悪意の底に残されたもの(1) ~龍の標的~
甘粕はニミッツのCIC(戦闘指揮所)に居て、偵察に飛んだCOIN機が送ってきた映像に見入っていた。
画面いっぱいに龍が映し出されると、その場の全員がどよめく。
それはもはや、島とでもいうべき大きさだった。
「全長十・八キロか……」
甘粕は呟いた。
「あれに体当たりされたら、この大型空母もただではすまないな」
その甘粕の呟きを、聞き逃さない人物がいた。
「ただではすまないだと?」
傍らで呻き声をあげたのはダナー中将だった。かつて東太平洋を管轄するアメリカ海軍第三艦隊を率いていた人物だ。
「とんでもない。あれだけの質量の巨体だぞ。接近されただけでこの船はひっくり返る」
そう言って、切なそうな目でCIC(戦闘指揮所)の内部を見渡した。
「太平洋艦隊、最後の切り札がこの場所で潰えることになる」
東太平洋地域の艦船は、このニミッツを残して全て損なわれていたのだった。
甘粕はモニタに目をやった。発艦可能な順に、次々と航空機が飛び立っている。同じ物を目にしたダナーは、呟くように言った。
「ありったけの魚雷と対艦ミサイルを叩きこむしかない」
甲板上はパニック寸前だった。航空機に兵装を取り付け、空に上げるまでには一定の時間が必要になる。モタつく機体が進路を塞げば、後がつかえてしまい、航空戦力を最大活用することは不可能になる。
甘粕は暗い目をダナーに向けた。
「あれで龍を止められると?」
「わからない」
ダナーはかぶりを振った。
「先行して飛んだ飛行中隊が、ありったけのハープーンを抱えて行った。小規模艦隊を壊滅させるだけの火力だ。だが、あの龍は……」
甘粕は静かに頷いた。全長十キロもの巨体に、対艦ミサイルを何発撃ち込もうが意味を成さないように思える。
先行した固定翼機に続き、短魚雷を搭載した哨戒ヘリが飛び立った。その様子を静かに眺めていたダナーが、甘粕の方を向いた。
「目ぼしい航空戦力は全て出払った。残された輸送ヘリの数には限りがある。君たちをこの船から逃がすことができるとすれば、今が最後のチャンスだ」
ダナーは静かな口調で言った。だがその瞳には冷たい怒りの色が浮かんでいた。
龍を殺せる銃弾と、その射手。日本からの客人はそれを運んできたはずなのに、重要な場面でそれを運用できずにいる。
太平洋艦隊最後の切り札を、人類に残された貴重な戦力を見殺しにしようとしている。
甘粕は口を開かなかった。ダナーの無念は痛いほど理解できた。相手が龍でなければ、超共感性思念体(Super Pneumatronics Material)として生み出されたもっと小型のクリーチャーであれば、空母ニミッツはもっともっと戦えたはずだ。
「甘粕、準備を始めてくれ。シコルスキーを用意しよう。この場所から陸地までの航続性能はないが、君たちをできる限り龍から離れた場所へ動かすことができる」
「龍から……離れた位置?」
甘粕はその言葉を改めて口にする。
脳裏に閃くものがあった。
「……どうした、甘粕」
「そうか、そういうことか」
明瞭な英語でそう独りごちると、甘粕はダナーの方を向いた。
「やってみる価値はある。この船に残された固定翼機で、一番足が速いのは何だ?」
ダナーは怪訝な表情を浮かべる。
「雷撃に参加しなかったハリアーがある。だが、どうしたと言うんだ甘粕。何を考えている?」
中将の言葉を聞きながら、甘粕はすでに別のことを考えていた。ハリアー、都合がいい。カンパニーが英軍と合同演習を行った際に扱った経験がある。
微かな笑みを浮かべて、甘粕は言った。
「……龍がなぜこのニミッツに突っ込んで来ているか、その理由について考えたんだよ」
※※
「グレイさんは、絶対安静ですよ?」
ズカズカと病室に入り込んできた甘粕に向かって、マイミは抗議の声を上げた。だが甘粕は耳を貸さず、グレイの体のあちこちに取り付けられたチューブを外し、ストレッチャーに乗せろと指示を出す。
ニミッツの医務スタッフたちも、突然のことに唖然とした表情を浮かべたまま棒立ちになっていた。
「早くしろ!うかうかしていたら、龍が突っ込んでくる」
「だから、ボス。グレイさんをどうしようって言うんですか?」
誰も手を貸そうとしないので、業を煮やした甘粕は自らグレイを抱きかかえ、医務室を飛び出した。
「龍がどうしてこの空母に突っ込んできたか、その理由を考えたんだ」
廊下を突っ切り、甲板へと続く階段へと向かう。各階の水密扉は開け放しになっていて、様々なスタッフが走り回っている。甘粕はグレイを抱えたまま、船内を駆け抜ける。
「グアンタモナ沖にいた龍が、高速でこっちへ突っ込んでくる。それはなぜだ?」
マイミは虚を衝かれたような思いで目をパチクリとさせた。
「それは……こちらの存在を検知したからでは?」
「こちらの存在とは何だ?龍は何を恐れている」
小走りに甘粕を追っていたマイミは、息を呑んだ。
「もしかして、龍を殺せる銃弾?」
「奴らには知性がある。我々が龍を殺してきたことに、気付いている可能性が高い。だとしたら、天敵の接近を手を拱いて待っていると思うか?」
「つまり、龍はグレイさんを狙っていると言いたいんですか?」
「この世でただ一人、龍を殺せる銃弾を扱える射手なんだからな」
「でも……」
龍を殺せる銃弾はもう残されていない。マイミはそう言いかけたが、言葉が発せられるよりも前に一行は甲板へと出た。
抜けるように青い空だった。
白く長い雲がたなびいている。
傍らを駆け回る整備士たちの怒号や、風に乗ってくる航空機の排気ガスの臭いがなければ、随分と心洗われる情景になったのに。
甘粕は甲板上で待機しているジェット機に向かって走った。周囲に群がる整備士たちが、急ピッチで離陸準備を進めていることが分かる。
「ボス!どうするつもりなんですか」
甘粕はタラップを駆け上がると、グレイを抱えたままコクピットへと潜り込む。
「できるだけこの船から離れるんだ」
「えっ?」
チェックを終えた整備士たちが、ハリアーの機体から離れ始めた。甘粕は狭いコクピット内で動翼チェックを始める。
「……何が起きている」
マイミの傍らで声がした。振り返ると多古忍がハリアーを見上げている。
「甘粕は、何をしようとしてるんだ」
マイミは手短に、甘粕の思惑を告げた。
「龍を引きつけて飛んだとして、その次はどうするつもりなのだ」
多古忍の言葉に、マイミは静かに頷く。龍を殺す銃弾はもう無いのだし、甘粕たちにはただ逃げる以上のことはできない。しかも、ハリアーは無限に飛んでいくことはできないのだ。どこかの洋上で燃料が切れることだろう。
そのことに気付いたマイミは、胸が締め付けられるような思いを抱いた。
いかに仲間たちのためであろうと、誰かの命が捨て石にされていいわけがない。
マイミは甘粕にそのことを告げるため、タラップを上がろうとした。
だが。
「他に手はあるのか?」
全てを察した目で、多古忍がそれを制した。
「あらゆる可能性を模索した上で、他に手が無いのだとしたら。例えそれがどれほど馬鹿げた案だとしても、そうするしかない」
抗いようのない言葉だった。
この局面で、“でも”や“しかし”を繰り返すほど、マイミは愚かでは無かった。
ロールスロイス製のペガサス・エンジンが唸りを上げる。動翼チェックが終わり、ハリアーはいよいよ離陸の準備を終えた。
出発の直前になって、多古忍がタラップを上がって甘粕の傍へ行った。
それは引き止めるためではない。
多古忍は自らの佩刀を外すと、甘粕に渡した。
「行け。そして死んでこい」
その言葉に、甘粕は皮肉な笑みを浮かべて頷いた。
瞳には、覚悟の色が浮かんでいた。
つづく




