悪意の底に残されたもの(2) ~馬鹿げたやり方~
ロールスロイス製のペガサス・エンジンが咆哮を上げた。
ジェットノズルを斜め下に向け、ハリアーが離陸を開始する。甘粕はアップフロント・コントロールを操作した後、操縦桿を握りしめたままスロットル・レバーを全開にした。
「龍への攻撃はどうなった」
ヘッドセットを通じて返ってきたのは、牧村修二郎の声だった。
「ダメです。かすり傷ひとつ負わせられませんでした」
「そうか」
予測していた結果だったが、甘粕は少しだけ唇を噛んだ。
「龍との空母との距離は?」
「衝突まで三十分と少しです、ボス」
牧村の声には悲壮な響きが混じっていた。
「いいだろう、まだ間に合う距離だ」
「ボス、本気なんですか?」
牧村は今にも泣き出しそうな声で言った。
「あなたがいなくなったら、私たちはどうすればいいんですか」
甘粕は一瞬、そのことを考え、そしてぎゅっと目を瞑った。
「自分たちで考え、行動しろ」
返事は待たずに、操縦桿をぐっと押し込む。
水平飛行の姿勢になると、ハリアーは一気に加速した。
龍の注意を自分たちに引き付け、龍の針路を変えるつもりだった。
「この戦闘機……あなたが飛ばしてるんですか? ボス」
胸の中で、かすれたような声が聞こえる。
「目を覚ましたのか、グレイ」
「周りが騒がしいもんで」
「悪かったな」
そこまで話した甘粕は、違和感に気づいた。
グレイの言葉は、あまりにも鮮明に聞こえた。
「龍が、来てるんですね?」
続けて、グレイはそう尋ねた。甘粕はうなずく。
「そうだ、途方も無く巨大な奴だ。俺たちを収容した空母に向かって一直線に向かって来ている」
「途方も無く巨大?」
「全長十・八キロだそうだ」
「それは、それは」
言うとグレイは少し黙った。途切れがちな意識を保つため、集中しようとしているのだ。
満身創痍の体で、騙し騙し会話を続けている。
「……俺が、外したから」
グレイはつぶやくように言った。その小さなつぶやきを聞きながら、甘粕はとても奇妙なことだと思った。
「……そうですよね、ボス。俺がソマリアで下手をうたなければ、最後の龍を殺すための銃弾を残せたはずだった」
甘粕はかぶりを振る。
「それは違うぞ、グレイ」
ハリアーの機体下部にぶら下げたレイセオン製のターゲティング・ポッドが、洋上を行く龍の姿を捉えた。
レーダーの光点を見つめながら、甘粕は話を続ける。
「お前は捨て身の攻撃で龍を屠った。あの瞬間、あの場所で我々に出来た、唯一そして最大の一撃だった」
「それしかなかったんです」
グレイは言った。
「馬鹿げたやり方だとは思ったけど、他に方法は無かった」
甘粕は頷いた。このハリアーに乗り込む際に、自分も同じ言葉を口にしたからだ。
「いいんだ。人生において、大事な選択ってのは大抵そうやって決められる。俺がこうして龍を引き付けようとしているのも同じことだ。まぁ、お前を無断で巻き込んだことには謝罪したいが」
「いえ、ボス。謝る必要なんてありませんよ」
レーダー上の光点が急速に接近してくる。そろそろ龍の上空にさしかかる頃だ。
「それにボス、そもそも龍は俺を追ってるわけじゃないんです」
グレイの言葉に、甘粕は眉をひそめた。
「何だと?」
「奴の狙いは俺じゃない。超共感性思念体(Super Pneumatronics Material)にとって、龍を殺せる銃弾は脅威ではあるが、本質ではない」
「どういう意味だ」
「俺の過去を……もっと言えば、俺たちの過去を調べたんでしょう?」
その時、甘粕はようやく違和感の正体に気づいた。
グレイの掠れたような声が、はっきりと、鮮明に聞き取れる。おかしな話だ。ハリアーのコクピット内は激しい風きり音で満たされており、声を張り上げでもしない限り会話などできない。
「俺自身も気づかなかった。自分たちが何なのかを」
「グレイ、お前は……」
「もう時間が無い。ボス、俺の話を聞いてくれませんか」
やがて眼下に巨大な影が見えた。
大海原の波を掻き分け、一直線に進む龍の姿。
巨大な海龍。
深海魚を彷彿とさせる醜悪な頭部は、まっすぐ西を向かっている。
ハリアーは、龍の頭上にさしかかった。
「俺たちひとつひとつは、個別の事象でしかない。だけど、それらを組み合わせることで龍に対抗することができた」
声が、心の中に響いてくる。そう、グレイは直接心の中に話しかけているのだ。
甘粕は混乱していた。
あまりに多くの情報が一度に入ってきたせいだ。
龍の頭上を、ハリアーは高速で駆け抜けた。
「なぜだ……」
甘粕は独りごちた。
龍は、ハリアーに反応しない。
射手であるグレイが至近距離をかすめ飛んだと言うのに、そちらを顧みることなく一直線にミニッツの方角へ向かって進み続ける。
「ボス、言ったじゃないですか。あいつの狙いは俺じゃない。射手は本質的な脅威ではない」
龍はどんどん後方へと遠ざかっていく。
甘粕は再びつぶやいた。
なぜだ、と。
スロットル・レバーを操作し、操縦桿を引く。海上でハリアーの機体を素早く反転させる。
「……ヴィンセント・ファーニア、ボノ、そして俺は、超共感性思念体(Super Pneumatronics Material)を打ち砕く力を手に入れた。でもそれは、実体化した悪意に対して人類の側が手に入れた象徴的な力でしかないんです」
「グレイ、龍の狙いはお前じゃないと言ったな?だとしたら、標的は……」
数秒かかって旋回を終える。ハリアーの機種が再び西を向いた。
先を行く龍とぴったり針路を合わせる。
向かう先は、空母ニミッツ。
「龍は空母に向かってますよ。奴が狙っているのは、霧崎さんだ」
「霧崎が?」
甘粕はスロットル・レバーを全開にした。
強烈な加速のせいで、体がシートへ押し付けられる。
龍はミニッツに肉薄していた。もう数分で、激突するだろう。
「なぜだ」
「彼女が、触媒だからですよ」
グレイがそっと手を伸ばし、多古忍から渡された刀に手をかけた。
「ボス、龍の針路に先回りしてください」
「何をするつもりだ、グレイ」
「馬鹿げたことですよ」
弱々しい手が、刀の柄を握る。
「だけど、他に方法は無い」
「お前が何をしようとしているのか、理解したつもりだ。だが、どうしてそれが可能なのか、俺には理解できん」
甘粕は一気に加速して龍を抜き去ると、ゆるやかなターンを描いて龍の針路の先に飛び出した。
ジェットノズルの角度を変えて速度を緩め、龍と速度をあわせる。
甘粕は手を伸ばして、緊急脱出装置を探った。
グレイが話を続けた。
「ホーリーとモーリーの報告を覚えていますか?龍を殺せる銃弾が、ある種の波動を帯びていたと言っていた」
「記憶している」
「その波動こそが、人類が手にした象徴的な力です。そしてソマリアで自分の体越しに龍を打ち抜いた時、その波動は俺に宿った」
爆音がして、ハリアーのキャノピーが吹き飛んだ。緊急脱出装置の第一段階を作動させたのだ。
グレイが狭いコクピットの中で立ち上がろうとしていた。
強い海風にその長い髪がたなびく。
甘粕は機体の姿勢を制御したまま、その様子を見守っていた。そして、口を開く。
「グレイ、お前は不死者だと信じている」
グレイは振り向くと、悲しげな微笑を見せた。
「俺もそう信じたかった。でも、そうじゃないことが分かった」
そう言うと、グレイはキャノピーの縁を掴んだ。そして刀を手にしたまま、宙に身を投げ出した。
※※
大海原を裂くように、巨大な龍がこちらへ突進してくる。
全長十・八キロの途方も無い質量。
もう数分で、こちらに激突するだろう。
甲板に立ってマイミは、ぎゅっと拳を握り締めた。
甘粕の考えは間違っていた。龍は、ハリアーに引き付けられることは無かった。ただまっすぐに空母ニミッツに向かって前進して来る。
「何してるの!」
背後から、牧村修二郎のヒステリックな声が聞こえた。
「早く、ヘリに乗りなさい!」
だがマイミはその場所を一歩も動かなかった。
眼前の海原を睨み続けている。
胸の中で、無数の声が聞こえている。
マイミの目から涙が零れ落ちた。
一番恐れていたことが起きたのだ。
「グレイさん」
飛来したハリアーのキャノピーが吹き飛んだ。コクピットから姿を現したのは、グレイだ。遠くてその表情までは伺えないが、手に日本刀を握り締め、飛び降りようとしているのが分かる。
そして、声が聞こえてきた。
グレイが何を考えているか、胸の中に流れ込んで来た。
「あなた自身が、龍を殺せる銃弾となって……」
グレイが、飛び降りた。
龍を目掛けて。
つづく




