17.謂越(いいこし)君、入会する
翌日の放課後、ゆかりと連れ立って、わたし達はデリバリティブ研に向かった。
部室のある一角は、大勢の生徒が出はいりしている。
自分の入る部に狙いを付けた新入生が相当やってきていて、廊下は大混雑状態だった。
1年3組の、顔に見覚えのある女子生徒もちらほらと見える。
写真部、漫研、美術部。
その前の廊下には新入生が列を作っている。
だが、デリ研ことデリバティブ研究会の前の廊下だけは、台風の目のようにぽっかりと空間が空いていた。
「すごい入部希望者だね」
「うん、そうだね」
わたし達は、盛況の各部の列を横目で見ながらも、デリ研の戸をノックする。
「どうぞ」
すぐに中から軽やかで美しい返答が聞こえた。
夢見先輩の声だ。
この鈴の音のような声を聞くと、わたしは何故か胸がじんと熱くなる。
「失礼します」
わたし達は引き戸を開けて中に入った。
入ったと思ったら、ずっこけた。
そこには、夢見先輩と差し向かいでティーカップから紅茶を啜る謂越君が、さも当然というような顔で座っていたからだ。
「ちょ、ちょとお、なんであんたが真っ先に来ているのよ」
ゆかりが文句を言う。
それもそうだ。
だって、わたし達はHRが終わって、真っ直ぐにここに来たのだ。
謂越君がわたし達より先に来ている訳がなかった。
「ああ、HRな。ばっくれた」
さも平然とした表情で謂越君は答えた。
そう言えば、HRの時間に隣の席が空いていた様な気がする。
いいのかなあ。
学校からの伝達事項とか、色々あるのに。
もっとも、今日は大した伝達事項はなかったけど。
「なんだよ、そんなところに突っ立っていないで、座れよ」
謂越君は、この部屋の主でもあるかのように言い放った。
「な、な、な、なによ。デリ研はあたし達の方が先輩なんだからね。後から入部した癖に、先輩面吹かせないでよね」
ぶつぶつ文句を言いながら、それでもゆかりは空いている席に座った。
「あら、あなたたち、お友達だったのね」
「ちがーう」
「ちがーう」と言ったのは3人同時だった。
「そうなの? それにしては息もぴったりと合っているじゃない」
「こんな下品でがさつで、のっぽのウドの大木に友達はいません。たんなる同じクラスの付属品です」
ゆかりが夢見先輩の言葉に抗議する。
でも、下品でがさつで、のっぽのウドの大木でクラスの付属品って、言い過ぎだよ、ゆかり。
「そう、そうなの、でもこの付属品さん、今日から研究会の会員よ」
「付属品ではなく、俺の名は謂越大地です」
「あら、ごめんなさい。謂越君ね。私は会長の夢見麗華、そしてこちらが副会長の渦巻わたる君よ。うずまきナルトと名前は似ているけど、忍術は使えないわ」
夢見先輩もジョーク言うんだ。
わたしとゆかりは思わず笑ってしまった。
「でも、入会するのに、試験とかはないんですか?」
「試験?このデリ研に入るのに?そんなことをしたら、ただでさえ少ない会員が、一人もいなくなっちゃうわ」
その言葉に、謂越君はちらりとゆかりの方を見る。
だが、ゆかりはあさっての方を向きながら知らんぷりを決め込んでいた。
「そうですか、で、活動はどういうことをやるんですか? 何かスケジュールはきまっているんでしょうか?」
謂越君は、わたしたちにはぞんざいな口調だが、夢見先輩たちにはちゃんと敬語を使っている。
「活動はね、会員がそれぞれにデリバティブについて調べて、それを発表すること。よく出来た調査レポートは、文化祭で掲示するわ」
夢見先輩はそう言って壁一面に貼り出されている模造紙を指さした。
確かに、あまり気にしていなかったけれど、その模造紙には何やら数式だのグラフだのが細かく記入されている。
「これは、去年の文化祭の研究レポートよ。会の2人のメンバーが調査したユーロのPIIGS債危機のレポート。とてもよく出来ているわ」
「その二人って、行方不明の二人のことでしょうか」
驚いたことに、そう発言したのは謂越君だった。
えっ、昨日いなかったのに、その話、知っているんだ。
だが、驚いたのはわたし達だけではなかった。
夢見先輩がびっくりした顔で、謂越君を見た。
「あっ、いや、ちょっと小耳に挟んだだけですよ。ここのメンバー2人が行方不明と言うのは。それにこの研究会には見た所、他のメンバーは居そうにない。それならば2人が造ったレポートと推理しただけです」
「ほんとう? 謂越君って、すごいのね。その推理、当たっているわ」
あれっ?
わたしはなんとなく違和感を覚えた。
何だか、推理云々というくだり、取って付けた説明っぽくって何だか変だ。
ひょっとして、謂越君は、2人の行方不明について、小耳に挟んだだけじゃなくて、もっと色々と知っていたんじゃないだろうか。
「ちょっと、そのレポート、読ませてもらってもいいですか」
夢見先輩の返答を待たずに謂越君は席を立ち、その模造紙の側へ寄った。
そして、食い入るようにそのレポートを読み始める。
「何なのよ、まったく」
唐突とも思えるその謂越君の行動に、ゆかりが呆れ声を出す。
だが、謂越君はそんな言葉がまったく聞こえていないようだった。
すっごい集中力。
まるで、人生の一大事のようにレポートを読んでいる。
「今日は軽くマドレーヌだよ」
渦巻先輩が小皿に載せたマドレーヌと紅茶をわたし達の前に置いた。
そうよね。
毎日高価なケーキばかりじゃ・・・
そう思ったのだが、目の前に出されたマドレーヌは、そこいらへんのスーパーで売って居るようなものじゃあなかった。
だって、形がまったく違うんだもん。
それはホタテの貝殻のような形をしていた。
こんな形のマドレーヌ、見たことがない。
明らかに、どこぞの有名なパティシエの作ったものだと分かる。
「今日は、川越のパティスリーメープルのマドレーヌよ。召し上がれ」
このマドレーヌも絶品だった。
これと比べたら、わたしが今まで買ったことのあるマドレーヌって一体、何だったんだろう。
カンパン。
そうよ、味気のないカンパンよ。
今日も幸せな一日だった。




