血に染まるソマリアの大地(7) ~谷底で聞いたこえ~
マイミたちは谷底に到達した。
龍が潜む渓谷は深く、岸壁に阻まれた谷底には陽の光が差さない。
「龍は、この先だ」
銃座から降りてきたグレイがつぶやくように言った。
「うずくまっていて、ビクともしない」
マイミはフロントガラス越しに前方を見やった。薄暗い谷底の先に、黒い塊が見える。
意外に小さかった。
「粕井さんの言うとおりだな。ノリリスクで見た奴よりも、遥かに小さい」
傍らのグレイがマイミの気持ちを代弁した。
「この地域の悪意の総量が……少ないということ?」
「馬鹿な」
グレイがぎりっと奥歯を噛み締める。
「この大陸で繰り返された殺戮や蹂躙の数々を考えれば、悪意が少ないなんてことは有り得ない」
マイミはその横顔を見ながら、またグレイの思念が自分の心に押し入ってくる感じに気付いた。
「グレイさん、やっぱりグレイさんはアフリカに来たことがあるんですね」
「何だって?」
「グレイさんの心の奥から響いてくるものがあるんです。失われた記憶の向こうに、何か名状しがたい感情を抱えている」
その切れ長の目で真っ直ぐマイミを見つめると、グレイは静かに言った。
「どうだろうな。いずれにせよ、それは思い出せない」
もしかしたら。
マイミは思った。グレイは思い出せないのではなく、思い出そうとしていないだけなのかも知れない。
※※
兵員輸送車輌は龍の前で停止した。
文字通り目と鼻の先だ。
だが龍はピクリとも動かなかった。
「死んでるんじゃないのか、こいつは」
車輌を降りた甘粕がつぶやくように言う。
マイミは背後を振り返った。十数メートル先に粕井たちの車列が見えた。こちらが進行を止め、龍の近くに到達したことを確認したのか、進軍を止める。
十数メートルの距離を隔てて、対峙することとなった。
「甘粕!」
金属をひっかいたような掠れ声が谷底に響き渡る。
「投降しろ、無抵抗の君たちを殺すのは、我々も忍びない」
指揮車を降りた粕井が、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
甘粕は毅然とした態度のまま、粕井の方へと向き直った。
「アフゴヤの住民にも同じ事を言ったのか?」
冷ややかな口調でそう言う。
「お前のやったことは単なる殺人だ。戦争が終わったのに、日本に引き戻されるのが嫌で無辜の市民を殺し続けたのだからな」
「戦争は終わったりしない」
粕井はかぶりを振った。
「お前たち政治家は勘違いをしている。戦争は外交の手段だと考えているだろう?そうではない。人間という生物の営みの延長線上にあるものだ」
甘粕と粕井は、互いに数メートルの距離まで歩み寄った。
「戦争は有史以来、ずっと継続している。局地戦が終結したことを差して、時の支配者が始まった、終わったと宣告しているだけだ。アメリカがもう七十年以上も宣戦布告を行っていないのを知っているか?なのに奴らは今も、全世界で人々を殺し続けている」
「大国が自分たちの利権を守るため、他の国々をけしかけて代理戦争を行っていることを言いたいのか?」
「そうだ。アフリカも、中東も、東欧も、南米も、その地域の当事者ではない、他の誰かの都合で殺し合いを続けている。石油を守るため、同盟を守るため、人権を守るため、だ。世界各地の戦火はつながっているんだ。その意味で、地球上から戦火が消えたことは一秒たりともないのだ」
甘粕と粕井は、互いに一メートルまでの距離で足を止めた。
「俺の事を殺人者呼ばわりしたな?甘粕。だがお前の背後を守っている、グレイの正体を知っているのか」
その言葉に、傍らのグレイが反応したのが分かった。マイミが目を向けると、グレイが体を硬くしているのが分かった。
「記憶を無くしたとか言う奴の経歴を、俺は洗った。カンパニーに来る前にも、奴は傭兵をやっていたんだ。そしてこのソマリアで、子供たちを虐殺した」
マイミは目を見張った。
夢で見た、虚ろな目をした少年を思い出す。
薄汚れたTシャツに、サイズの合っていないジーンズ。
黒い肌にたかる蝿。
あれはグレイの記憶だったのだ。
※※
「霧崎さん、車の中にあるケースを取ってくれないか」
「えっ?」
グレイの言葉に、マイミは我に返った。
粕井から殺人者呼ばわりされたグレイは、拳を硬く握り締めて動揺と戦っているようだった。
額に汗が滲んでいる。
「グレイさん、大丈夫ですか」
「頼む、オリーブグリーンのケースが置いてあるはずなんだ」
マイミの胸の中に、激しく思念が流れ込んでくる。それは様々な感情が折り重なった濁流のようで、混濁しており、明瞭な形を取らない。
恐れ、怒り、後悔、憐憫……。
そして、悪意。
初めは小さかった悪意が、加速度的に増大していくのが感じ取れる。
「霧崎さん……ケースを取ってくれ」
グレイの言葉を聞きながら、マイミは混乱していた。
目の前にいる男は、一体何者なんだろうか。
虚妄性不死症候群と診断された男。
記憶を失った男。
この地球上で唯一、龍を殺せる銃弾を扱える男。
自らを不死者だと呼び、生と死の狭間にいる男。
灰色。
「グレイさん……」
マイミは強張った表情で問いかけようとした。
あなたは一体、何者なんですかと。
だがそれは適わなかった。
グレイはマイミのことを突き飛ばすようにして押しのけると、兵員輸送車輌に向かって走った。抵抗したり、制止する暇は無かった。
誰かの叫び声が聞こえる。
次の瞬間に飛び込んできた光景に、マイミは目を見張った。
つづく




