11.悪い噂
「なんだ、君たちだったのか。えーと、八重山さくらさんに、江戸ゆかりさん」
そこに立っていたのは、渦巻先輩だった。
渦巻先輩。
渦巻わたる先輩。
制服をきっちりと一分の隙もなく着こなし、髪もきちんと散髪し分けている。
昨日、ソムリエみたいと思ったけど、今、あらためてこうして見ると、ソムリエ以外の職業についている姿を想像できなかった。
「えっ、えーと、き、昨日はごちそうさまでした。ケーキも紅茶もとても美味しかったです」
ゆかりが澄ました顔でそう答える。
逃げ出そうかどうしようか迷っている時にいきなり現れた渦巻先輩にわたしはドギマギしているのに、ゆかりったらやっぱり性根が座っているというか、落ち着いたものだった。
「夢見先輩は今日はいらっしゃらないんですか」
ゆかりは開けられた戸から中を覗き込んだ。
「ああ、ちょっと遅れている。でももうじき来るよ。さあさあ、中に入って」
渦巻先輩が身体一歩足後ろにずらした。
ああっ、今入ったら逃げ出せなくなる。
そう思ったものの、ゆかりは失礼しますとか何とか言って中に入ってしまう。
「どうしたの、八重山さん、君もお入りよ」
ゆかりだけを残して逃げ出すわけにはいかない。
わたしは意を決して研究会の部室の中に入り込んだ。
「今、紅茶を入れるからね、座って待っていてね」
渦巻先輩が昨日紅茶を入れた戸棚の前に立った。
そして、慎重な手つきで量りで紅茶の茶葉の量を計っていく。
へえー、昨日は気づかなかったけど、グラム数を計るなんて、身だしなみと同じにきちんとしているんだ。
「先輩、一つ質問していいですか?」
ゆかりが渦巻き先輩に言った。
「ん?僕に答えられることであればね」
そう応えた渦巻先輩は、ポットから目を離さず、慎重にお湯を注いでいく。
「さっき、変なこと聞いたんですけど・・・デリバティブ研究会に入らない方がいいって」
「へえー、もうそんなこと言うやつが現れたんだ」
渦巻先輩は全然動揺していなかった。
紅茶を注ぐ手もしっかりとしたものだった。
「もう、てことは、やっぱり悪い噂が立っているってことでしょうか?」
「そうだね、悪い噂といえばそうかな」
意外なことに、渦巻先輩は悪い噂を否定しなかった。
でも、顔を伏せたり、目が泳いだりといった隠し事をしている様子はない。
わたしは、嘘を見破るのが実は上手なのだ。
ちょっとした仕草、表情、態度で、ああこの人は嘘を言っているなと、本心とは違うことを言っているなと、なんとなく感じてしまう。
女性特有の直観力だ。
ただ、それがわたしは、人よりほんの少しだけ優れているのではと思っている。
そのわたしの見立てでは、渦巻先輩は嘘を言う気がないらしい。
昨日の夢見先輩の時もそうだった。
夢見先輩の言葉も表情も仕草も、本心のままを言っていた。
少なくとも、わたしはそう感じたし、そう思った。
「だけど、この話はレイが戻ってからにしよう。彼女がいないところでは何を言っても虚ろになる」
レイって夢見先輩のことよね。
親しげに名前を呼ぶその口調。
まさか、まさかとは思うけど、ふたりはお付き合いしているの?
そんな邪推をしたくなる。
「さあ。紅茶が入ったよ。召し上がれ」
昨日と同じく、わたし達の目の前には美しい模様が描かれたティーカップが2つ置かれた。
美味しそうな湯気がたっている。
「ありがとうございます。いただきます」
わたしとゆかりはティーカップに口を付けた。
昨日と同じハロッズの紅茶であることはすぐに分かった。
だって、普通のティーバックと味が違うんだもん。
「夢見先輩遅いですね」
紅茶を飲み、一息ついたところでわたしは渦巻先輩に尋ねた。
「ああ、今、生徒会室に呼ばれていてね」
生徒会。
折り合いの悪いと思われる生徒会室に呼ばれているんだ。
渦巻先輩の口調から、その招集があまり楽しくないことであることは想像がついた。
さっきの料理部の女子生徒といい、生徒会といい、わたし達の知らない何か大きな秘密でもあるのだろうか。
そう思っていた時に、ドアが開かれた。
現れたのは夢見先輩だ。
夢見先輩が現れただけで、ぱあっと部屋の空気がきれいになった気がした。
「あら、今日も来てくれたのね、さくらさんにゆかりさん」
「はい、先輩、おじゃましています。そして昨日は美味しいケーキごちそうさまでした」
昨日ご馳走になったのは、わざわざ六本木まで行って買ってきてくれたケーキだ。
しかも超有名パティシエの作である。
お礼を何度も言うだけの価値はある。
「今日は、別のケーキがあるわよ」
夢見先輩はそう言って、手に持った紙袋を持ち上げてわたし達に見せた。
「川越のパティスリー・ポタジェのケーキ、待っていてね、今用意させるから」
夢見先輩は持っていた紙袋を渦巻先輩に手渡した。
それを渦巻先輩がうやうやしく受け取る。
わーい、またケーキご馳走してもらえるんだ。
でも、あれ?
夢見先輩って、生徒会室に呼ばれていたんじゃなかったっけ?
それが何でケーキを持って戻ってきたんだろう。
まさか、生徒会と折り合いが悪いというのはわたしの勘違いで、本当はケーキをくれるほど仲がいいんじゃないだろうか。
そんなことを思っていると、渦巻先輩が小皿に乗せたケーキをわたし達の前に置いた。
「わあー、カラフルぅ」
ゆかりが感嘆の声を上げた。
ケーキの上には苺を初めとして色とりどりのベリーが惜しげもなく押し合いへし合いをしている。
さながらケーキの世界の宝石箱って感じ。
「いっただきまーす」
今度も真っ先に飛びついたのはゆかりだった。
だめだよ、ゆかり。
もっとお上品にしなくちゃ。
「またケーキご馳走になって、あたし、幸せです。ありがとうございます」
わたしもまた、この珠玉の宝石箱の一角にスプーンを入れた。。
でも、こんなに高いものを連日ご馳走になっていいのかなぁ。




