74.毛呂山町(もろやままち)からの脱出
高杯警部の言葉はブレがなかった。
嘘の言葉は、どういうわけか、わたしには二重に響いて聞こえてくる。
でも、今回はその言葉は真っ直ぐだった。
わたしは隣に立つ西蔵警部補を見た。
西蔵警部補の顔からも、高杯の言葉が真実であることが読み取れた。
胡散臭くて、嘘臭くて、法の番人と言う言葉からは正反対の極にあるこの二人からは、その臭いが一切立ち込めてこない。
「し、しかし・・・」
おじさんは逡巡していた。
「ぐずぐずしていると、ここもじきに襲撃される。襲ってくるのは、多分訓練を受けた特殊部隊の連中だろう。我々と一緒に来るしかない」
高杯警部の言葉が更に響いた。
「おじさん、わたし、この人たちと行きます」
わたしはそう言った。
「えっ、しかし、こいつらは・・・・」
「わたし、この人たちを信じます。今言っている言葉に嘘はないと思います。それに、もしこのままわたしがここにいたら、近所の人たちに危険が及ぶかもしれない」
NSAですら私の家に爆弾を仕掛けようとした。
その事実を考えると、他の国の諜報機関がそれよりも紳士的でやさしいとは、とても考えられなかった。
でも、わたしの言葉に、高杯警部達はかえって驚いたようだった。
「よし、よく言った、さくら君、じゃあ直ぐに車に乗りたまえ」
「でも、一つ条件があります。セバスチャンを連れて行きます」
「セバ・・・誰だそれは」
高杯警部の顔がぽかんとした表情になる。
まるで、推理小説の最後にあかされる真犯人が、今までにまったく登場してこなかった人物だったというオチを読んだ時のような表情。
「うちの猫です。とてもいい子」
「ああ、分かった。猫でもネズミでも連れて行く。だから早く」
ネズミなんか、飼っていない。
でも、本当に時間がないようだった。
高杯警部達の顔に焦りの色が浮かんでくる。
玄関での押し問答にだいぶ時間を使ったと後悔しているような感じ。
「セバちゃん、おいで、出かけるわよ」
わたしは踵を返して居間に駆け戻った。
みゃゃゃゃゃ?
どこへ行くの? というように、セバちゃんがわたしの顔を見て鳴いた。
いつもの登校時とは違っていて、戸惑っているみたい。
わたしは両腕にセバちゃんを抱き上げた。
既に学校に行くために制服に着替えていたわたしは、そのまま学校の鞄を持つ。
「早く、早く」
玄関で、高杯警部がせっつく。
本当はセバちゃんを運ぶキャリーケージを用意したいんだけど、ケージは2階の物入れにしまっている。
それを取りに行く時間もないほど、高杯警部の声は切迫していた。
わたしは、セバちゃんを抱えたまま、家の前に止っていた白いセダンの後部座席に、登おじさんと共に乗り込んだ。
「行きますよ」
ハンドルを握る西蔵警部補が声をかけて、車を急発進させる。
けっこう、乱暴な運転に、わたしとおじさんは後部座席で少し転がってしまう。
「ちょ、ちょと乱暴すぎないか」
おじさんが思わず抗議の声を上げた。
「前方から警備車」
不意に高杯警部が言った。
後部座席から見てみると、たまに見かける青と白に塗装されたワゴン車のような車とすれ違った。
赤色灯は点けているものの、サイレンは鳴らしていない。
その車体には西入間警察署と書かれていた。
「八重山邸の警備を警視庁から要請した車です。警官が数人乗り込んでいるはずです」
助手席で高杯警部がわたし達に教えてくれた。
そうか、そういえば玄関のドアが壊れて、鍵が閉められないんだった。
「だが、あれだけで、連中を止められるとは思えないな・・・・すまんが、ふたりとも後部座席で身体を倒して、外から見えない様にしてくれ」
高杯警部がわたし達に指示を出した。
「途中で、変な連中の車とすれ違うかもしれん。その時に、こちらに気づかれるかもしれん」
その言葉で、わたしとおじさんは、身体を傾け、後部座席の窓より下に身体がかくれるようにした。
「よし、それでいい。これから俺たちは坂戸西のインターから入って、関越道に乗り、霞が関に向かう。すまないが桜田門に着くまでは、窮屈だろうがそのままの姿勢でいてくれ」
おじさんがモゾモゾと背広のポケットをまさぐっている。
そして携帯を取り出した。
「八重山さん、携帯は駄目だ」
その動きを目ざとく感知した高杯が鋭い声で言った。
「何故駄目なんだ? ぼくたちは容疑者じゃあない。妻と会社に電話する自由があるはずだ」
ムッとした声で、登おじさんが言い返す。
「上空を先ほどからアリエスが飛びはじめている」
高杯警部が短く答えた。
そう言えば、この車の中にいても、飛行機の立てるエンジン音が聞こえてくる。
EP-3E アリエス。
アメリカ軍の電子情報収集機。
その性能は地上の微弱な電波を拾い、解析できることにある。
渦巻先輩と謂越君がそう教えてくれた。
「アリエスが、アリエスまで投入しているのか?」
おじさんまでアリエスの存在を知っていたとは驚きだった。
「そうだ。後部の窓から覗いてみろ」
おじさんは、狭い座席の中で身を捩って後ろを見る。
「・・・確かに、オライオン型だな」
「そうとも、今、携帯で話したら、キーワードで解析されちまう。電話は今はだめだ」
アリエスは比較的低高度を飛んでいた。
直線翼でエンジンが4つ付いたプロペラ機。
それが、まるで私達を付け狙うコンドルのように、上空を舞っていた。