構わない。

 太い枝に跨って幹に寄りかかり、腕に掛けていた羊毛の茶色のマントを毛布のようにまとう。そうして吹きつける寒風を防げば、陽光と体温でマントの中がじわじわと温もり、微睡みがやってきて、頭の回転が鈍くなる。


 樹上からぼんやり穏やかな青空を眺めていたら、昔こうしてベラドンナと遊んだ思い出が蘇ってきた。

 熱い湯に浸っているような気分で、半分眠りながら回想に耽る。

 心地よい気怠さは、しかし唐突に破られた。


 荒い息と足音が耳に届いたのである。


 はっと覚醒したアスターは、それが近づいてくることに気づき、咄嗟に息を殺した。通り過ぎてくれと念じたものの、願い虚しく間近で足音が止まり、呼吸を整えている気配がする。

 声からしてフロラスではなさそうだ。一体誰が何の用でアスターを探しに来たのだか。うんざりしたので一瞥もせず、無視を決め込んだアスターだったが、謎の人物の沈黙が長くなるにつれ、苛立ちは薄れていき、訝しく思うようになった。


 とうとう好奇心に負け、首を伸ばして眼下をうかがったアスターは、木の根元で、ぎゅっと抱えた膝に頭を押しつけ、隠れるように縮こまっている少女を見つけた。


 どことなく髪形に既視感がある。項が寒そうだと心配しつつ、少女の後頭部に視線を置いて記憶を探ったところ、おそらくアイリスではないかと思われた。


 推測に自信はなく、少女は間違いなく一人になりたがっていて、アスターを認識していない。なかなか躊躇したが、結局アスターはそっと呼びかけた。


「アイリス嬢……?」


 びくっと肩をはね上げた少女は、頑なに顔は上げずに「どこにいるんです?」と返してきた。やはりアイリスだった。


「上だ。一応言っておくが、後から来たのは君だぞ」

「王子様が木登りなんかしていいんですか」

「そうだな、フロラスには叱られてしまうかもな。それは嫌だから、ここでのことは全部内緒にしてくれないか」

「……内緒ですか? 全部?」

「ああ。誰にも言わない。私たちだけの秘密にするんだ」


 アイリスは動かない。アスターは座り直し、ただ待った。

 しばらく後。


「なら、私の話、聞いてくれませんか。恨み言がたくさんあるんです」

「ああ。いくらでも」


 なら、本気で遠慮なくいきますよ。

 ご存じだと思いますけど、私のお母さん、貴族じゃないんですよ。洗濯婦として勤めていたお家の旦那様にお手つきされてできたのが私なんです。それで、お母さん貴族じゃなかったから庶子は家督を継げないって知らなくて、私がもし男の子だったら大変だと焦って逃げたんです。


 お母さんは女手一つで私を育ててくれました。周りの人は結婚して旦那さんに面倒みてもらいなさいって言ってたけど、お母さんは全部断ってたんです。知らない男の人は嫌な目で見てくるから、私はいつもほっとしてました。

 だけどその分お母さんはあちこちのお家で働いて働いて働いて、倒れて、そのまま。


 小さい頃はずーっとなんでだろうって思ってました。なんでお母さんはたくさん洗濯してるのにお金をいっぱい貰えないんだろう。お金がいっぱいあったら、お母さんは汚れた布なんかより私を見てくれるはずなのになーって。

 お母さんが死んだときに男爵様が来て、認知してもらって世話をしてもらうようになったら、やっぱり世の中お金だなってしみじみ思いました。皆さんあくせくしてないんですもん。勉強が楽しかったから、もっとたくさんやりたいってねだったらあっさり家庭教師を増やしてくれたりなんかして。


 それが羨ましくて、将来は絶対お金を稼げる仕事に就くんだって決めたんです。そしたら、私赤ちゃん欲しいんですけど、その子とたくさん遊んであげられるから。お母さんが忙しくて寂しかったから、自分の子どもにはそんな思いはさせたくなかった。


 お力添えをいただいておいてあれなんですけど、正直私がここへ入学した最初の目的って旦那さん探しだったんですよね。この学園はそもそもそういう場所で、勉強できるとは聞いてなかったし。そう考えると、ケラスス先生や殿下にお会いしたのが、本当に運命の分かれ目だったんですねえ。


 まあ皆には勉強目当てだと思われてますけど。結婚相手は探してないなんて宣言したこと一回もないのに。

 でももう誤解は解きません。だって私がそこを訂正したら、なんかそういう示唆になっちゃうでしょ。それに何が嫌って、なんだこいつも結局女じゃないかって安心されそうなのが無理なんです。


 父親って親をやりながら靴職人も粉挽きも、王様だってやってるじゃないですか。なのになんで女の子だけ、母親だけが本物の役目で、他のことは母親になったらやめるお遊び扱いなんでしょう。

 トリテレイアってご存知ですか。女王様がいる国なんです。過去には七人も子供を産んで女王様もやった方もおられるんですよ。両立できるんですよ。どっちか諦めなくても。特にあたしたちなんか乳母がいるんだから、赤ちゃんのおしめや晩餐のメニューばっかり考えなくたっていいはずでしょう。街の女の人なんか子供の世話しながら大体働いてるのに、貴族の人は女は家のことしかできないなんて馬鹿な話がありますか。


 あ、念のため申し上げておきますが、この場合の女っていうのは、いずれ母親になって家族の世話に専念するのに憧れる女の子を見下す意味合いの最悪言葉です。


 別にあたし刺繍や歌が好きで子供が好きで幸せなお嫁さんになるのが夢って絵に描いたような女の子のこと何とも思ってませんよ。どうでもいいですもん。そりゃあそれで貴族なのに政治に興味ありませんってのもどうかと思いますけど、馬鹿にされる筋合いはないでしょ。


 ただあたしはその子を女の子全員の代表扱いしないでほしいんです。あくまでその子が選んだその子にとっての幸福な未来なのに、こう言ってる女が一人いるんだから他の女も何を言おうが本心ではそれを渇望しているに違いない、みたいな短絡的な決めつけはもううんざり。

 剣による殺人事件が一件起きた途端、剣を持ってる人を全員人殺し認定するくらいの暴論じゃないですか? 人間ってそんなに単純なわけないでしょう。人によるとしか言えないことなんて山程あるのに。


 なのに女の子の話になると、女の生態はこうに決まってる、これだから女はって、あれ何なんでしょうね。賭け事と狩りにしか興味がない男の人なんてよくいるじゃないですか。でもその人はこれだから男は、じゃなくてこれだからあいつは、なんですよ。


 あたしだってそうして個別に扱って欲しいんですよ。


 周りなんか気にしなければいいなんてお為ごかしは聞き飽きました。そりゃあたしを見てると自分が嫌になるって言われたくらいなら、それあたし関係ないしって思えますよ。でもあたしを褒める振りして攻撃に使われちゃったら、絶対あたしのせいではないけど、知らんぷりはできないじゃないですか。


 でもよく考えてほしいんですけど、根本的な話としてなんであたしはあたしを範にとろうってする人全部背負わなきゃいけないんですか?

 もしあたしが結婚して赤ちゃん産んだら他の働く女の人もやっぱりいつかは産むんだと思われるのはあたしのせいですか?

 今あたしがただ普通に生活してるだけなのにアイリスに比べてお前はって勝手に馬鹿なやつの意地悪の武器にされるのって本当にあたしのせいなんですか?


「ケンカしたんです。さっき。友達が、婚約者にいじめられるのはあたしのせいだって。もういい加減勉強ごっこはやめてよ迷惑なの、満足したでしょ結婚したら意味ないんだからって」

「うん」

「でも納得できなくて。だって絶対にあたし悪くないじゃないですか。文句ならその婚約者に言ってよって言ったら皆その子の味方するんですよね。私たちもあなたのせいでちょっと困ってるのを我慢してるのに、自分だけ指一本動かさないのはずるくない? あなたの気持ちもわかるけどって。だから逃げました。けど何だよって笑いそうになったので」

「うん」

「うるさいって無視したいんです何もかも。その子は辛いだろうけど、だからってなんであたしが自分の夢を諦めなくちゃいけないの? おかしいじゃないですか。悪いのは文句つけるやつらとその婚約者じゃないですか。どうせそんなやつ、鳥は飛べるのにどうしてお前はとかそのうち言い出しますよ。あたしは絶対間違ってない。間違ってないのに、なんでみんな、誰もっ」


 震える叫びが途切れた後を葦原のさざめきが追いかける。頰をなでる風の湿気を含んだ冷たさに眉を寄せ、アスターはマントを畳んだ。


「でもっ……もしかして、あた、あたしがおかしいんでしょうか? ほんとはっ、あたしだけが意地悪で、すっごく冷たくて……わがままなんですか……っ?」


 ――為すべきことがわかった。


 アスターは木を降りた。

 回り込み、片膝をついて、すすり泣く少女へマントをかけながら、なるべく柔らかに聞こえるように言う。


「君に似た女性を知っている」

「……ベラドンナさまぁ……?」


 吹き出すように苦笑した。

 フロラスならともかく、アイリスまでアスターの彼女への執心をずいぶん高く買っている。少し照れる。

 しかしさすがにアスターはそこまで盲目ではない。ベラドンナはアイリスに共感する部分はあろうが、彼女よりもっとアイリスに近い人がいる。


「違うよ。ネリネ姫、トリテレイアの次の女王であられる方だ」


 トリテレイア。あの地でアスターは、雪の重みに耐えかねた木が大きな音を立てて無残に折れる光景を見た。

 ただの景色でありながら、それはアイリスの、ネリネのベラドンナの、挑戦する誰かのひとつの将来である。その周りにあった木は名も知らない少女たちである。

 彼女たちは、いかにも丈夫そうな外皮を痛ましいまでに引き裂いた雪に怯え、むき出しになった中身の瑞々しさや柔らかさを痛ましく思うだろう。

 そして無闇に大きくなったら同じ目に遭うと学び、生存と安全のために小さく縮まろうとする。年下の少女や子供たちの大胆な希望に対しても、わずかに否定的になり、冒険しない賢さを覚えさせる。なぜなら、あの倒木と、ほら見ろとしたり顔で指さす人々の姿が眼裏に焼きついているからだ。


 その負の連鎖を強い女性の登場を待たずに断ち切るため、アスターが出来ることは限られている。

 受ける重みや冷たさを代わってやれはしない。暖かい部屋から強いんだなと呑気に褒め、へし折れたら残念だと口先で嘆くのは、何もしないよりなお質が悪い。


 しかし王ならば。雪を払ってやったり、枝を補強してやったりするだけでなく、雪そのものを止めてやれる。


 それこそが誰に咎められることなく堂々とベラドンナを思い続ける方法なのだ。母やアルメリアに教えてもらったように、愛とは必ずしも二人の距離を問題としないのだから。

 アプレは嫌いだ。玉座も嫌だ。彼女の肌に触れたいと欲望も猛る。だが、ベラドンナがいるアプレのためならばアスターだって、ネリネのように。


「あの方は私より君を好ましくお思いになるに違いないよ。最初は嫌われていた私が言うんだ。信憑性があるだろう」


 そろそろと、幼子のように泣き濡れた顔を上げたアイリスの青紫の瞳に向き合う。


「意地悪でも?」

「もちろん。だからその友達に嫌われてもいいとはならないだろうが……アイリス嬢、道を拓く者は、誰であれ一挙手一投足に注目を浴びるものだ。それを忘れてはいけないけれど、いざというときには自分のことだけを考えて心の声に従うんだ。それで何が起きても大丈夫。私たちがどうにかするさ」

「……甘言ですね」

「今はね。いつか真にしてみせるとも」


 アイリスは鼻をすすったきり黙り込んだが、その手でマントを引き寄せたから、アスターは安堵した。

 そして思った。

 この先待ち受けるのは真冬である。言い換えれば、自分たちは春の手前にいるのだと。




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― 新着の感想 ―
えらい子やねぇ 自分こそ孤独と無理解に泣いた子供だったろうに 自分にそれが為せるチャンスが有ると理解しただけなのにそれを使命として自ら負う覚悟をしたのか
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