(25) アスター王子、マジュス卿にも頼る
アイリスがベラドンナの悪評を落ち着かせるために近づかなくなると、ベラドンナもアイリスへの接触を絶った。
彼女がアイリスを切り捨てたのではなく、こちらと同じように考えて行動がそろったのだったらいいなとアスターは思った。
そんな状況の、ある寒い日のこと。
「なあ、大事にする覚悟があるなら、父にも共有するのはどうだ」
フロラスがそう提案してきた。さすがにこの時期はベラドンナがいない東屋を、回廊の壁に寄りかかって眺めているときだった。
「協力的だな」
「そこは指摘してくれるな。……公爵があれに手を染めているのが憶測でしかない以上、父が動くかはわからんが、お前が本気ならば俺が伝えるぞ」
「本当にどうした? 僕はありがたいが」
「やめろ。嫌味だぞ」
どのあたりが嫌味なのか。フロラスが鼻にしわを寄せて唸るように言うのをアスターは不思議がった。
だがそこをしつこく掘り返しても嫌がられるだけだろうから、マジュス卿に相談するかを検討することにした。
まずもってアスターは、公爵がベラドンナに呪いを掛けていると確信している。辣腕家のマジュス卿に調査してもらえたならその事実が出てくるに違いないので、誤解を恐れて告発を躊躇う理由はない。ないどころか、彼ならばアスターがこうして手をこまねいている間に証拠を掴んでくれるかもとまで期待できるので、協力してもらえるなら心強いことこの上ない。
フロラスが取り持ってくれるのも好都合だ。アスターからマジュス卿に面会を求める手紙を出して途中で盗み読まれてしまったら、などと心配せずにすむ。
仮に公爵その人に読まれたとてアスターの狙いに勘づくわけがないので、考え過ぎの自覚はあるが、万が一にもそのまさかが起こったらベラドンナに害が及ぶのだから警戒するに越したことはない。
結論として、アスターにとってフロラスの申し出は願ってもない名案だった。唯一にして最大の問題は、フロラスでさえ納得させられず、友情の名のもとに強引に折れさせたアスターが、はたしてマジュス卿に真剣に取り合ってもらえるか、である。
残念ながらこれといった策をひねり出せなかったアスターは、それでも挑戦しない理由にはならないと数日後マジュス卿の屋敷を訪ねたのだが、案の定マジュス卿の反応は辛辣なものだった。
「オータムのご令嬢が呪われているかもしれない、犯人はコルチカム公爵、しかしすべては当て推量、と。その妄想でこの私に動けとおっしゃるか」
冬には着膨れて輪郭が鴉そっくりになる宰相が、屋敷でそれらの上着を脱いでくつろいでいると突然痩せ細ったようだった。
しかし彼の鋭い眼光をひたと向けられたアスターは、その痩身から弱々しい印象は一切受けなかった。それどころか圧迫されながら言葉を探す。
「昨年の冬に私は公爵の動向について話したと思うが、そちらではそれらしい動きはなかったのか?」
「私は先ほど妄想と申し上げました」
「ああ……。でも待ってくれ。まだ話は終わらせないでくれ。あー、ちなみに、呪い以外では何かあったのか?」
「は。気になる点が一つ」
フロラスとマジュス卿とアスターしかいない部屋である。マジュス卿は躊躇う素振りもなく話し出す。
「陛下が昔からバンナン経由の輸出入を厭っておいでなのはご存じでしょう。その影響で貴族もそちらから入る奢侈品を避けていたのですが、殿下の王位継承権が回復した時期から、公爵が貴族と商会との仲介人として振る舞いはじめました。そうすることによって、貴族は公爵に責任を押しつけつつ舶来品を入手でき、商人は貴族への販路を独占でき、公爵は商会から仲介料を受け取れ、三方が得をする仕組みができあがったのですが、その商会に問題があるのです」
「それは?」
「殿下にご意見を賜ったのち、公爵に繋がる商会まで範囲を広げて調査したところ、彼らが妙に多くの傭兵を抱えていることが判明しました。さらに巧妙に傭兵の配置を散らし、増加を誤魔化していたと思われます。しかしその一方、商会が事業を拡大する様子は見られません。街道の治安悪化の報もございません。ですから傭兵を増やし続ける理由が不明なのです。意図的な細工も含め、これは非常に不審な行動です」
「公爵が関与しているに違いない。私の妻となったベラドンナを通して王宮に呪いを広げると同時に反乱軍を蓄えるつもりなんだ」
「殿下。私は公爵が潔白だとは考えてはいません。彼が娘を利用する可能性を否定いたしません。ですがどうか、そのために呪いなどという非道な手段まで持ち出さずとも、彼は娘を意のままにできることを思い出していただきたいのです」
「それでもだ」
「殿下」
「もし何も出なかったら私は誰とでも結婚しよう」
マジュス卿は眉一つ動かさず瞬いた。感情が読めない。
やはりこの交換条件は稚拙か。きっとマジュス卿は出任せだと呆れているに違いない。何かもう一押し、とアスターが唾を飲んだ直後。
「なるほど。強い確信がおありなのですね」
――急にどうした。
あまりにもあっさり意見を翻したマジュス卿に戸惑いながらも、喜ばしいことではあるので、アスターはこの機をつかむべく前のめりになった。
「も、もちろんだ!」
「しかし殿下、公爵に呪い、ひいては大逆の企みある場合、オータム家は余波を受けますよ。それはご承知の上でしょうな」
「わかっているさ。そして僕の目の前の男が不正義の皺寄せを受ける人々を傍観しない人であることも、物事をうまく収めるにあたってあなたの右に出る人はいないことも! だが、それは……さすがに重荷か?」
厚かましいかと話し終わりにアスターが弱気になると、マジュス卿は微かに口角を上げた。
「いいえ。それが私の役目でございますれば。以後必要な手筈は私が整えますので、どうぞ学園でご報告をお待ちください」
「ありがとうマジュス卿」
マジュス卿は王宮に戻るそうで、ごゆるりとお寛ぎくださいと言い残して去っていった。
緊張する仕事が無事に終わったのと、昼過ぎの時間帯が相まって、アスターの神経と思考はゆるりと弛緩する。
出された干し果物を練り込んだパンを一切れ齧ると、ご褒美のような濃厚な甘みが広がる。アスターは肺の空気を入れ替えるように息をついた。
「ずいぶん緊張していたようだなアスター」
「ひとつも対策していなかったからな。はっきり言って、マジュス卿を説得できるとは思っていなかったんだが、どうして頷いてくれたんだろう」
「歯ごたえがなかったからって残念がるなよ。反論を潰すために結婚を賭け金にしたんだろうに」
「それこそなぜ、なんだよフロラス。陛下にベラドンナのことを話したのだからマジュス卿が知っていても不思議はないが、彼なら僕を誰とでも結婚させられるだろ。僕だって抵抗するつもりはないのに、なぜたかが結婚で引き下がる?」
「白々しい」
フロラスに鼻で笑われた。さらに皿からパンを奪われた。
「あれだけ恋だ夢中だと主張して俺を巻き込んでおいて結婚に興味がないふりをするな。一年も経ってないんだぞ」
「思いは変わらないさ。ただ、結局僕は彼女と結ばれることはないのだから、形に拘らず秘めておくのが一番だと気づいただけなんだ」
どうやらアスターは、王にベラドンナとの未来をにべもなく閉ざされても、いつかは報われると無意識に期待していたらしい。
トリテレイアの旅を通して、アスターはベラドンナへの慕情はもはや切り離せない自分の一部であると痛感した。そのまま思い通りにネリネとの婚約を阻止して成功体験を得たために、アスターはすっかり恋を抱えこんだままでも最後には奇跡が起こってうまくいくつもりになってしまっていた。
ベラドンナに会い、ちゃんとした関係を結べと求められてようやく現実を思い出したのだ。
「でも、本心でなくてもいざ正面から結婚してくれと求められて、それを断るとなると……違うものだな。散々予想していたのにな」
ひとり言のようにこぼしてから、アスターが温かい香草茶を時間をかけて飲んでいると、行儀悪くふんぞり返っていたフロラスが、ふいに真剣な顔つきになった。
「なあアスター、俺はまったく浮気は好かんが、世の中では肌を重ねずに愛し合う男女が賛美されているのは知っているんだぞ。それに心は支配できないし、押さえつけようとすれば無理が生じる。お前たちが夫婦になれないからといって、内心まで清潔にする必要はあるのか?」
「ならばお言葉に甘えて妻の前でベラと口づけでもしようかな。僕は姦通罪が怖くないのを存分に自慢してやらなくちゃ」
「アスター」
「すまない。だけどこれでわかっただろう、君の優しい認識ほど僕は殊勝じゃないんだ。正直に言えば、今だって手を触れず視線も交えないまま彼女を思う方法はないかって考えているんだよ。十分利己的だろう?」
そうだなと笑い飛ばされると思ったのだが、アスターの予想に反し、フロラスは眉を寄せ、つまらなそうにこう言った。
「いいや、この期に及んでまだ恋心を隠せると思っているんだから、お前は利己的じゃなくて単なる自惚れ屋なんだよ。お前、自分のことなのになんにもわかっていないんだな」




