血に染まるソマリアの大地(3) ~天幕の中で~
兵員輸送車両の荷台は想像していたよりも激しく揺れた。
マイミはベンチシートを手でつかみ、体が浮き上がらないようにしながら、そっと傍らのグレイに囁く。
「ガソリンでも飲んだんですかね」
グレイがつまらなさそうな表情で振り返った。
「何だって?」
「ひどいしゃがれ声でしたよ。ガソリンでも飲んで、喉を潰したんですかね」
「粕井さんのことか?」
マイミは頷いた。
「あの人ですよね。陸上自衛隊の特殊部隊にいた凄腕の人……」
「カンパニー最強の男だ」
頷きながらグレイが答える。
「色んな組織から様々な才能が引き抜かれてきたが、彼は別格だった。カンパニーに合流すると同時に率先して危険地帯の任務に飛び込み、何年も何年も戦地で暮らしてきた。世界で一番危険なこの国に来てもう五年になるが、一度も帰国してないんじゃないかな」
「何がそんなに凄いんですか?」
「肉体的な強さ、技能、頭脳はもちろんのこと、誰もが一目を置くのがその精神力だ。心の強さが無ければ、常人なら五分で発狂するこのソマリアで生き延びることはできないよ」
「ふうん」
マイミは先ほど見た光景を思い出していた。
アフゴヤのはずれで、運よく粕井率いる部隊と出会うことができた。
粕井はモガデシュで調達した武器を輸送している最中だったので、その車列にマイミ達を乗せて拠点へ戻ることとなった。
指揮を執っていた粕井は、想像していたよりは小柄だった。
身長は百七十センチと少しくらいだろうか。腕は太く胸板も厚いが、ものすごく大きいと言う印象は無かった。白髪交じりの髪は短く刈り込まれ、四角く平坦な顔は日に焼けているせいで表情が読み取りづらい。年齢は四十代と聞いていたが、年齢不詳な印象があった。
マイミが何を考えているのか気付いたのだろう、グレイが口を開いた。
「パッと見では、分からんだろう。平凡な兵士のようにも見える」
そして何かを思い出すような顔になった。
「粕井さんの声が潰れてるのは、イスラム原理主義者に捕まった時に受けた拷問のせいだ」
「えっ?」
「暗黒大陸で拷問はあいさつ代わりさ。その時の後遺症で左目は見えないし、壊疽した指は切り落とすしかなかった」
「そんな……」
マイミはノリリスクの鉱床で、ボノと話したことを思い出していた。世界中を覆う悪意。粕井もまたその悪意の犠牲者の一人なのだ。
「彼は拷問に耐え抜き、生き延びた。そしてカンパニーの拠点へ帰ってきたんだ」
グレイがそう言った時、二人を乗せた兵員輸送車両がスピードを落とし始めた。
マイミは首を伸ばして外の風景を見やった。なだらかな丘の中腹に、拠点が構築されていた。
「到着したようだな」
グレイが言うのと同時に、車列が止まり、全員が車を降り始めた。
※※
「アル・シャバーブの攻勢はどんどん強くなっている」
甘粕、牧村、多古忍にグレイとマイミを天幕に招き入れると、粕井は状況を説明し始めた。
「奴らの戦力は流動的だ。ここはアフリカだが、増援はユーラシア大陸からもやって来る。敵の敵は味方だという理屈で、チェチェン人が加勢していたりするからな」
天幕の中央には、この辺りの地形図を広げた折りたたみテーブルがあるきりだった。座ることもできず、全員が立ったままで話し合うのだ。
唯一振舞われたのは紅茶だ。無機質な金属のカップに入ったそれは、鉄の臭いが鼻についた。
マイミは隅の方でそっと紅茶を飲んだ。戦略、戦術の話にはついていけなかったからだ。
「龍は現時点では脅威ではない。谷底でピクリともしないからな」
そう言うと、粕井は粒子の荒いモノクロ画像を印刷したものを取り出した。
「これが、三番目の龍か……」
甘粕がつぶやいた。
マイミは首を捻ってそちらを見たが、それが龍だとは思えなかった。日の差さない渓谷の底に、何かザラザラとした黒い塊が横たわっているだけだ。
「ノリリスクで遭遇した龍は、体長数百メートルを数えました」
グレイが報告する。
「超共感性思念体(Super Pneumatronics Material)である龍は、周囲に漂う悪意の量に非礼して巨大化すると思われます。世界でも未曾有の紛争地帯であるこの国に現われたとしたら、ノリリスクの龍を遥かに凌駕するサイズになると思われるのですが……」
「いや、そうだとしたらきっとこちらの龍のサイズは大したことがないはずだ」
グレイの言葉を遮るように粕井が言った。
「この土地で行われているのは原始的な殺戮行為であり、本能に根ざした活動だ。超共感性思念体の源泉となるような、人間的な悪意などという崇高なものは無い」
どこか嘲るような口調だった。
長年、暗黒大陸で殺戮現場に向き合い続けてきた粕井ならではの皮肉なのだろうか。
グレイが眉をしかめた。
「動物同士が殺しあってるのと同じだと?」
「その通りだ」
粕井はうなずき、自分の紅茶をすする。
「サイズがどうあれ、我々は早急に龍を始末する必要がある」
甘粕が言った。
「全世界にあふれ出したクリーチャーは、あちこちで人間を襲っている。今や人類の側は陥落寸前なのだからな」
言うと甘粕はタブレットを取り出して世界地図を表示させた。
「全世界の七十パーセントがすでにクリーチャーの支配的地域となってしまった。人類の活動は阻害され、多くの人々がビルや商業施設への籠城を余儀なくされている。各国の軍隊が局地戦を繰り替えているが、展望はまるで見えていない」
その地図の中で、真っ赤に染まった日本を見たマイミは泣きそうになった。
「日本は……北海道と九州以外は絶望的なんですね」
「自衛隊は善戦したと聞いている。だがあの狭い国土、高い人口密度だ。無数に現われるクリーチャーを前に、本州を守りきることは出来なかった」
甘粕がそう言うと、粕井は深くうなずいた。
「基本的に日本の防衛思想は敵軍の侵攻を水際で叩くというものですからね。国土の内側から現われる敵に対して、有効に戦える十分な陸戦部隊を有していない」
どこか誇らしげな物言いだった。
マイミは先ほど自分たちが乗ってきた車列を思い出していた。装甲車と兵員輸送車で構成された、勇壮な機械化歩兵部隊。粕井が日本にいた時は率いることのできなかった現代の騎兵たち。
言葉の節々から、粕井が戦争を愛していることが伝わってきた。
「ところで、甘粕さん」
粕井が目を上げた。
「一体どうやって龍を倒すつもりなんですか?」
甘粕は頷いて見せた。
「我々は超共感性思念体(Super Pneumatronics Material)を分解することのできる、呪いを帯びた銃弾を手に入れたのだ」
「報告書には目を通してますよ」
粕井は紅茶のカップを手の中で弄びながら言った。
「しかし、その特殊な波動を帯びた銃弾を作り出せるヴィンセント・ファーニアという人物は島根沖の海戦で戦死したとも聞いています」
「その通りだ」
「残された弾丸はどれくらい?」
粕井の問いに、甘粕たち一行は言葉を失った。沈鬱な帳を切り裂いたのは、グレイの声だった。
「四発だよ。たった四発の拳銃弾だ」
「そうか」
グレイと粕井は目を合わせた。お互い兵士だからこそ理解できる感情があるようだった。
「それは、絶望的だな」
粕井は地形図に指を這わせた。
「龍を取り巻く情勢について、説明する必要がありそうだな」
少しだけ間を持たせて、粕井は天幕の中の人々の顔をぐるりと見渡した。
どうやらそれは、よくないニュースのようだった。
つづく




