悪意の底に残されたもの(12) ~運命を切り拓く時~
「ドニー、ミリオネアであったエピソードですよ」
無線機に向かって、マイミは声を絞り出した。
悪い予感がしていた。
「……ああ、そうだな」
ドニーの声はそう言ったが、明らかに何のことか分かっていなかった。
背後で鳴り響いていた機関銃の銃声が途絶える。
プーティンの機関銃が弾切れを起こしたのだ。
目の前で、多古忍が裏口を開き、民間人を外へと誘導している。マイミはその列に続きながら、無線機に向かって口を開いた。
絶望に包まれながら。
「……あなたは、ドニーじゃない」
マイミがそう言い放つと、しばらくの間があり、違う人物の声が答えた。
「バレたなら仕方がない。ドニーは死んだよ」
虚ろな響きを帯びたその声は、アレクサンドルのものだった。
背後から、プーティンの怒号が聞こえる。ゾンビと素手で格闘しているのだ。裏口から飛び出した民間人の一人が、通りをうろついていたゾンビに襲い掛かられ、悲鳴を上げている。
「……君たちが戦術核持ち出してくるとは驚いたよ。だが安心したまえ、悪魔の発明が行使されることは二度とないだろう。君たち人類はこのまま追い詰められ、朽ちていくのだ」
マイミは無線機を手にしたまま、裏口から外に出た。
裏口にも相当な数のゾンビが群がっている。民間人たちは手にしたモップやバールで応戦しているが、多勢に無勢だった。
牧村が悲鳴交じりに叫ぶ。
「霧崎、デルタフォースはどうなったのよ!」
マイミは絶句した。
何と答えればいいのだろう?
ドニーとの通信もまた、アレクサンドルの罠だったのだ。
こちらを油断させるための。
背後で、再びプーティンの声が聞こえる。だが今度は怒号では無かった。苦悶の叫びだ。
プーティンがゾンビに襲われている。
そしてその声はやがて、懇願するような泣き声に変わっていった。
殺してくれ、と。
超人のようなデルタフォースの隊員も、生きたままゾンビに食われる苦痛には耐えられなかった。
「世界中を絶望が覆い始めている」
アレクサンドルの声は続いていた。
「それはもう、止められない。悪意は連鎖し、怒りや怨嗟を無限に生み出していく。まるで中世のヨーロッパを襲った黒死病のようなものだ。一方で、お前たちにできることは、もう存在しない。デルタフォースは全滅した。後はその場所で、生ける屍に食われて死んでいくだけだ」
マイミは目の前がくらくらするような思いにとらわれた。
思わず後じさり、誰かが取り落とした角材に躓いてよろめく。
その拍子に、ポケットからタブレットが落ちた。
マイミはタブレットを目にした。そして、自分の胸の中でざわめきが起きたのを感じていた。
身構えて発砲しようとした多古忍が、反対の方向からやって来たゾンビに襲われ、拳銃を取り落とす。多古忍は必死に抵抗し、ゾンビを蹴り飛ばすと、路上に転がっていたバールで殴りつけた。
ゾンビの頭蓋が弾け飛び、血が飛び散る。
だがその背後からさらに、無数のゾンビが襲い掛かってきた。
マイミは、頭上に飛翔する影を見かけた。
フライングヒューマノイドだ。
クリーチャーたちは留めを差しにかかっていた。逃げ場はもうどこにも無い。
「マイミ、君たちは負けたんだ」
無線機の向こうからは、アレクサンドルの無慈悲な声。
だがマイミはかぶりを振った。
胸の中の思念と会話を続けていた。
「……そうね。あなたがいたら、きっとそうするはずだわ」
そうつぶやくと、タブレットの画面を見た。
小さな光点が広がる、A-ネットの画面。
マイミは思い出していた。かつてグレイが、自分はマイミのヒーローポイントになれると言ったことを。
そう、諦めなければ運命は切り拓くことができるのだ。
A-ネットの光点は少しずつ、だが確実に数を増している。
マイミは無線機に向かって口を開いた。
「アレクサンドル、あなたの言った通り、悪意を生み出すのは人間よ。だけど、人間には悪意に屈しない心がある」
そう口にした瞬間、胸の中のざわめきは波動に変わった。
強い振動が全身を駆け抜ける。
「あたしの友達が、証明してくれたの。その人は自ら、龍を殺せる銃弾になった」
しばらくの間があり、やがて悪意の触媒から返事があった。
「何をするつもりだ、霧崎マイミ」
「あなたを倒し、世界を救う」
言うと、無線機を地面に叩きつけた。
目の前で牧村が悲鳴を上げている。その足元には、多古忍が取り落とした二丁の拳銃が落ちていた。それは鈍色のコルト・ガバメント・モデル。ハンド・キャノンと呼ばれる大口径の拳銃。
そちらにクイと顎を向けて、マイミは顕然と言い放つ。
「牧村さん、そこにある拳銃を取ってくれませんか?」
聞き覚えのある台詞だった。
※※
「あんた……何をするつもりよ」
拳銃を手渡しながら、牧村が言った。
「あたしの中に飛び込んできたグレイさんの思念は、まだ消えていないんです。ほんの僅かだけど、残留してる」
マイミの体中を細やかな振動が走る。グレイの思念がマイミの体を走査し、骨格の作りや、筋肉、神経の発達を確かめている。
改めてコルトガバメントの銃把を握りしめると、それはとても手に馴染んだ。一度も取り扱ったことのない銃器だったが、もう何度も、何年も愛用してきた物のように思えた。
グレイの記憶・経験をマイミの肉体にフィードバックしたからだ。
「……だから、それがいったい何だってのよ」
「アメリカが龍を殺せる銃弾を解析した結果、弾丸はある種の波動を帯びていることが判明しました」
マイミは右手に持ったコルト・ガバメントを持ち上げ、撃鉄を起こす。銃口が向かう先は、ホーリーとモーリーを追いかけまわすゾンビの一群。馴染みのある銃把を握りしめ、照星ごしに先頭のゾンビの頭に狙いを定める。
「あたしの中に残留しているグレイさんの思念に、その波動が含まれています。それを増幅し、銃弾に乗せることができれば……」
「そんなこと……できるはずが……それに、龍を殺せる銃弾を撃った人間は、塩になっちゃうんじゃないの?」
「あたしの中の波動を、弾丸、銃、そして自分自身の三つに分散して与えることができれば、それは起きないはずです」
そんな器用な芸当が、本当に可能なのかは定かでなかったが。
だが……。
追いすがるゾンビの指先が、ホーリーのブロンドの髪に触れかけた。
もう、躊躇している暇はない。
銃弾に意識を傾ける。胸の辺りに生まれた青い波動が、腕を手首を通って銃に伝わり、撃鉄から薬室へ、そして弾丸の信管を通って弾頭へ到達する。
マイミは軽やかに引き金を引いた。
熟練のピアニストが、曲を始める最初の鍵打のように。
撃ち出された銃弾は、激しいフォルテッシモ。ずんぐりとした45ACP弾が、回転しながらクリーチャーに向かって飛翔する。
うっすらと青い輝きを帯びたそれは、先頭を歩くゾンビの頭部を引き裂いた。
爆発するでも破裂するでもなく、ゾンビの頭部は波動の力によって掻き消される。それだけではない、後ろに続いたゾンビたちの頭部もまた、青い閃光によって次々と引き裂かれていく。
たった一発の銃弾で、ゾンビの群れの一角が瓦解した。
牧村が息を呑む。そして、引きつった声でつぶやいた。
「あれは……龍を殺せる銃弾……」
マイミは逆の方向を向くと、左手に持ったコルトガバメントで、多古忍を襲うゾンビの一群を狙った。
次の一発で、たちまち十を超えるゾンビが掻き消える。
「あんた、霧崎!ちょっと、何よ。凄いじゃないの!」
興奮する牧村の声を聞きながら、今度は上空のフライング・ヒューマノイドに照準を定める。その時マイミは、自分の中に起きている変化に気が付いていた。
「まずいわ……」
「どうしたのよ、霧崎。さっさと仕留めなさいよ」
「波動が……減っているんです」
「えっ……」
ゾンビから逃れた民間人たちがマイミの周囲に集まってくる。その中にはホーリーとモーリー、多古忍の姿もあった。
「呪いの銃弾を、再現したのね……。でも霧崎マイミ、その力は有限なはず」
「呪いの銃弾を、再現したのね……。でも霧崎マイミ、その力は有限なはず」
ホーリーとモーリーが怯えた表情で言った。
「あなた自身は力の触媒でしかなく、悪意に立ち向かう力を生み出すわけじゃない」
「あなた自身は力の触媒でしかなく、悪意に立ち向かう力を生み出すわけじゃない」
「その通りよ、ホーリー、モーリー。何とかして補給しないと」
言うとマイミはポケットからタブレットを取り出して、牧村に放り投げた。
「牧村さん、それであたしを撮影してください」
「霧崎……あんた、何を言ってるの?」
その時、凄まじい振動があって、北の方角にあるビルが崩落した。全員の目がそちらに向かう。
崩落するビルの瓦礫と砂埃の間から、小さな輝きが漏れていた。
ゆっくりとこちらに歩いてくる、人の形をした小さな光。
アレクサンドルだ。
決着を付けるために、こちらへ向かってくる。遥か遠くにいるというのに、その双眸がまっすぐマイミを捉えているのが分かった。
マイミは唇の端を吊り上げ、ニッと笑った。
「望むところよ、アレクサンドル」
言うとマイミは二丁拳銃を構えて、上空に飛来したフライング・ヒューマノイドを撃墜した。
つづく




