43.何者かの視線
「そう、良く知っているね」
デリ研に入って以来、わたしは新聞の経済欄やニュースを注意深く読むようにしている。
そのおかげで、事件の概要は知っていた。
報道では、パナマの法律事務所の1970年ころから2016年初めにかけてのメールや書類のスキャンデータやらの色々なファイルが数百万件のデータだという。
そして、そのデータにはタック・スヘイブンと呼ばれる、課税がほとんどかからないイギリス領ケイマン諸島への会社設立に関する文書が大半だという。
税金を英語でタックス、そして天国はヘイブン。
税金の天国。
でも、それだけなら、何故これが大問題になっているのか、理解しづらい。
問題は、タックス・ヘイブンに設立された会社を通して、利益をいくらでもごまかせること。
なぜならば、タックス・ヘイブンは、ほとんどがお金の流れなどを極秘として、外部からの調査に応じないからだ。
タックス・ヘイブンを使っての脱税の仕組みは簡単。
例えば、日本のある会社がケイマン諸島に小会社を作る。
その小会社は、実際には誰も居なくていい。
会社の場所を登記する建物くらいは必要だけど、小さなビルでも、あばら家でもいい。
実際にケイマン諸島では、5階建ての雑居ビルに登録している会社が1万8千社もあるという。
その全てが登記だけはされてはいるものの、実体のない幽霊会社。
ケイマン諸島地域に住む人々の、雇用増進にもなっていない。
そして、幽霊会社を作った日本の親会社は、その子会社に商品を納入したことにする。
でも、実際にそこに商品が納入されることはない。
これは伝票だけの操作。
そしてその商品が納入されたことになった小会社は、その商品を今度は高値で日本の親会社に売ったことにする。
これも伝票一つでOK。
そうすると、見かけ上の日本の親会社の利益は大きく減る。
日本の親会社はその商品を売って大きく儲けているのに、仕入れ値が高いために、利益があまり出ない。
利益移転。
これがタックスヘイブンで使われる基本中の基本、初歩中の初歩の手口だ。
利益飛ばし。
本当は儲けている会社が、税金を逃れるためにそうやっているのだ。
それをやっているのが、数社だったらまだ問題は少ない。
少ないと思う。
だけど、それを全世界の何十万社も、何十万人もやっていたら、国家の税のあり方自体が変わってしまう。
税収が落ち込んだ国は、別の財源で代替えするしかない。
消費税であったり、人頭税であったり・・・・。
脱税した会社や、大金持ちから税を取れない代わりに、国内に住む全員から税金を取ることになる。
また、税収が少ないため、社会保障やインフラの整備などもままならなくなる。
「このパナマ文書は南ドイツ新聞でスクープとして取り扱われた。そして、その激震が全世界を覆った。なにしろ、公的要職にある世界中の政治家や富豪が軒並み名を連ねていたのだからね。あまり大々的に報道されなかった国は日本やロシア、中国かな。でも、世界では史上最大の金融情報漏えいと言われている」
うん、その話なら知っている。習近平国家主席の親族や、プーチン大統領の側近も名を連ねていたとか。
映画俳優のジャッキー・チェンもだという。
よく分からないけど、自分の事務所をタックスヘイブンに移し、映画の出演料をそこに振り込ませてでもいたのだろうか。
「日本の報道が少なかったって、日本の会社はあまりタックスヘイブンに会社を作っていなかったってことじゃあ」
「いいや、そうとも思えないな。今、銀行のWebサイトを検索すると、どの金融機関も、ケイマンにある会社が株主になっている。恐らく日本の会社も、相当にそこに進出していると思うよ」
えーっ、そうなんだ。
日本人や日本の会社って、あんまり金融派生商品やそれに付随する諸々のことに手を出していないイメージがあったけど・・・
「南ドイツ新聞と同様に情報のリーク先だったワシントンにある国際調査報道ジャーナリスト連合 (ICIJ)は、パナマ文書の登場する全ての会社と個人の名前が載った完全版を5月に発表するとしている」
その時になって、ようやくわたしはおじさんが、なんでパナマ文書の話をしだしたか、気が付いた。
「おじさん、まさかパパがそのパナマ文書の・・・」
「ああ、可能性としては否定できないな。時期が時期だしね。もし、J・Jがパナマ文書リークの張本人ならば、世界中の諜報機関や金融機関が血眼になってその行方を探すだろうね」
「そんな、まさか、信じられない」
「ま、これは、あくまでも仮説だけどね。だけど、家に盗聴器が仕掛けられていたり、J・Jを追っていたジャーナリストが殺されたりというのは、かなりの組織が動いているような気がするな。そして紅葉姉さんの突然の出張も、どうにも気になる。そうだ、警察から名刺貰ったって言ったよね。ちょっとそれ見せてくれないか」
おじさんも名刺を見たがった。
そこで、私は2階の鞄の中にしまった名刺を取りに行く。
階段を上がって、部屋に入ると、わたしは鞄の中の学生手帳からその名刺を取り出す。
と、その時、わたしはまたも視線を感じた。
視線。
誰かの視線。
じっと、わたしの動きを見ている視線だ。
ぞぞっと、悪寒がわたしの背中を走った。
わたしの部屋は2階にある。
そこにいるわたしを見るなど・・・・
わたしは窓に駆け寄った。
まだカーテンを引いていない窓の外は、もう夜の帳が降りている。
団地の中の一戸建ての家の明かりが、わたしの窓から見えた。
だけど、見渡す限り周囲の家からわたしを伺う姿はまったく見えない。
道路にも、止っている不審な車両はいなかった。
だけど、わたしは不気味な視線を感じている。
言いようのない不安が湧き上がって来る。
シューッ。
わたしは、窓のカーテンを引いた。
これで、外からわたしの部屋の中をうかがい知ることはできなくなった。
できなくなった筈だった。
だけど、わたしは相変わらず、その不気味な視線を感じ続けていた。
コンコン。
不意に部屋のドアがノックされ、わたしはその音に飛び上がってしまった。
「さくらちゃん、どうした、時間がかかっているようだけど、どうかしたのか」
ドアの外でおじさんの声がした。
わたしが2階に上がってから、思った以上の時間が経っていたようだ。
にゃーーん。
セバちゃんの声も聞こえる。
セバちゃんも心配して迎えに来てくれたんだ。
わたしは部屋のドアを開けた。
「おじさん、何か変なんです。誰かにずっと見られているような・・・」
わたしの言葉に、おじさんの顔色が変わった。
そして、部屋の中に入り、周囲を見回す。
やがて、おじさんの目が一か所に止った。
クローゼット。
わたしの服がしまわれているクローゼットだ。
人が隠れるとしたら、このクローゼットしかない。
「あ・け・る・よ」
おじさんは声には出さず口だけを動かしてわたしに伝えた。
そして、わたしも了解の印に、コクンと小さく頷く。
ガタン。
大きな音を立てて、おじさんがクローゼットを力いっぱい開けた。




