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少年(少女)は足掻いている  作者: 草次城
第4章 呪い

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(23) アスター王子、アイリスに賭ける

 


 夏の剣術大会はまだ出場できる歳ではない。フロラスも同じなのに、この日のために学園の外からもやってきた観客が、試合の準備や片付けのために彼が現れるたび花を投げている。

 これは最初にフロラスがその役目になったときからの伝統である。一度辞退したら不満の声が轟き、それはそれでたいへんな騒ぎになったので、卒業するまで同じ光景が続くだろう。


 アスターはといえば、花拾い役の後輩がせっせと籠に様々な花を詰めていく向こうで、試合を終えた人が女性のたおやかな手で汗を拭ってもらっているのを羨ましく眺めていた。


 その後の大会の慰労をかねた舞踏会でも、艶やかに装ったベラドンナへ引き寄せられる気持ちをぐっと堪えて、アスターは何度か話したことのある女性にダンスを申し込んだ。


 この夜は自然に多くの女性と会話ができるのだから、時間を有効に使わなくてはならない。

 そう自分に言い聞かせても、全身の神経が彼女に向かう。ベラドンナはアスターと踊るつもりでいてくれるようで、広間のどこにいても視線がついてくる。人混みに紛れていても、視界に入らなくても、どんな些細な風の流れにも火が揺れるのと同じように、アスターは彼女の存在を感じた。


 しかしどんなに心の中で彼女を求めていようが、表ではアスターは彼女の温かな手をとることもせず逃げている。

 こんな自分はベラドンナの目にはどう映っているだろう。

 彼女の中に友情がまだ細く息をしていることを祈った。


 さらに時は過ぎ、ベラドンナとの二年目の秋に入った。


 簡単だとは考えてなかったが、計画が滞ると不安は募る。だからといって方針を変えてもうまくいく保証はない。


 そこでアスターは思い立って授業を休み、気晴らしに散歩することにした。

 羊雲が多い空の下。日向をこうしてうろついていても汗ばまず、風は爽やかで、気持ちのいい日和だった。

 天気がこうも秋らしくなったなら、学園内の植物はまだ緑でも、遠くの森は紅葉がちらほらと始まっているかもしれないと思い、高い場所へ登るために建物の方へ向かっていたアスターは、誰かの怒鳴り声が聞こえた気がしてそちらへ近づいてみた。


「本当に私、ここの人に授業に参加してみなよって言われてて」

「だからその証拠を出せと言ってるんです」

「だからその人に会わせてくださいって言ってるんです!」

「そうやって笑いかけでもして嘘を真にしてしまうつもりでしょうが。いい加減にしなさい。ここは女子棟とは違う神聖な学問の場であって、あなたの遊び場ではないんです。結婚相手が欲しいなら大人しくしていなさい。そうすれば売れ残らないですむんですから」

「何ですかそれ、その言い方……!」

「こんにちは」


 はっと、少女と三十代の先生がアスターを見た。


「どうした」


 二人が先を争って自分の主張を訴えようとするのをなんとか公平になるよう操縦しながら聞いたところ、少女は新入生だった。ある日園内で迷い、そのとき出会った人に、手続きなどはこちらでしておくからと男子棟の授業への参加を勧められたらしい。

 そして先生側は、その発言丸ごと学園の男女は机を並べてはいけないという暗黙の了解を知らない少女の虚言だと考えているようだ。


「ならばその人物を探して確認すれば、参加には問題ないだろう」


 アスターがそう結論づけると、少女が眉を開いた一方、先生からはとんでもないといわんばかりの目を向けられた。


「実在したとてその輩が非常識であり横車を押しているのは変わらないでしょう。精々この子が嘘つきではなく、考え無しがちらつかせた餌に釣られた哀れな子になるだけですよ」

「そんなに拒絶する必要があるか?」

「女子棟に男子が入るとなったら殿下とて反対なさるでしょう。同じことですよ。女子なら許されるなんてとんでもない。不当です」

「同じ部屋にいる未婚の男女の両方が同じ種類の非難を同じだけ受けるようになってから不当だと言ってくれないか」

「そんな、殿下こそなぜそこまで拘っていらっしゃるのですか。無礼を承知で申し上げますが、女ですよ! 馬に数学を説くようなもの、いえそれどころか風紀が乱れるだけ馬よりたちが悪いではありませんか。百害あって一利なしです」

「知力を問題視するなら試験でも課せ。そしてその理屈では、男が女が近くにいるだけで欲に狂う知能も理性もない化け物だと言っているも同然だが、侮辱か?」

「まさか! 悪意ある解釈はおやめください。私はただ、男子諸君のためを思って、特例は伝統を破壊するきっかけになりうると心配しているだけです」

「そこは疑っていないよ。だから彼らを守るためにも、君が抱く懸念を聞いているんだ。それらすべてに対処したなら納得できるということだろう?」


 むっつりと黙り込んだ先生は、ややあって低く言った。


「……女ですよ。あなたがお味方なさるのも、だからでしょうに」


 何を言われたか理解した瞬間、腹の底から駆け上がった怒りはしかし、そのままアスターの体を通り過ぎてしまった。


 二人の話を聞き自分の頭で理非を判断し、少女の側に立った。それが少年であっても何も変わらない。それなのに、なぜ男だったら助けないような言いざまなのだ。なぜ鼻の下を伸ばして格好をつけているようにとるのだ。

 虚しい思いで黙って見つめ返すと、先生はしたり顔で鼻を鳴らした。


「ほら、女子がいると男子は冷静ではなくなるんです。この子だって、うっかり男を誘惑したり、身にもならない難しい学問をやらされるより、将来の子供のためのおしめでも縫っていた方が嬉しいはずではありませんか」

「違うだろう」

「とにかく私は認めませんよ。誰に聞いても同じ答えが返るでしょうよ、この子が言ってる人を除いてね。まあ本当にいればの話ですが」

「ならば私がこの件を預かっても構わないな? どうせ結果は同じなんだろう?」

「ええ結構ですとも。それでは殿下、御前を失礼いたします。あまり可憐な方々のためばかりにお時間を費やされませんように!」


 アスターが先生が足音荒く棟内へ戻っていくのを見るともなしに見送っていると、あの、と小さいがはっきりした声で呼ばれた。


「ありがとうございます。私、アイリスって言います」

「いや、礼を言われるようなことは。君の話を横から奪ってしまってすまなかった」

「……ごめんなさい、正直それはちょっと思いました」


 少女は申し訳なさそうに笑った。

 出しゃばりを少し反省しつつ、アスターは改めてアイリスに出会った人物の詳細を尋ねた。


「名前は聞いてなくて。背が高くて寝癖がひどくて眼鏡をかけてる男の人でした」

「それはケラスス先生に間違いない」


 アプレ一の蔵書量を誇ると言われ、何人もの高名な聖職者や占星術師を輩出してきたランネシアナ家の四男。それこそが変人ケラススだ。何をやらかして嫌われたかは生徒の誰も知らないが、名家の出身なのに先生の間でそんなあだ名を付けられる程度には鼻つまみ者なのである。


「有名な人なんですか? ならちゃんと先に言えばよかったなあ。失敗しました」

「安心してくれ。むしろ言わないで正解だった。よりまともに取り合ってもらえなくなる。ところで」


 力強く肯定してから、アスターは気を引き締めてアイリスに確認する。


「君がこちらに来るということは、先ほどよりもひどい侮辱を受けるということだ。同性の友人は離れるかもしれない。異性の友人ができれば、その人が婚約者や夫でない限り、気が多い人としてやはり白い目を向けられるだろう」

「それでもやりますよ。どれだけ辛いかなんて、結局体験しなくちゃわからないんですから、挑戦したいって今の気持ちを大事にしたいんです」

「――わかった」


 これがベラドンナだったら、頼み込んででもアスターが守るのに。


「私に考えがあるんだ。授業には参加せず、三日時間をくれないか」

「……はい。あなたを信じます。どうかよろしくお願いします」


 約束をしてからアスターは、多くの男子に協力を求めて神出鬼没なケラススを捕獲した。

 厳密に言えばケラススが敷地内に流れる川にボートを浮かべて漂っているところを同じくボートで並走しているのだから捕まえてはいないのだが、些細な違いである。


 アスターはボートに寝転がっているケラススへ呼びかけた。


「ケラスス先生、アスターです。アイリス嬢のことでお話があって参りました」

「アイリス……?」


 鳥の巣頭の男がのそっと起き上がり、アスターへ顔を向けた。油を流したように穏やかな水面に波紋が起こる。


「彼女は今、扉を閉ざされようとしています。学力や熱意ではない理由のために」

「それは?」

「風紀が乱れて迷惑だから。学びよりもっと大事な役目があるから。難しいことをして笑い者になるのはかわいそうだから。とにもかくにも女性だからです」

「うーん、意味がわからないかも」

「しかし現にアイリス嬢が直面した意見です。私はあなたが初めてそれをお聞きになったご様子なのに驚いています。あなたは本気でアイリス嬢を授業に参加させるつもりだったのなら、こんなものがアイリス嬢にぶつけられる前に環境を整えるべきでした」


 眼鏡に前髪が被さってケラススの表情は読み取れない。だがアスターは彼が真剣に耳を傾けてくれていることを信じた。


「ケラスス先生、どうか学園で政治をしてください。大学ではなくここへ身を置き、アイリス嬢という学生の可能性を広げようとしたあなたには、少なからず教育の志があるはずです。たった一人異質な存在として集団に飛びこもうとしている少女を守れるのはあなたであり、あなたに責任があるのです。決してここに少しいて、すぐに去る私ではありません」

「……なるほどね。助言、痛み入るなあ」

「人間の気軽な悪意を甘く見ないでください。苦しむのは立場が弱いアイリス嬢です。あなたは常に彼女のそばにいられるわけではないし、彼女があなたに迷惑をかけまいと隠すかもしれません」

「頑張って気をつけるよ。じゃあねー殿下」

 

 再び横になって、手を振りながらケラススが流れていく。

 アスターは軽い返事に不安になりつつも、できることはしたと肌寒い川から離れるべく桟橋を目指した。


 幸いケラススは有言実行で、男子棟に出入りするアイリスの噂は一瞬で広まった。そしてアイリスは、噂を煽るつもりはなかったろうが、直後に目立つ事件を起こした。


 どうもゴルドロッドという少年が、剣の授業で先輩から可愛がりと称してしごかれているところへ止めに入ったらしい。誰かに、それも少女に庇われた彼はいたく自尊心を傷つけられ、彼女に理不尽な怒りを向けた。するとアイリスは怯えながらも口論をし、あまつさえ騎士を目指しているくせに助けられて恥ずかしいと思うその心が恥だと言ってのけたらしい。


 アスターが詳細を知ったのは、ゴルドロッドとアイリスが一緒に行動しているところを何度か見かけたあとだったので、そこから仲良くなるとはアイリスはどんな魔法を使ったのだと驚いたものだ。

 しかしそのせいで、案の定、男を手玉に取る悪女扱いの噂が立っているのは気の毒だった。ベラドンナとアスターで本物の不健全な距離感をこれでもかと実演してやろうかとまで思った。誓って義憤である。


 それでもアイリスはゴルドロッドと友好を築き、ソレルなど新しい友人も作っている。

 肝が据わっているのだ。さらに考えてみれば変人ケラススとアスターを動かした運もある。父親は裕福な男爵で、コルチカム公爵の派閥に属さない。


「フロラス。僕はアイリス嬢に賭けたい」


 考え抜いた結果、アスターはある夜、フロラスの部屋に押しかけてそう告げた。フロラスはもう横になっていた。


「また急に妙なことを。お前と彼女が話しているのを見た覚えがないんだが」

「うん、君がそう言うなら彼女の口が堅いのも信用できるんだ」

「は? 会ったのか? いつ?」

「少し前に。いいか?」


 アスターの知る限り、アイリスは一切王子との繋がりを匂わせていない。

 二人とも特に口止めはしていないが、あの先生の方は恥をかきたくないから黙っているのだろうと予想がつく。一方、アイリスはひどく苦労をしているだろうに、王子の名を出したとは聞かない。

 天の助けだと思った。あの少女を信じ、ベラドンナを救えと。


「決めたんだろう? 俺はもうお前に賭けた。好きにしろ」

「ああ。ありがとう。いい夢を」


 眠そうに応じたフロラスへそっと挨拶し、アスターは明かりがなく暗い廊下を帰った。


 鉄は熱いうちに打てと言う。アスターは早速ケラススを探し、アイリスへ手紙を渡すよう頼んだ。

 そして指定した日の雲が多い昼、アスターはフロラスを連れて庭へ出た。


 とっくに燃やされているはずの手紙には、依頼を受けてくれるなら髪に緑のリボンを、無理そうなら赤を結んでくれと書いた。

 彼女の回答はどちらだろう。

 フロラスと話しながら、何気ない風を装いつつ、女子棟を確かめていたアスターは、ようやく待ち望んだ姿を認めた。

 女子棟から友人の少女と出てきたアイリスのリボンは、緑色だった。


「こんにちは。君が噂のアイリス嬢かな?」


 はやる胸を抑えながら、あたかも偶然のように、アスターはすれ違いかけたアイリスを呼び止めた。彼女の隣の少女の視線が露骨にフロラスに釘付けになっているのに狙い通りだと思いつつ、内心苦笑した。


「はい……えっと、アスター殿下とグランディ様。何かご用でしょうか」

「そう構えないで。有名人に話を聞いてみたいだけだよ。時間は取らせないから、少しいいかな、お友達のお嬢さん?」

「はいっ!」

「ちょっと」

「いいじゃないアイリス。ここでお知り合いになっておきなさい、あなたのためになるから」

「ねえ聞こえるから! ……わかりました。本当に少しだけなら」


 一芝居打って人の少ない場所へ行ってから、フロラスに合図し、アイリスの友人の注意を引きつけてもらう。複数人で立ち話なのだ、周囲にはそんなに親密には映るまい。

 それでも距離には注意して、アスターは声を潜めた。


「受けてくれるんだね」

「はい。殿下には恩がありますから。その節は本当にありがとうございました。でも一つだけ教えてください。殿下とその人は一体どんなご関係ですか?」

「私にとっては何よりも大切な人だ。彼女にとっては昔はきっと親友で、今もまだそうであるために彼女を解放したいんだ」


 即答した。それ以外なかった。

 そのときふと雲間が切れ、刷くように陽光が差した。アスターの見る前で、アイリスの瞳がその細い光を受けて青紫に変わる。


「殿下を信じます。皆できっとベラドンナ様を助けましょうね」


 にっこりと笑うアイリスに頷き返しながら、アスターは胸の中でベラドンナの名前を呼んでいた。




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