96.コンピューター同士の戦い
『なあに、お姉ちゃん』
チェルシーが、不審そうな声で聞く。
コンピューター戦争の真っただ中、事態はナノ秒単位で推移している。
チェルシーとしても、少しでも気を抜くと・・・AIに気を抜くことがあるのだろうか?・・・事態は一気に悪化することは想像に難くなかった。
だけど・・・だけど、わたしは、心の中に、ものすごくひっかかりを覚えていた。
何か打開策がある。
なんだか分からないけど、もやもやのようなものが、喉元のすぐそこにあって、それさえ出て来れば、全てがうまく解決するような・・・そんな気が強くしていたのだ。
・・・なんだろう。
わたしは、何が言いたいのだろうか?
チェルシーの撤退の言葉を、思わず止めてみたものの、次にいう言葉が喉元につっかえて出てこない。
『なあに、お姉ちゃん、どうしたの?』
チェルシーが再び私に聞く。
わたしは、眼の前に浮かぶアメリカ大陸の地図を見た。
赤や緑、黒い点と、ネットワークの活動を表す色とりどりの弧線が激しく瞬いている。
・・・何かおかしい。
・・・何かこの光点や輝線のパターンには、隠されたような不自然さがある。
そう感じたとたんだった。
わたしの精神が、また、ふわっと空中に浮いたかのようだった。
この感覚・・・この感覚は今日2回目だった。
わたしの精神が、わたしという肉体から遊離したような感覚。
わたしの中にわたしがいるのに、それを感じているわたしが別にいるかのような感覚。
精神だけが、肉体から切り離され、物事を冷静に、客観的に見通すような感覚。
その感覚に襲われたのだ。
それは、わたしの目の前の霞が取り払われたような感じだった。
それも、かなり分厚い霞が消え去り、ありとあらゆることが、クリアーにわたしの感覚に飛び込んで来た。
視覚だけではない。
聴覚も、触覚も、全てがクリアーだった。
まるで、世界が生き返ったかのように、新鮮な色合いに包まれている。
不思議な感覚。
不思議でいて、なおかつその世界は生き生きと輝いている。
変性意識。
そんな言葉が、自然にわたしの心の中から立ち上ってきた。
それが何なのか、わたしには分からない。
でも、その言葉は、今のわたしの状態にぴったりの言葉だった。
目の前に、アメリカの地図があった。
さっきまで見ていた地図。
でも、それは先ほどまで見ていた地図と、大きく意味あいが変わっていた。
地図上に散在する赤と緑と黒の点。
そして、それぞれの点を繋ぐ、ネットワークの活動量を示す脈動する弧線。
その中に、わたしは数多くの意図的なパターンを見た。
いや、見たというより、感じた。
何者かの意図が、ネットワークの流量の中に息づいている。
それは、ほんの僅かなデータ量の偏り、ほんの少しの経路の偏向だった。
でも、わたしはそのパターンの中に、ある一点から張り巡らされた、細い細い、蜘蛛の糸のような網があることを感じた。
そして、その蜘蛛の網は、地図の一か所を指し示していた。
カリフォルニア州南部。
そこには、輝く赤い点が一つだけあった。
周りから隔てられた赤い点。
何の変哲もない赤い点。
蜘蛛の糸は、そこから全米中に張り巡らされていたのだ。
『お姉ちゃん、相手のコンピューター群が、反撃に出た。アノニマスの踏み台サーバーが、次々と潰されて行っている』
目の前の地図からは、グリーンの光点がどんどんと赤に切り替わっていく。
「まずい、この場所を突き止められるのも時間の問題だ。チェルシー、ネットワークを切断するんだ」
パパがチェルシーに命じた。
「待って」
それを遮ったのは、わたし。
今、この状態からネットワークを切断したら、わたし達の未来は暗い闇に沈んでしまう。
わたしの、クリアーになった目には、その未来の姿がはっきりと映し出されていた。
蓋然性の未来。
幾つも枝分かれして存在する可能性の未来。
その未来の中でも、とても言いようのない闇に包まれたような未来は、今、わたしたちがコンピューター戦から撤退することにより、蓋然性が遥かに強まる。
人々が苦しむ未来。
戦争や犯罪が絶え間なく起こり、大量の人々が苦しみながら死んでいく未来。
その未来に繋がってしまうのだ。
わたしは、そう確信した。
「チェルシー、ここ、ここにAIがいる」
わたしは、カリフォルニア州南部の赤い光点を指し示した。
「ここに、攻撃を集中して。このAIが最大のネックよ」
普通ならば、コンピューターに素人同然のわたしの言葉など、チェルシーは無視しても良かった。
いや、無視するはずだった。
だけど、チェルシーは、わたしの中の何かを感じ取ったのだろうか、わたしの指示に従ってくれたのだ。
直ちに、目の前の地図のネットワーク経路が変化した。
世界中から流れてくるネットワークを介したデータ量を示す弧線が、カリフォルニア州南部のその一点に集中し始めたのだ。
チェルシーは、いつの間にか、アノニマスのメンバーが使っている踏み台サーバーを含むあらゆるサーバーや、インドや中国のサーバー群を支配しコントロールしていた。
そして、その数千台から数万台にも達すると思われるコンピューターの能力を、全てカリフォルニア州南部の一点に振り向けたのだ。
アメリカ中を駆け巡るネットワークのデータ流通路も直ちに変化した。
チェルシーが振り向けた攻撃を防ぐかのように、米国中に散らばる赤い光点のコンピューター群が迎撃している。
今や、地図は巨大なデータの奔流の激突する戦場だった。
『お姉ちゃん、正解。あいつら、総力であそこを守ろうとしている。こうなったら、力比べよ』
チェルシーの声が興奮している。
チェルシーの正体はAIなのに、感情が高ぶっているんだ。
今や地図はがっぷりと四つに組んだ力比べへと変わっていた。
双方の力量はほぼ互角。
激しいデータの奔流に、処理負荷が追いつかず、ダウンするサーバーも双方で増えてきている。
『もう少し、もう少しよ。ああ、もっとコンピューターがあれば』
チェルシーの興奮しきった声が響いた。
「大河原先生、なんとかならないの」
わたしは、隣に居て、唖然と様子を見ている大河原先生をせっついた。
その私の声に、我に返ったのか、大河原先生か携帯を取り出す。
そして、どこかへ電話をし始めたのだった。




