28.ママの猛反対
「・・・金融って、まさか」
ママの凍り付いた表情に、私の方が驚いてしまう。
あれ?
今、わたし、何か変なこと言った?
ママの驚きの表情って、まるでわたしが「イスラム国の戦闘部隊に入ったのよ」と言う言葉を聞いたかのようだった。
入っていないけど。
「えっ、ママ、ママ、どうしたの?デリバティブ研究会が、どうかしたの?」
ママのこんな表情、あまり見たことがなかった。
顔がひきつり、青ざめている。
いったい、どうしちゃったんだろう。
「ママ、具合でも悪いの?救急車、呼ぼうか?」
本当に救急車を呼ぼうかと思うくらいに、ママの顔色は青かった。
「さ、さくら」
ママは喉の奥から絞り出すような声で言った。
瞬間に、その顔に、あせりや憤りや、迷いの表情が浮かんでは消えた。
「さくら、その研究会に入っては駄目」
わたしはママの言葉が信じられなかった。
今まで、わたしのやることにめったに口を出したことがないママ。
放任主義とは違って、わたしのやりたいことをたいていの場合後押ししてくれたママ。
それが、これまでに見たことのない険しい表情でデリ研に入っては駄目だと言ったのだ。
「えっ、なんで? もうゆかりと一緒に、入っちゃったよ」
「ならば、辞めてちょうだい。明日にでもすぐに辞めてちょうだい」
「だから、なんでなの? デリ研のどこがいけないの?」
頭ごなしに言われれば、わたしだってむっとくる。
あまりママとは喧嘩したくないけれど、ママの言っていることは理不尽この上なかった。
「デリバティブは悪魔の取引よ。一度嵌れば破滅するまで抜け出せなくなる」
あっ、そうか。
ママはデリバティブという言葉で、金融派生商品の取引をして儲けようという研究会のことと勘違いしたんだ。
「違うの、ママ聞いて」
「駄目ッたら、絶対にダメよ。まったく、血は争えないわ。とにかく、ママは絶対に許しません」
柳眉を吊り上げ、こんなに怒るママを見るのは初めてだった。
「だから、聞いてってば」
「聞かなくても分かる。どんなに綺麗ごと言っていても、結局は欲望の塊になってしまう」
みゃーみゃ、みゃみゃ。
セバスチャンがテーブルの上に飛び乗ってきた。
それはまるでママとわたしの喧嘩を止めようとするかのようだった。
「なによ、ママ。知りもしないくせに」
わたしは、腹立ちのあまり、立ちあがった。
頭ごなしに決めつけて、話を聞こうともしないママに、わたしは猛烈に怒っていた。
わたしが何を言おうとしても駄目なのだ。
こんなママの顔なんて見たくない!
そしてわたしは、そのまま自分の部屋に駆けこんだのだった。
ママのわからずや!
わたしは、ベッドの中に倒れ込むと、布団に顔を埋めた。
ショックだった。
いつも、わたしの言うことを親身になって聞いてくれるママが、まったく聞く耳も持たず、頭ごなしにデリ研を辞めろと言ったのだ。
ショックだった。
その言い方は、まるでデリ研のことを犯罪組織か悪の巣窟のように言ったのだ。
もう、なんでなのよ!
あんなにやさしかったママが、豹変したのだ。
どう考えても理不尽だった。
あの、立派な考えを持っている夢見先輩と渦巻先輩のことも何も知らずに、お金の亡者だと決めつけている。
涙が・・・涙が自然と溢れてきた。
わたしの言うことをちっとも聞いてくれないママの存在が悔しかった。
みゃあーー。
ガリガリガリ。
部屋の外で、セバスチャンの鳴き声が聞こえた。
そして、それと同時に、開けてとでも言うかのように、前足で戸をガリガリとひっかいている。
わたしはそのまま枕に顔を埋めてじっとしていた。
みゃみゃみゃー。
セバスチャンが、開けてとでも言う様に執拗に鳴きながら、なおも前足で戸をガリガリと引っかく。
「セバちゃん、やめて。後にして」
わたしは、顔をまくらに埋めたまま、セバスチャンに言った。
みゃみゃみゃー。
だけど、セバスチャンはなおも引っかくのを止めなかった。
こうなったら、根競べしかないのかな。
暫くそのままにしていたけど、セバスチャンは一向に止める気配がない。
「はあーっ」
わたしは深くため息をついて涙をぬぐった。
セバちゃんはあれでけっこう頑固な所がある。
ほおっておくと、このままいつまでも引っかくのを止めないだろう。
わたしは、起き上がり、ドアを開けた。
「セバちゃん、ドアが傷んじゃうよ」
わたしは、ドアを開けながら、セバスチャンに文句を言う。
セバスチャンは、やっと開けてくれたかとでも言う様にわたしの部屋の中に入ってきた。
「ねえ、セバちゃん、ママが言ったこと、どう思う。ひどいよね。わたしのことちっとも聞いてくれなくて」
わたしはそう言いながらベッドに腰かけた。
すると、セバスチャンも続けてわたしの膝の上に飛び乗って来る。
みゃゃゃゃ、みゃーあ。
セバスチャンは私の顔を見上げながら、何事かをしきりに訴えているようだ。
何て言っているんだろう。
「セバちゃん、ひょっとして、慰めに来てくれたの?」
みゃーみゃみゃ。
セバスチャンは、そうだとでも言う様に、わたしに向かって鳴いた。
「ありがとう、セバちゃん。あんたって、本当にいい子ね」
わたしの目からまたもや涙が流れ、わたしはセバスチャンをぎっと抱きしめたのだった。