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少年(少女)は足掻いている  作者: 草次城
第4章 呪い

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(21) アスター王子、旅を終える

 


「公女殿下とご懇意になさっておいでとか」


 早朝、滞在する部屋に随行する大臣が訪ねてきたので何事かと思えばそんなことを言われた。対面に座った男に探るように送られた目線を、アスターは明るく受け止めた。


「ありがたいことに何くれとよくご配慮をなさってくださる。優しく、素敵な方だ」

「さようでございますか! すると、やはり……?」

「うん。これは秘密にしてほしいんだが、私は彼女を、姉のように思っている」

「……それはそれは」


 身を乗り出した大臣が残念そうに姿勢を戻すのを内心嘲笑う。男女が少し親しくしたら即座に無駄な期待をして、まったくご苦労なことだ。


「公女殿下はお美しく淑やかでいらっしゃって、何事も控えめにお聞きになって、良妻賢母となられることは疑いのない類稀なる美徳をお持ちの女性ではありませんか。生ける花とはまさに殿下のための言葉。男なら誰しも我が窓辺にと願うでしょうに」

「女性を単なる飾りにして喜ぶのが男なら、私は男でなくていい。用件はそれだけか? お前も知っているはずだが、今日は忙しいんだ。少しはゆっくりさせてもらいたいな」


 さっさと退散を願って、アスターは一人、椅子に腰を下ろし、だらしなく背もたれによりかかって天を仰いだ。


 アプレで女王の誕生を目論んでいるアスターにとって、ネリネはこの上ない相談相手だった。

 彼女は歴代の女大公の知見を継承している。心身ともに健康であることが強く求められる統治者に、月々避けられない不調や妊娠出産の期間がある女性が就くための工夫や、臣下からの反発と対応集、爵位を女性が継ぐ際の注意点などなど。

 無論それをそっくりそのままアプレに移植するのは不可能だが、非常に参考になる。

 ネリネには、なぜアスターがそんなことを知りたがるのかは説明していないが、王太子の子が女の子だけなのは把握しているはずなので、何かしら察しているのだろう。


 色めいた事実は何もないとはいえ、大臣が確認に来た事実は軽視できない。うかうかしていると婚約が成立してしまう。


 なにせ肝心のネリネが、この事態をどう乗りこなすのかお手並み拝見とばかりに味方になってくれないのだ。そのくせベラドンナの話を聞き出そうとつついてくる。

 出会ったころの猫被りは何だったのかと思いはするが、彼女が従順なふりをした理由がわからないではないのだ。


 アスターにも覚えがある。他人に理解を求めるのは気力がいるし傷つきもする。そこで周囲に期待される通りの人間を演じれば、無理解に晒されても、本当の自分を知らないくせにと孤独の悲しみを侮蔑に置き換えて心を守ることができる。


 しかしそれでは状況は何も変わらない。悪くすれば、諦念が徐々に心身を侵し、努力すれば何かが変わるという希望を挫けさせ、戦う他人へも無駄骨を折っていると憫笑を向ける癖がついてしまう。

 その苦い流れに抗う術のひとつが怒りなのだ。怒りは諦めさえも燃料にして、ネリネに私の話を聞けと叫ばせ、ベラドンナに私を矯正するなと吠えさせ、過去から現在まで摘まれるのを待つだけの花と見なされた誰かにも、静かだが決して消えない火を灯し続けているのだろう。


 ――だけどベラ、もし君が、妻になって夫に愛され、母になって子を慈しみたいと君自身で決めたなら、僕は何も邪魔をするつもりはないんだ。


 まもなく旅は終わる。帰っても渡す予定のない手紙の内容を、頭の中で整えながら、アスターは何度目かのため息をつき、ベラドンナより先にネリネに出会っていたら彼女に恋していただろうかとつまらない想像をする。

 その答えが何であれ、仮定が仮定のままで何ら惜しくないことこそが重要なのだろう。


 昼前に大公の娘の城を出た一行は、大粒の雪が降る中、最後の目的地である宮殿へ向かっていた。


 箱ぞりの滑る音に混じって時折軋りと馬の鼻息が聞こえる。冷気はしみるが、風が遮られているのはかなり大きい。外を行く者たちは寒いだろうから吹雪にならなければいいがと思っていると、唐突にそりが止まった。アスターが窓を見ると、ガラスの向こうに護衛が現れたので、そのまま尋ねる。


「何があった」

「この先でそりが壊れて荷崩れが起きています。積み直しに時間がかかると見込まれますので、焚き火をご用意します。準備が整いましたらお呼びいたしますので、もう少しだけお待ちください」


 待機は予想よりは短かった。

 そりを降り、護衛に先導されて着いた先は、除去した雪で壁を作った小さな円形の広場だった。中心に赤々と火が燃え、降る雪に反応して音を立てている。

 先に暖まっていたネリネが毛皮で裏打ちした外套が重いと愚痴をこぼすのに付き合っていると、槍の他に矢筒を背負ったネリネの護衛が、集合した人員に対しアプレの言葉でも注意喚起をしている声が聞こえた。


「ここは森の中ですから獣が出る可能性があります。狼は賢いのでめったに人間には近づきません。鹿は臆病な動物ですから繁殖期ではない今なら向こうが逃げます。だからといって近づいたり大声を出したりせず、落ち着いてその場を離れてください。刺激すると焦って攻撃してくる恐れがあります。もしそれで体に角が刺さったら、最悪の場合は死にます」


 襲われたら高い位置に避難せよとの忠告を最後に、散開して雪壁沿いに配置につく男女を眺めていたら、ネリネに他の立ち往生している人々がいるなら呼んだらどうかと提案された。名案なので調べてもらおうと隊長を探したアスターがとらえたのは、正面の壁上にぬっと現れる影だった。


 鹿だ。アスターと視線が合ったせいか、両耳をぴんと立てて硬直している。角がすんなりしていて若そうだから、警戒心がまだ育っておらず、人間の立てる聞き慣れない音に引き寄せられてしまったのかもしれない。


「ネリネ姫。正面に鹿がいます。離れましょう」


 アスターがそっと目を伏せて隣に囁いてすぐ、他の人間も鹿に気づいたらしく、空気が張りつめた。


「全員慎重に行動せよ」


 低く飛んだ指示のうち、そちらはアスターにも理解できた。護衛たちがアスターたちと鹿の間に入ろうとじりじり接近してくる。


「目を合わせずに。前を向いたままゆっくりお下がりを」


 もう一人の護衛にも庇われながら、アスターが指示に従おうとした、そのとき。


 後ろから飛んできた枝が鹿の鼻面にぶつかるのを、アスターはっきりと見た。

 鹿は素早く頭を振ったかと思うと、その場から何の助走もなく、こんな緊迫した場面でも見惚れるほどに軽やかに跳躍した。


「おわーっ!」


 悲鳴の方向へさっと向き直ったアスターは、アプレの制服を纏った男が地面すれすれまで鼻を下げて角を突き出した鹿の突進をなんとか避けて転ぶのを目撃した。鹿はそのまま落ちている枝を蹴散らして駆けていく。


 投擲の犯人がわかり、アスターはつい舌打ちした。アプレの馬鹿は揃いも揃って物を投げるのが好き過ぎる。


 それでも人の怪我を喜ぶ趣味はないので、鹿が情けない有様に溜飲を下げて去ってくれたらと願ったものの、その甲斐なく鹿は近くにいた別の人間へ突っ込んで暴れ始めた。悪いことに、それで広場の出口が塞がり、アスターとネリネが箱ぞりへ避難できなくなってしまった。


「背中を向けるな!」

「高所へ逃げろ!」

「足を捻った、助けてくれ!」


 怒号が飛び交う。鹿は恐慌状態である。あまりに動き回るので、人々は槍のような角をかわすのに精一杯、弓でも狙いをつけられていない。

 全員避難すべき状況だった。しかし護衛らは、アスターとネリネがここにいる限り、それじゃあお先にとはいかないのだ。だからアスターは、立ち止まっているネリネに退避を促そうとして、ふと視界に入ったネリネの護衛の奇妙な構えに引きつけられた。


 なぜ彼女は、この状況で槍の穂先を地面に向けているのだろう。


 まるで鹿を傷つけたくないようだと思い、アスターははっとしてトリテレイアの人間たちを確かめた。皆悲痛な面持ちである。しかも誰一人抜剣していない。鹿が停止して正面の相手を威嚇しているときなど、脇から攻撃できそうな隙があるにもかかわらず。


 きっとそうだ。彼らには、聖鹿へ武器を向けることに抵抗があるのだ。

 察すると同時に、ある危うい閃きがアスターを貫いた。


「弓を渡せ」


 アスターの命令に息を呑んだのは護衛だけではなかった。それぞれに唇を薄く開き、しかし結局声を出したのは矢筒と弓をアスターに差し出した一人だけだった。その微かな呟きは赦しを求めるものだろうか。


 しかしアスターは弓を引く。意識を研ぎ澄ませる。鹿を傷つけたくないトリテレイア側とそれが理解できないアプレ側で起きかけている諍いの気配を頭から追い出す。


 集中しろ。見るべきはただ、人と鹿の次の動きのみ。

 一矢で片をつけるのだ。失敗すれば次はない。


 不意に鹿が一旦人間から距離をとり、敵を見定めるように止まった。そして耳だけ忙しくしつつ、一点を睨んだまま前足を踏み鳴らす。

 一秒、二秒、まだ動かない。


 ――今!


 アスターが放った矢は、過たず標的を撃ち砕き、地面に突き刺さった。

 そして落下する、鹿の片角。


 どよめきが起こる。鹿は急に軽くなった頭に戸惑うように二、三度首を振り、まるで角と一緒に興奮を失ったかのように、あっさりと森へ消えていった。


「殿下」


 バンナンの言葉で呼ばれ、ネリネにまず視線をやったアスターは、目が合っただけで通じ合うのを感じ、棘のない呆れを浮かべた彼女に向き直るまでに自然と頰が緩んでいた。


「角を狙ったのですね? これがあなたの解決策というわけですか」

「成功してよかったです。あなたが生えかわると教えてくださったおかげで、取り返しのつかない怪我をさせずにすみました」

「あれが彼らの誇りだとは思いませんでしたか?」

「鹿にとって大事なのは、角そのものではなくそれで戦い得る勝利のはず。それに、命を捨ててまで守るべき誇りなど、この世にあるとは私には思えません」


 答えながら、アスターは、実例は知らないが、出来の悪い弟を見る姉というのは今のネリネに似ているのだろうと思っていた。


「いいえ殿下。それは弱者の理論です。戯れでも王者なら口にしてはいけません」


 だから否定されても怒りはなく、ただ少しだけ恥ずかしかった。


「……反論もしないんですもの」


 その呟きを境に、ネリネの雰囲気はがらっと変わった。それに反応し、思わずといった風に背を伸ばしたのは、近くにいる彼女の護衛たちだけではなかった。

 注目を一身に浴びたネリネは、護衛の一人に合図し、言葉を切り替えて周囲に聞かせるように話しだす。


「アスター殿下。あなたが鹿の体の一部を破壊せしめたことは、我々にとって看過しがたい出来事です。しかしあなたが弓をお取りになったのは我々の安全のためであり、さらには外つ国の方でいらっしゃるのに、あえて難しい角をお狙いになってでも、鹿を傷つけないように注意してくださいました。その勇敢さと慈悲の深さは疑いようがありません。したがって、私が申し上げたいことはたった一つ」


 通訳を都度待ちながら、そこまで言って、ネリネは笑った。


「アスター殿下。私たちを助けてくださって、本当にありがとうございました」


 そしてネリネは美しい礼をした。トリテレイアの人々が彼女に習い、アプレがそれに続く。

 雪は降り続けている。


 後日、宮殿での最後の晩餐会でも、トリテレイアではあり得ないアスターの仕出かしをネリネが率先して好意的に扱ってくれた。

 おかげでアスターは大公たちから、少なくとも表面的には温かい送別の言葉をもらった。こちらの大臣たちの顔色は優れなかったがアスターには関係のない話だ。


 その対応でアスターは十分過ぎるほどに恩を受けたのに、ネリネはさらに、旅立つ直前にわざわざ見送ってくれた上に餞別をくれた。

 渡された箱を開くと、聖銀刺繍の赤布に、鹿の角の欠片が包まれていた。


「お守りです。獣の角はまじないにも呪いにも便利ですから」

「呪いませんよ」

「さあどうでしょう。あんなことをやってのけたあなたですから。おかげで私は、らしくもなく弱気になっていることがわかりました。私は大公になりますよ。縁談もすべて断るのではなく、条件がよければ婚約して、その上で戴冠してやる、くらいの勢いでいきます」

「おお……。応援します」

「ありがとうございます。アスター殿下もお元気で。何か一つでも、あなたの望みがお相手にもよい形で叶いますよう祈ります」


 ネリネと別れ、雪を抜けて帰還したアプレ。その宮殿にて、床を払った兄バーチへ、アスターは旅の報告を終えた。


「聖なる鹿の角をへし折ったお前へ大事な姫はやれぬと大公は仰せだぞ。なあアスター、ネリネ様は音に聞こえた美貌の姫なのだぞ。実際誇張ではなかっただろう」

「美しく、お心の強い方でした」

「……それがわかるのに、よい噂がないオータムの娘を、お前はなぜむしろ……」

「兄上、ベラドンナです。私が愛する彼女の名前はベラドンナ。オータムの娘とは呼ばないでください」


 バーチが眉を下げて苦笑した。


「それが通るか、御歴々の血が流れる我らに」

「兄上」

「わかったわかったアプレの王子殿。褒美をやる。本当なら結婚の前祝いのはずだったんだ」


 バーチは栗毛の馬をくれた。アスターは白斑のあるその素晴らしい牡馬にアルセアと名付けた。


 旅は長く感じたのに、春はまだアプレに気配しか残さない。アスターは学園が始まるのが待ち遠しかった。




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