血に染まるソマリアの大地(9) ~プロメテウスの授けた火~
「見ただろう、あの龍の反応速度。拳銃弾の発射を確認した後で回避されるんじゃ、当てようがない」
「弾よりも早く、ですか。まるでエイトマンですね」
古いアニメキャラクターのたとえ話は理解できなかったのか、グレイは何も答えずに龍を睨んだ。
粕井たちの銃撃は続いており、次々に地面から現れる龍の化身をどんどんと破壊している。
だが、龍が現れるペースが速くなってきたような気がする。
マイミは眉をひそめた。粕井たちは持てる限りの火力をつぎ込んでいるが、龍の数は減っていない。むしろ増えているのだ。
そして、龍たちが前進を始めた。
「マズいな」
グレイが呟き、傍らにいる牧村たちに目配せした。
「後退するぞ、霧崎さん。龍は前線を押し上げてくる気だ」
「どうするつもりですか」
「今、考えてる」
マイミたちは自分たちの車両を放棄して、後退し始めた。粕井たちの方から応射は無かった。龍の相手で手一杯なのだ。
「龍が攻勢に転じようとしてます」
一台の車両の陰に身を寄せる甘粕のところへたどり着くと、グレイは報告した。
「龍は無数にいるが、本体は中央付近にいる一匹だけです。呪いの銃弾で狙ったが、かわされました」
甘粕が目を剥いた。
「かわされた?」
「想定以上の反応速度です」
一瞬、言葉が途切れた。
あまりにも重大な問題だ。
甘粕たちの全ての行動と努力は、龍を殺すことに費やされている。
だが今この瞬間、その全てが無に帰するかもしれない残酷な現実が突きつけられていた。
龍は殺せないかも知れない、自分たちはこの場所で死ぬしかないのかも知れない。
「どうすればいい」
甘粕が歯を食いしばり、つぶやくように言った。グレイに質しているようでもあり、自らに問うているようでもあった。
「今、考えています」
グレイもまた、先ほど言った台詞を繰り返した。
耳元を銃弾が掠める。
命のやり取りが行われているこの瞬間に、事態を打開する妙案を考え付かなくてはならないのだ。
「うわっ!」
すぐ近くで、悲鳴が起きた。粕井の部下の一人に、龍が飛び掛ったのだ。
渓谷の龍は出雲沖に現れた龍や、ノリリスクの龍と比べて遥かに小さい。
しかし、それでも全長二メートルは超えるサイズだ。飛び掛られれば、人間などひとたまりも無い。
「くそ、退くぞ」
甘粕がうめくように言った。
すぐ近くでは、龍に飛び掛られた兵士が生きたまま腸を食い破られている。
あちこで戦線が崩壊していた。
粕井たちは精鋭部隊であり、恐れを知らなかったが、結局は龍の敵では無かった。
龍は無限に増殖する土人形の群れを使って、抵抗する粕井隊を押し流している。
「本体を仕留めなきゃ、この侵攻は止まりませんよ」
グレイがはき捨てるように言うと、甘粕は頷いた。
「そうだな。だが今のままでは呪いの銃弾を当てることができない」
二人のやり取りを聞きながら、マイミはずっと考えていた。
何かひとつ、忘れていることがある。
それが何だかを考えながら、みんなの後を追って、また新たな車両の後ろに身を滑り込ませた。
※※
「エピメテイウスの妻の神話を知っているか?」
幼い頃、父が唐突にそう話しかけてきた。
マイミは今でもはっきりと覚えている。
普段、あまり会話をすることの無い父親が、その時は上機嫌で話しかけてきた。
ただし、父の話は基本的に難解だ。
五歳の娘の知識レベルに合わせて話題を選ぶことは無く、大人と接する時と同じ目線で話をする。
マイミはエピメテイウスが何者か知らず、父に問うた。父は笑って五歳の娘にその神話を話した。
それが父、霧崎アラタと会話した最後の記憶だ。
アラタはそのまま家を出て、南極へと向かい、そして二度と戻ってくることは無かった。
もしもあれが最後の時間だと分かっていれば。
後々になって、マイミは何度も振り返ることになる。
もしも、もう二度とこの人と会えないんだと分かっていたならば。
伝えることはもっとあったはずだ。
聞きたいことはたくさんあったはずだ。
だが、今となってはどうしようも無い。
後になって悔いるから、後悔と言うのだ。
「……霧崎さん」
誰かがマイミの肩をつかむ。
突然、周囲に喧騒が戻ってきた。
マイミは呼び戻されたのた。
弾丸が飛び交い、あちこちに悲鳴が起き、大量の血が流れる現実のもとへ。
「霧崎さん」
肩をつかんでいたのは、グレイだった。
「早く、移動をしないと」
マイミはゆっくりとかぶりを振った。
グレイに伝えたいことがあったからだ。
「グレイさん……思いついたんです、龍を殺す方法を」
「何だと?」
「エピメテウスの神話を知っていますか?」
視界の隅で、また一人兵士が脚を食いちぎられ、引き倒されれて龍にのしかかられているのが見えた。
「知らない。いつものガリ勉物知りトークなら手短にすませてくれ」
「エピメテウスはプロメテウスの弟で、世界が創造された時、人間以外の動物に翼や爪、牙という能力を与えました。しかし、そのせいで人間に与えるものが何も無くなった」
「愚か者だな、そいつは」
「そうです。プロメテウスは“先に考える者”であり、エピメテウスは“後になって考える者”という意味があります。そして弟の愚行を見たプロメテウスは、知恵を働かせて人間にひとつの力を与える」
「何なんだ、それは」
「火です。火を恐れず、操る力を与えた。それが人類を地球上の支配者へと押し上げることになった」
龍の一群はもうすぐそこまで押し寄せていた。
粕井の部隊は人員の半数近くを失っており、すでに陣形は用を成していない。
「何が言いたいんだ、霧崎さん」
「無人飛行機のリーパーには、ミサイルが搭載できると言ってませんでしたか?」
その言葉に、グレイが目を見張った。
「そうか、ヘルファイアか」
グレイは多古忍の方を振り返った。
「多古さん、ヘルファイアだ。リーパーで空爆を実行してくれ。銃弾をかわすことはできても、ミサイルの爆風をかわすことはできない。ヘルファイアを叩き込み、龍の動きが止まった隙に、呪いの銃弾を命中させることができるかも知れない」
グレイの言葉に、多古忍がゆっくりと頷いた。
つづく




