(22) アスター王子、呪いと決めつける
時系列としてはベラドンナ編7話あたりで圧縮されてる部分です。
「そんなに呪いに興味があるなら公女様と結婚すればよかったのに」
「よせ」
またフロラスの小言が始まった。
アスターはそう思い、書見台の本に目を落としたまま返事した。
早春、本がひしめく学園の図書館である。アスターが版本を読み尽くす間も、堆積する写本に取りかかってからも、フロラスは体がかび臭くなるだの目が呪われるだの不満そうにしていて、今もわざわざ昼食後にここまでありがたく足を運んでくれる。端的に言ってうるさい。
「アスター、あらぬ疑いをかけられるぞ」
「今ごろ宮廷人の間でアスター様は誰かを呪い殺したがっているぞと囁かれているだろうな。避けねばならない危険なものこそきちんと知識を得ておくべきだと僕は思うが。ほら見ろフロラス、不妊の呪いだけでこの厚みだぞ。知らないままで大丈夫か?」
「そんな知識はご教示くださるのに記念の角は見せてくださらない。大事な物は握りこむ質らしい」
いつもの嫌味だと流しかけ、ふと気が変わった。
どうせアスターはフロラスに反対されようがベラドンナを思い続けるのだ。そろそろベラドンナへの思慕を打ち明けて仲間に引き入れるのはどうだろう。
「……なんだ。見過ぎだぞ」
信頼できる男である。情に厚い男でもある。何より、型破りなベラドンナと相性が悪く、彼女の心から最も遠そうな人間である。
アスターは腹を決めた。
ネリネの覚悟を見習うのだ。ベラドンナとの思い出を第三者のフロラスに話したくないなどとうじうじしている場合ではない。いや仲良くしていたと伝えればそれで十分だ。やはり話すまい。
「おいなんだこの手は、おい、アスター?」
席を立ち、写本を片づけたアスターは、黙ってフロラスの腕を引き、自室へ連行した。
目を白黒させているフロラスを椅子に座らせ、両肩をつかむ。
「君を信じて力を借りたい」
「任せろ」
安請け合いに見えてこれで本気なのである。アスターは親友の頼もしさに笑みを堪えきれなかった。
ベラドンナと出会うに至る事情から学園での違和感までアスターはざっくりと説明した。
「概ねわかった。整理する」
「聞こう」
「お前とベラドンナ嬢は昔一緒にコルチカム公爵の別荘で暮らしていた幼馴染である。お前が寮に入ってからは疎遠になっていたが、十四で再会し文通を開始。ベラドンナ嬢は幼少期から変わらない性格だったのに、いざ学園に来たら手紙から異常が滲み、対面したら明らかに恋に浮かれておかしくなっていて、どうも公爵が裏にいるらしいから、公爵の魔の手から彼女を解放したい。そうだな?」
「恋は芝居なんだ。それで合っている」
フロラスは天井を見、左右を見、床を見てから再び顎を上げて、それからようやく座ったアスターへ視線を戻した。水色の目が据わっている。
「はっきり言うぞアスター。お前が何を疑っているのかさっぱりわからない。恋愛感情の解説が必要か?」
「うーん、僕の知るベラは僕に恋をしていないんだ。仕方がないから少し教えてあげるけど、学園に入る前の最後の手紙でベラが何を書いたかというと、古典の記述から検討した怪物の倒し方だったんだ。それが突然次の手紙では昨晩殿下は夢を通って私に会いに来てくださったでしょう? と記してあったなら」
「待て。俺は本当に令嬢の手紙の中身を聞いているのか? 弟の方ではなく?」
「知っての通りソレルとは交流がないんだ。とにかくおかしいだろう、明らかに」
「まともになったと寿ぐべきだろう。恋をして精神が成長したんだ」
「すると恋をすればするほど賢人に近づくわけか。服よりも頻繁に恋人を取り替える人間はむしろ愚者への道を邁進しているように思うが凡才たる僕のことだからとんでもない考え違いをしているんだろうな」
「気に障ったこととお前が彼女に傾ける情熱については少しだけ理解した。この少しがどちらにかかるか、悪く解釈してくれるなよ」
両手を上げて降参の仕草をし、フロラスが皮肉げに薄く笑う。
「仕方ない。気は進まないが協力するとも。万が一でも悪の気配があるなら見過ごせん。それにベラドンナ嬢も見所がないわけではないしな。何しろ俺に靡かなかった」
「何? 誘惑したのか」
「ふん。何も言わずにいなくなったお前を探していたから相手してやったんだよ。安心しろ、清々しいほど俺に興味がなかった。まんざら誰でもいいってわけではなさそうだ」
「……あまり人を試すなよ。僕のこともベラのことも」
「ご忠告感謝。悪いが趣味でね」
この顔は見苦しくない上に付き合う人を選ばせてくれるから便利だ。
学園で並ぶ者なく、どこにいても必ず熱い視線を集める自分の容姿について、かつてフロラスがそんな冗談を口にしたのをアスターは思い出した。
つくづくベラドンナがベラドンナでよかった。フロラスも性格が悪くてよかった。たとえ恋敵になったとしても最後まで戦うが。
「それで? アスター殿下は愛しの君のために何をなさるおつもりで」
「実はそれも相談したいんだ。公爵は何かしらの方法でベラを従わせているんだが、彼女も口止めされていて、どうやってそれを調べたらいいだろう」
それとなくソレルに探りを入れてもろくな情報を持っていなかった。公爵に伝わっても困るのでその線は諦めた。
ベラドンナ自身は手紙ではやはりだめだった。直接話すのは、ベラドンナがまた不適切な距離まで接近してくる可能性がある限り、アスターはともかく彼女の評判が落ちるのが怖くて試してもいない。
懸念は他にもある。あれほど手酷くベラドンナとの結婚の望みを潰されたのに、懲りずにアスターがベラドンナと親しくすれば王の逆鱗に触れるだろう。
悔しいが、アスターはアスターだからこそ踏み込めない。手詰まりなのだ。
「お前の妻になりたくて父親に協力しているんだと喉元まで出てきたぞ。女性に協力してもらうのはどうだ。間違ってもお前にしなだれかかってこない女性にな」
アスターは少し考えて、フロラスに次のような考えを述べた。
学園の女性の先生を頼るとして、人選に困る。公爵のこれほどの醜聞が敵陣営に渡れば公爵ごとベラドンナが路頭に迷いかねない。さりとて公爵に取り入る手土産にされるのも不可、王子にいい顔をしながら公爵にも憚って足踏みをする人でも不可なのに、男子生徒のアスターでは、ほとんどの時間女子棟にこもっている先生たちの人柄を見定めるのは困難を極める。
その証拠に、十一からここにいるにもかかわらず、女子棟の責任者がサルビア夫人という人である、くらいしかアスターは知らないのだ。
従って選定の条件は同じでありつつ、アスターでも話しかけやすい女子生徒が現実的な候補になるが、アスターはベラドンナ以外に知人すらいなかった。 ミモザ嬢は、察するに、彼女はアスターにとってのフロラスではない。
「僕はこのとおりお手上げなんだが、君はこんなことを打ち明けられる女性に心当たりが?」
フロラスは黙った。どうやら根気よくいくしかなさそうだった。
時間をかけて取り返しがつかなくなったらと気は焦るが、手間自体はいくらかかっても構わなかった。譲れない思いを確認し、改めて大事なベラドンナのためである。どんなに骨を折ってくたびれようが損はない。
それに何よりアスターはベラドンナに償わなければならない。
計画を開始し、女子生徒と関わっていくうちに、アスターは自分の犯した過ちに気づいた。
アスターは、結果は今と同じになるとしても、触らないようベラドンナを根気強く説得したり、他の女性を交えたり、交流を続ける努力をすべきだった。
それをいきなり会わないという極端な方法をとってしまった。あまつさえ、こうして他の女子生徒へはアスターから平気で話しかけている。これではベラドンナにお前といるところを人に見られたら恥ずかしいと言ったも同然だ。
独占欲からせっかくベラドンナと会うのに誰かを連れていくなんて発想はなかった。下心から触ってもらえて動揺し、よく考えもせず軽率な判断をしてしまった。
ベラドンナは傷ついたに違いない。アスターが保身のために裏切ったと恨んだかもしれない。
もっと悪ければ、張りぼての恋情の裏で枯れきったアスターへの友情を処分している最中なのかもしれない。
今はもうそこまでの失態を演じはしないが、その可能性に思い至った日には目眩が起こり、視界が激しく点滅し、どうやら体を支えてくれているらしいフロラスの顔も声もよくわからなくなった。
異様な寒さを感じたのを最後に、意識がはっきりしたときには久しぶりに医務室にいた。
フロラスには心配されたしバーチからも手紙が来て典医にかかることを強く勧められた。特にバーチにはすまなく思い、アスターは彼の城まで出かけていって、彼が弟は元気だと安心できるまで付き合った。
おかげで春の催しに参加できなかったが、仕方がない。トリテレイアでの一応の任務成功から、せっかくバーチでなくとも構わない仕事を引き受ける手筈になっていたのに、やはり自分がと病人のバーチに考えを変えさせてはいけない場面だった。義姉にも悪い。
だが倒れた理由については、旅の疲れだと最後まで嘘をつき通した。
本当の理由が間抜けなのもさることながら、大事にしたかった人を完膚なきまでに傷つけたとか、夕陽が落ちたら夜が来る、毒虫が潜んでいるかもしれないその暗闇が怖いなんて泣き言をどうして病身のバーチに言えるだろう。彼が用意した縁談を、恋に殉ずと嘯いて、すでに破っておきながら、これ以上兄を失望させるなんて。
暗い気持ちに拍車をかけるように協力者探しは難航した。
まず相手に迷惑をかけないよう話しかけるのが難しい。そしてあの人は人格者だとアスターの耳にも届くような女性は、教師も早くよい縁を結んであげようと親切心から社交の場で積極的に名前を出して褒めるので、あっという間に寿退学してしまうのだ。
事が事だから慎重に見極めたいのに何も始まらないうちから振り出しに戻ってしまう。
「殿下にお声をかけていただいた女性は良縁に恵まれるそうですよ」
「そうか。私に縁はないのにな」
アスターはぼやいた。
縄張りを見回る猫のごとく、回廊を無駄に通るお決まりの運動の最中だった。王子には徘徊の趣味があると周知されたらしく、この時間になると人がいなくなる。
緑萌え出づる芝の上に立つ白い東屋。その中にひっそりと座るベラドンナを視界に入れ続けるアスターに対して、フロラスはもはや何も言わない。粘り勝ちである。
「ベラドンナ嬢に対する弟の様子からすると、異変にお気づきになっているのは未だに殿下お一人でいらっしゃる」
「だろうね」
「……さて、そんなベラドンナ嬢にちょうどいい比喩がございます。呪われたように人が変わった、と。この呪いというのは、実情としては恋の言い換えでして」
「――フロラス」
アスターは足を止めた。
「それだ!」
「は?」
「なんてことだ、僕は愚かだ! どうして思いつかなかったんだろう。手紙が変わったのは学園に来る前だ。それなら侍女がライアなのだから気づくはず、ライアもろとも彼女を、それは家の者でないと……まさか」
ベラドンナの恋に気づいている旨の発言。アスターのためにと平気で幼いベラドンナを差し出す無神経さ。侍女を呪える立場にあって、ベラドンナとアスターが結ばれて得をする人物。
「公爵?」
「滅多なことを言うな!」
フロラスがあたりを見回す。誰にも聞かれていないのを確かめて、ぐっとアスターへ顔を寄せてきた。
「殿下。頭が呪いに取り憑かれていらっしゃる。何度でも言うが常識的に考えて公爵の命令だろ。子にとって父は絶対だ。それに令嬢ならば一度は王子との結婚は夢見るものなんだ」
「そうだな、何の呪いだと思う? 傀儡の呪いか? いや推理の材料が揃う前に決めつけるのは視野狭窄を招いてしまうな。フロラス、絶対に呪いを指摘するなよ。下手に暴くと被害者は自死してしまう場合が多いんだ」
「やめてくれ。もう言ってしまうがな、あなたはベラドンナという取るに足りない女のために漁色家と誤解されかけているんだぞ。もう十分だろ。これ以上あなたが誤解されるのを見たくはない」
「すまない、薄々気づいていたんだが無視していた。でも本当に感謝しているんだ。それでも僕と話してくれる人や、火消しをしてくれている君には特に。ベラドンナに伝わったらと思うと」
「またベラドンナ!」
叫んで、フロラスははっとして声量を抑えた。
「呪いだぞ。穢れで、下劣で、そんな大それた嫌疑を公爵にかけて、間違っていたら、お前は……!」
「うん」
「うんじゃないんだよ。いいかアスター、生きている限り人は変わるものだ。たとえば俺が理想破れて悪から顔を背ける男になったとしても、お前は俺が呪われたと信じてありもしない解呪方法を探すのか。本物の、ただの心折れた俺がそこにいるのに、過去の俺だけを求めて現実の俺を否定するのか!? それは惨いぞアスター。お前はベラドンナ嬢で人形遊びをしようとしている!」
小声ながら語気が荒い。アスターはフロラスの、興奮のあまり色濃く光る瞳をまっすぐ見つめて、静かに言った。
「違うよフロラス。君は自ら目を塞いでも、誰かの悲鳴が聞こえたならやめろと叫ばずにはいられない人なんだ。それ以外何もできない己を憎む君だと知っているから、僕は君が自分に見切りをつける前に、君を否定してでも元に戻してやりたいと思うんだ」
眉間の深い皺もつり上がった眉も、目元の力みや頰の引きつり、言葉を失って固まった薄い唇まで、フロラスの造形は見る者の注意を引きつけて離さない。彼の感情はそこに現れた通りの純度の高さで相手に届く。
だからアスターにはわかる。フロラスの心は今揺れている。
「フロラス、わかってくれ。君にとっての道理が、僕にとってのベラドンナだ。僕が間違っていたとしても、ベラドンナが苦しんでいないとわかるなら僕はそれでいいんだ」
「……くそっ! 恋! これが! こんなものが!」
「僕が勝手におかしくなっているんだ。そこを取り違えるなよ」
「ありがたいご指摘に涙が出るな。礼としてお前こそお前のせいで惚れた女性がどう言われるかを忘れるなとお返ししよう」
早口に言い捨て、フロラスは、ああ、もうと呻きながら乱暴に髪をかき乱して頭を抱えた。アスターがそのつむじを観察していると、突然背筋を伸ばす。
「お前の後ろをついていく。そしてお前が内乱の罪で告発される際に、お前がどれほど狂っていたかを克明に証言してやろうじゃないか」
凛とした宣言に、アスターはつい破顔した。
「君は実際情熱的だよ。そのあたり皆にわかってもらえるように薔薇の香りでもさせたらどうだ。女性の香りと言われていても、お前なら自分のものにしてしまえるだろう。いっそ香り入れごと贈ってやろうか?」
「結構だ。形見を贈ったと安心してもらっては困る」
嫌そうにするのにまた笑ってから、アスターはベラドンナへ視線を転じた。太陽が柔らかく注ぐために薄暗くなっている東屋で、彼女はまだぽつんと一人だった。
その隣で同じ影に身を浸したくてたまらなかった。




