悪意の底に残されたもの(14) ~空を覆う悪意~
「あれは……ボスが!?」
牧村が驚きの声を上げた。
「でも……なんで? いくらなんでも、これって都合が良過ぎる展開じゃない?」
「これは都合の問題じゃないんです、牧村さん」
マイミは上空を旋回するハリアーを見つめながら言った。
「ヒーローポイントって知ってますか?」
「何なのよ、それ」
「あたしは持ってるんです。なぜかと言うと、この物語の主人公だから」
そう言って微笑むと、マイミは多古忍の手から無線機を受け取った。
「ボス、霧崎です。北の方角にアレクサンドルがいて、その上空のフライング・ヒューマノイドが携帯型の戦術核兵器を運搬しています。想定される被害半径は一キロ弱。撃墜することは可能ですか?」
「……任せろ、霧崎」
甘粕が何かを操作している気配が伝わってきた。
「我々は幸運……な。この機にはAMRAAMが一発だけ残…てる!」
マイミはそう聞いただけで、甘粕が言いたいことを理解した。
グレイの記憶にアクセスし、軍事兵器の知識を引き出すことができたからだ。
甘粕が言っているAMRAAMとは誘導ミサイルのことだ。アクティブ・レーダー・ホーミングと呼ばれる誘導方式を採用しており、弾頭に搭載されたシーカーを用いて自律的に標的を追いかけることができる。発射母機による最終誘導が不用で、パイロットはミサイルを発射した後は自機の回避運動に専念すればよい。そのため通称「撃ちっ放し(fire and forget)ミサイル」と呼ばれる。
「やってください、ボス」
マイミたちの頭上で、AMRAAMの推進ロケットが火を噴いた。ミサイルの弾頭に搭載されたレーダーがフライング・ヒューマノイドを捉え、自律誘導によって飛翔していく。
着弾までは数秒もかからない。
「みんな、伏せて!」
マイミは叫んだ。
次の瞬間、ロサンゼルス上空に巨大な火球が出現した。人類が生み出した、自然界には有り得ざる破壊の力。凄まじい衝撃を伴う熱波によって、周囲の全てを呑み込んで行く。
まさしく悪魔の発明品。
だが。
「……あれは何だ!」
無線機から甘粕の叫び声が聞こえる。
マイミが目を上げると、出現した火球がアレクサンドルの体に吸い込まれていくところだった。
巨大な熱量が、みるみるうちに吸収されていく。光に包まれていたアレクサンドルの体は、今やほとばしる業火に包まれていた。
「何なのよ、あれ。熱量保存の法則を無視してるわ」
マイミがつぶやくと、胸の中にアレクサンドルの声が聞こえた。
<いちいち気に食わない手を使うな、君は。あんな戦闘機をどこから呼び寄せたんだ>
<残念だったわね。ラスボス戦で、途中で姿を消した仲間が助けに来るのは定石よ>
<君が何を言っているのかは分からないが、そろそろ本気を出した方が良さそうだ>
<知ってた? その台詞はね、負ける側が使うと決まってるの>
会話は途切れた。
その直後、アレクサンドルの体がふわりと浮く。
マイミは身構えた。怒りに包まれた悪意の触媒が、全力でこちらを叩き潰しに来ようとしている。
「……崎!あいつ……飛ぶぞ」
無線機から甘粕の声が聞こえる。
「ボス、あたしを乗せてください。こっちには龍を殺せる銃弾があるんです」
「……何だと? お前は何を言っている」
「いいから、早く!」
甘粕に対して、そんな口の聞き方をしたのは始めてだった。だが甘粕はマイミを信じた。ハリアーが垂直離陸機構(VTOL)を活用して、マイミたちがいる場所へと着陸する。
マイミはむき出しのコクピットに飛び乗ると、甘粕の座席のヘッドレストに跨るように座った。
体を固定するものは何もない。
だが、甘粕の肩を叩いて離陸するよう促す。
「…何が…っても知らんぞ!」
甘粕が叫ぶとともに機体が垂直に上昇し、マイミたちは風切り音に包まれた。
<あの光ってるのが悪意の触媒です。元々はロシアの新興財閥だったアレクサンドルの思念が、龍と結合した存在>
マイミは甘粕の心に直接語りかけた。スロットルレバーを握り締めた甘粕が驚愕しているのが伝わってくる。
<何てこった……グレイと同じように、お前もテレパシーを使うのか>
<急いでください、やつは決着をつけようとしてる>
ハリアーのペガサス・エンジンが火を噴いた。強烈な加速だ。吹き飛ばされないよう、マイミは身を低くしてヘッドレストにしがみつく。
怒りの炎に包まれたアレクサンドルが水平飛行に移った。
ハリアーとすれすれの距離をすれ違う。
アレクサンドルを包んだ炎の熱が、マイミたちの肌を焦がした。
<くそ、速いぞ。何なんだあれは>
<ボス、旋回してもう一度すれ違ってください>
<何をするつもりだ、霧崎>
<龍を殺せる銃弾で奴を仕留めます。水平を保って、なるべく揺らさないでください>
<無茶を言ってくれる!>
甘粕がスロットルレバーを緩め、操縦桿を引いた。減速することで旋回半径を小さくしたのだ。ハリアーは機首を翻し、再びアレクサンドルと対峙する。
マイミはヘッドレストを膝で挟むように体を固定すると、身を起こした。両手にコルト・ガヴァメントを握りしめ、正面から突っ込んで来るアレクサンドルに狙いを定める。
<霧崎、こんな状況で拳銃弾を当てられるのか!?>
<静かにしてください、気が散ります!>
マイミは引き金を弾いた。凄まじい風圧のせいで狙いがずれた。青い波動を帯びた弾丸は明後日の方向へと飛んでいく。
<ハハ!ハハ!マイミ、無駄だよ!>
胸の中にアレクサンドルの高笑いが響き、マイミは唇を噛み締めた。無茶は承知で仕掛けた空中格闘戦だが、明らかに分が悪かった。
ハリアーが再び旋回を始める。
だが今度はその隙を、アレクサンドルが見過ごさなかった。
減速したハリアーに向けて、無数の火球が飛んで来る。戦術核から吸い取った熱エネルギーを、アレクサンドルが投げつけているのだ。
コクピットの甘粕が念仏を唱えた。直撃すればジェット燃料に引火し、空中で爆発炎上することになる。
だがマイミは顔を上げた。片手でキャノピーの枠を掴んで体を支えると、もう片方の手で銃を構える。
火球を投げつけるアレクサンドルが、空中で停止していたからだ。
照星を覗いて狙いを定める暇もなく、勘に任せて引き金を引いた。
呪いの銃弾は、まっすぐにアレクサンドルに向かって飛翔し、その左足を吹き飛ばした。
マイミの胸の中に、アレクサンドルの絶叫が流れ込んで来る。
驚愕、苦痛、恥辱、そして憤怒、憤怒、憤怒、憤怒、憤怒、憤怒、憤怒、憤怒、憤怒。
アレクサンドルを包む炎が勢いを増した。
だがそれは、射手に狙いを定める隙を与えただけだった。
<今だ霧崎! 奴の動きが止まったぞ>
甘粕の声が胸の中に響く。
いよいよ決着をつける時だった。
呪いの銃弾の威力は本物だ。あと一発でも叩き込めば、アレクサンドルを、悪意の触媒をバラバラに分解することができるだろう。
そしてグレイの能力をフィードバックしている今、この一発を外すことはあり得ない。
ようやくこの戦いに終止符を打つことができる。
だが……。
マイミは手に握りしめた、ホールドオープン状態のコルト・ガヴァメントを見た。
弾が切れていた。
※※
アレクサンドルの中から溢れ出る憤怒が、ロサンゼルスの空を覆い始めた。
<あれは……全世界の悪意を召還しているんだわ>
マイミは茫然とその様子を見守っていた。光と炎に包まれたアレクサンドルの体が、少しずつ膨張し始めているのだ。
<くそ、霧崎どうした。早く奴を撃たないと取り返しのつかないことになるぞ>
甘粕の言葉にマイミは絶句した。
弾の切れた拳銃に目を落とすと、その意味を考える。
波動を送り込んで呪いの銃弾を作る能力を手に入れたとはいえ、肝心の銃弾が無いのではどうしようもない。
<……ボス、弾が切れたんです>
<何だと!?>
甘粕が驚愕したのが分かった。
<予備の弾は無いのか?>
マイミは返事をせずに、考えていた。何かヒントがあったような気がしたからだ。
それも、だいたい七話くらい前のどこかで……。
背後ではアレクサンドルが膨張を続けている。マイミはハリアーにしがみついたまま、眼下の様子を眺めていた。
そして突然、閃いた。
<ボス、あそこ! ドラッグストアの向かい側にある店です。あそこに下ろしてください!>
<……何だと? 霧崎、お前、何をするつもり……そうか>
ハリアーの機首がそちらに向かった。
正面にシャッターの下ろされた二階建ての小さな店舗。
その看板には“マクマーフィ銃砲店”と書かれていた。
つづく




