悪意の底に残されたもの(完) ~龍を殺せる銃弾~
ハリアーが垂直離陸機構(VTOL)を使って、マクマーフィ銃砲店の前にある通りへと着陸する。
ハリアーのペガサス・エンジンが停止した。
「くそ……もう燃料が無い」
甘粕が計器盤をいじくり回している間、マイミはコクピットから飛び降りた。
コルト・ガヴァメントに装填する45ACP弾を探す必要がある。
シャッターの下りた銃砲店の入口を見た。見るからに頑丈そうな南京錠が目に入る。それを掴んで揺さぶったマイミは、そう簡単に錠が開かないことを理解した。
<マイミ、無駄なあがきだぞ>
胸の中に声が響いた。振り返ると、膨張を続けるアレクサンドルが地面に降り立ち、こちらを見ていた。
その姿はすでに五十メートルほどの巨大な光の塊となっている。
<何もかも君たちに都合よく働くわけではない。これはそう……人類にとっての絶望の物語なのだ。君たちは今日、そのことを知ったのだ>
マイミは歯を食い縛り、南京錠を再び揺さぶった。何とかしてこの錠を破壊し、シャッターを押し上げ、店の中に入って銃弾を探し出す。
それしかない。
やるしかない。
霧崎マイミの他に、人類には希望が無いのだから。
「霧崎!」
甘粕の叫び声が聞こえた。
顔を上げたマイミは、恐るべき光景を目にした。
<無駄なあがきを止めてあげるよ、マイミ。これで最後だ>
北の方角から、のろのろと接近する車列が目に入った。乗用車、ワゴン、バス、タンクローリー。そのどれもがゾンビを満載している。
デリバリーゾンビだ。
車が銃砲店やその周囲の建物にぶつかると、振り落とされたゾンビがうめき声を上げながらマイミたちの方へと向かってくる。
マイミは引きつった声で言った。
「ボス!いったんここを離れましょう」
だが甘粕は首を横に振る。
「ダメだ、ハリアーは飛べない。燃料切れだ」
「そんな……!」
「霧崎、コクピットまで上がってくるんだ。ゾンビに囲まれるぞ」
次々と送り込まれるゾンビはその数を増しており、今や数百体の生ける屍がマイミたちを取り囲んでいる。
マイミはハリアーのコクピットを見上げる。あの上に登ってゾンビの襲撃をいったんやり過ごしたところで、その後はどうなるのだろう。ハリアーの上に取り残されたまま、世界が終わるのを見つめるだけになるのだろうか。
今やアレクサンドルは百メートルを超える巨大な姿に変貌し、ロサンゼルスの空を憤怒の渦で覆い尽くしていた。
これはアレクサンドルの言う通り、絶望の物語なのだろうか。
その時、マイミの視界の隅に、高速で突っ込んで来る車両の影が映った。
ガスタンクを搭載したタンクローリーだ。
「……マズい」
一瞬で、アレクサンドルの意図を理解する。
その車両は、まっすぐに銃砲店を目指していた。
「ボス、伏せ……」
警句を発する暇は無かった。
タンクローリーが銃砲店に激突し、正面のシャッターを突き破る。
恐るべき質量で店内の什器を吹き飛ばし、壁面の棚に激突した。
その衝撃で、棚に置かれた弾薬がさく裂する。
次の瞬間、ガスタンクに引火し、銃砲店の二階ごと吹っ飛ばした。
轟音と、灼熱の炎。
通りを徘徊していたゾンビの一群が、爆発に吹き飛ばされてバラバラに砕け散る。
マイミもまた、熱風に吹き飛ばされ、意識を失った。
※※
何だか夢に微睡んでいるような気分だった。
ふと目を開いたマイミは、自分が誰かの膝の上に頭を乗せているのに気づいた。
「気付いたか? 霧崎さん」
グレイだった。
「……あたし……何を」
「しばらく眠っていたみたいだ」
それを聞いて、マイミは大きく息を吐いた。安堵のため息だった。
「よかった!夢オチだったんだ! (そう……なの)」
「また心の声が漏れているぞ、霧崎さん。それに……」
グレイは小さくかぶりを振り、続けた。
「残念ながら夢オチではない。君はアレクサンドルと戦い続けているし、コルト・ガヴァメントの弾は尽きた。銃砲店は吹っ飛んで、予備の弾を手に入れる術も無くなったんだ」
マイミはあんぐりと口を開いた。
「……ねえ、じゃあ何であなたはこうやって登場したわけ? こういうパターンだと、精神世界からあたしに何か、有益なヒントをくれるのが定石だと思うんですけど」
「そのために、来たんだ」
そう言うと、グレイはマイミに立ち上がるよう促した。
「これを見るんだ」
グレイが掌を差し向けると、その中に灯った光の中に、小さな映像が現れた。
一人の若い男が、赤茶けた砂漠の中をトラックを運転している。
荷台には、疲れ果てた十数名の男女を乗せていた。
「彼はオーストラリアの長距離トラック運転手だ。クリーチャーに壊滅させられたシドニーから、ああして生存者を救出しては、砂漠のキャンプへと連れていってる。自らの危険を顧みずにね」
グレイがそう言うと、映像が切り替わった。今度は、切り立った断崖の上に立ち、古びた猟銃を構えるアジア系の老人が映し出されていた。
「福建省の奥地に住んでいた猟師が、仲間に呼びかけてレジスタンスを結成したんだ。彼らは原始的な単発銃と罠を武器に、クリーチャーと戦っている」
続いて映し出されたのは、地下鉄の入口の前に座り込む職員の姿だ。
「英国では、地下鉄が即席のシェルターになっている。この職員は、近くの幼稚園から逃げ出してきた園児を救出し、あのシャッターの中に匿っている……」
「ねえグレイさん、何が言いたいの?」
「世界が、悪意と戦っている」
映像が移り変わり、窓を塞いだ地下室でタブレットに注目する家族の姿が映された。タブレットの画面には、ゾンビを吹き飛ばすマイミの雄姿が映し出されている。それを見ていた小さな男の子が歓声を上げた。
「君の姿を見て、勇気づけられた人々がいる。人間は、人間に希望を与えることができるんだ。そのことを改めて証明してくれ、霧崎マイミ」
「でも弾は尽きたのよ、グレイさん」
「霧崎さん、件の預言を覚えているか?」
マイミは静かに頷いた。どんな小さなことでも、霧崎マイミが忘れるなんてことはあり得ない。
「百たび戦い、百の敗北を喫する。でも、くじけなければ……」
「そうだ霧崎さん。くじけないでくれ」
グレイの切れ長の目が、マイミのそれを捕らえた。
「俺がそばにいることを忘れるな」
「グレイさん……」
闇が、途切れた。
マイミは、目を覚ました。
胸の中に、再びざわめきが起きていた。しばらくの間、それが何だったか理解できなかった。
それは、世界中の人々の声だった。
あまりにも多くの声が同時に流れ込んできたために、それぞれが何を言っているのか、初めはわからなかった。
やがて慣れてくると、その声を聞き分けることができるようになった。
様々な声があった。
死の恐怖に怯え、嘆き、悲しみ、戦き、恨み、絶望に打ちひしがれた人の声。
襲いかかる理不尽に怒り、憤り、勇気を振り絞って戦いの雄たけびを上げている人の声。
そして、目前で見知らぬ他人が危険に晒された時、自らを犠牲にして救おうとする人の声
たくさんの勇気と、たくさんの自己犠牲。
その一人ひとりがヴィンセント・ファーニアであり、ボノであり、グレイだった。
マイミは人々の声に耳を傾けた。この声が絶望の色に塗りつぶされた時、世界は終わってしまうのだ。それを防ぐことができるのは、自分しかいない。
<そうだ霧崎さん。くじけないでくれ>
無数の声の中に、マイミはその言葉を聞いた気がした。
確かに。
「霧崎!」
自分を呼ぶ声が聞こえ、マイミは振り返った。
コクピットの上に立った甘粕が、背後を示している。
「後ろだ、気を付けろ」
振り返ると、ゾンビの一群が迫っていた。マイミはじりじりと後ずさる。
「これを、使え!」
そう叫ぶと、甘粕がコクピットの中から一振りの刀を取り出し、マイミの方へ向かって投げた。
多古忍の佩刀だ。
北太平洋沖で、自ら龍を殺せる銃弾となったグレイが最後に使った武器。
マイミは手を伸ばした。
その刀は、まるで随分と前からそうなることが決まっていたように、マイミの手にすっぽりと収まった。
振り向きざまに、抜き放つ。
最接近していたゾンビの頭部が、すっぱりと切断された。
マイミの全身を波動が包み込む。二の太刀は滑らかに繰り出され、後に続くゾンビの胴体を両断した。
切っ先を振るい、マイミは正眼に構える。
「そうね、グレイさん。あたし、くじけないことにしたわ」
言うとマイミは刃を右へ、左へと振るった。
ゾンビを次々と切り伏せる。
<何をしてるんだ、マイミ>
アレクサンドルの声が聞こえた。
<無駄なことをしてるな。そのゾンビは無限に沸き続けるんだぞ>
<関係ないわ>
マイミは斬撃を繰り出しながら答えた。実際にはゾンビの群れに押し切られる形で少しずつ後退していたが、まだ諦めてはいなかった。
<あたしが戦ってるこの姿を、牧村さんが撮影してくれてる>
少し離れたドラッグストアの前で、牧村がタブレットをこちらに向けていた。マイミの雄姿はA-ネットを通じて全世界に届けられているはずだった。
胸の中に飛び込んで来る、世界中の声に変化があった。
人々が、ほんの少しずつだが、絶望を押し返しているのだ。
<前にも言ったわね、アレクサンドル。人間には、悪意に屈しない心がある>
切り伏せたゾンビの頭部から噴き出したドス黒い血が、目に入った。マイミはバランスを崩し、あわやゾンビに捕まりかける。だが何とか相手を蹴り倒し、血を拭った。
<マイミ、セリフは勇ましいが、君はどう見ても絶対絶命だぞ>
マイミの前に、見覚えのある人物が姿を現した。アイアライサ・アイアライサ少佐。またの名をドニー。
「ドニー……あなた」
だがドニーには両腕が無かった。口もとから汚れた血を吐きながら、ゾンビとなったドニーが襲い掛かる。
勢いよく刀を振るったマイミは、鈍い金属音と嫌な手ごたえを感じた。
刃がドニーの着込んだボディーアーマーの金属板に当たって、刀が真っ二つに折れたのだ。
「霧崎!」
頭上の甘粕が悲鳴に近い声を上げた。
だがマイミは柄に残された刃をドニーの首筋に押し当て、その喉笛を切り裂く。
血がほとばしり、マイミは返り血で真っ赤に染まった。
ドニーの後ろから、今度はゾンビになったプーティンが姿を現す。
マイミは目を見開いた。
<マイミ、終わりだよ。残念だったな、君の健闘は記憶にとどめておくよ。世界が終わるその瞬間まで>
<アレクサンドル……終わるのはあなたの方だわ>
プーティン・ゾンビの眼窩に折れた刀を突き立てると、マイミはアレクサンドルの方を睨みつけた。
強い意志の力を感じたアレクサンドルは、少しだけ驚いて見せた。
<……どういう意味だ?>
マイミはプーティン・ゾンビの手からM二四〇機関銃を奪い取り、さらに戦闘服の胸ポケットに手を突っ込んだ。
そしてプーティンがおまじないとして取っておいた、最後の銃弾を取り出す。
<マイミ、もしかして……その機関銃で俺を撃つつもりか?>
嘲りの籠った響きだった。
<そんなに重くて、扱ったことさえない機関銃で、しかも弾はたった一発だ。数百メートルもの長距離狙撃が成功すると思うか?>
マイミはたった一発の銃弾を装填すると、M二四〇機関銃を構えた。クソ重い銃だ。スコープもなく、アイアンサイトを覗いて狙いを定める。
標的は数百メートル向こうの、アレクサンドル。
悪意の触媒。
<そうね、問題ないわ>
マイミはトリガーに指を掛けた。
<件は預言したのよ>
胸の奥から押し寄せる波動が、どんどん高まってくる。
世界中の人々の声が、マイミを突き動かす原動力だ。
今や霧崎マイミの全身は、青い波動に包まれていた。
<百たび戦い、百の敗北を喫するが、くじけなければ最後の一発が世界を救う……って>
<風が強いぞマイミ。君はその一発を外すだろう>
マイミは静かにかぶりを振った。
<決して外れないわ、アレクサンドル。これは龍を殺せる銃弾なのよ。そう、またの名を『希望』>
マイミはそっと目を閉じた。
誰かが一緒に、銃を支えてくれている気配があった。
やがて、引き金が引かれる。
撃鉄が落ちて銃弾の信管を叩くと、炸薬が燃焼し、薬室内に充満したエネルギーが弾頭を押し出した。弾頭はライフリングの切られた銃身の中を通過することで、旋回しながら飛翔する運動エネルギーを得る。
撃ち出された七・六二ミリ弾は青い波動とともに飛び出すと、アレクサンドル目がけて飛翔した。
その時、強く横風が吹く。
風に押され、銃弾の軌道が逸れた。
弾の行く先がアレクサンドルから外れる。
だが次の瞬間、何かの力が軌道を修正した。
それはマイミの胸の中で響き渡る、世界中の人々の声だったかも知れない。弾道は修正され、弓のような弧を描き、アレクサンドルの方へ向かった。
そして銃弾は、青い波動を帯びたまま飛翔する。
悪意を打ち砕くために。




