血に染まるソマリアの大地(2) ~屋敷を塞ぐ闇~
闇から覗く二つの目は、やがてやつれ果てた黒人の顔となった。
マイミが盛大に悲鳴を上げたため、一行が集まって来て橋のたもとへ照明を投げかける。
てっきりアフリカに生息する野生の猛獣か、クリーチャーの類だと思っていたマイミは、それが人間であることに気付いて悲鳴を止めたが、次の瞬間、違う事実に気が付いて息を呑んだ。
それは首から下が失われた、現地人の生首だったのだ。
マイミは膝が震えるのを押さえられず、近くに立つ人の腕をつかむ。
グレイだった。
「おそらくクリーチャーの仕業だろうな」
静かにそう言う。
「人間の首を切断するには、相当な労力が必要になるからな。重たく切れ味のいい巨大な斧か、チェーンソーが必要になる」
「あんな死体が転がっているということは……?」
「この集落は、クリーチャーに蹂躙された後だと考えるのが自然だろう」
グレイは顔をしかめた。
「嫌な予感がするんだ。俺たちが向かっているあの屋敷……」
指さした先には、川の向こうにそびえたつ大きな建物が見えた。
「妙な臭いがしないか?霧崎さん」
グレイは言った。マイミは鼻をひくひくさせたが、グレイの言っている意味は分からなかった。
※※
屋敷はコロニアル風の平屋造りで、周囲は庭園灯で照らされていた。
塀の正面に設えられた門扉は開け放たれており、警備の姿は無い。
先頭に立ったグレイは、コルトガバメントを二丁とも抜き出すと、左右別々に狙いをつけながら油断なく進んでいく。
全員がゆっくりと後に続いた。
一行を出迎えたのは静寂だけだ。門扉から屋敷の正面玄関まで続く石畳は十数メートル。屋敷の窓からこちらを狙い撃ちする者はいないか、慎重に目を配ったが動きはなかった。
屋敷の窓は黒くふさがれ、屋内の様子は一切分からない。
正面玄関に近づいたグレイが振り返った。
「やっぱり、変な臭いがする」
「そうですね……」
その時点でマイミも強烈な異臭に気付いていた。
「引き返した方がいいと思うんだが、どうかな」
「上長に確認するので、少々お待ちください」
言うとマイミは踵を返して、牧村のもとへ向かった。
マイミが歩み寄ると、牧村は露骨に嫌な顔をして見せた。
「何よ。あたしに何の用よ」
「前方から異臭がするんです、牧村さん」
「知ってるわよ、あたしだって臭いわよ」
「引き返した方がいいと思うんですが……」
「それは、何?」
「えっ?」
「私に何を求めてるのかしら。判断をしろと言ってるのなら、それはお門違いよ。あたしは既に監査役の任を解かれていて、あなたのレポートライン上には存在してないわ」
「そういう官僚的発言を求めてるわけじゃないんですが……」
牧村はキッとなってマイミを見返した。
「分かったわよ!ちょっと待ってなさい」
そう言うと踵を返して、甘粕の方へと駆けて行った。
「これは何なんだ、霧崎さん」
グレイが呆れたように言う。
「日本の国家運営の縮図です。意思決定までには無数の階層構造を昇っていく必要があるんです」
「この強烈な異臭には誰もが気付いているはずだか……それでもこの儀式は必要なのか?」
「普段と同じ手続きを踏むことで、気持ちが落ち着くという効用もあると思います。我慢してください」
グレイは肩をすくめる。
列の後方から甘粕がゆっくりと歩いて来た。
「確かに、尋常じゃない異臭だな」
「この屋敷はやばいと思いますよ、ボス」
そう言うとグレイは銃口で屋敷を指示した。
「さっきの現地人の死体と言い、クリーチャーがこの集落を襲ったのは明白だ。休息と物資調達が必要なのはわかるが、俺としてはなるべく早くこの場所を立ち去りたいね」
「そうだな……」
甘粕は腕を組んで屋敷の扉を睨みつけた。
「この異臭の正体だけは確かめた方が言いと思うんだ。何がこの集落を襲ったのか、そのヒントだけでも掴んでいた方が、後々役に立つように思う」
その意見にグレイは鼻を鳴らした。
「しょうがない。じゃあ俺が中を見てくるから、みんなはここで待っていてくれ。どんな危険があるか知れないからな」
グレイは油断なく構えたまま、屋敷へと近づいていった。
「……奴は何をしに行ったのだ」
列の後方から追い付いた多古忍が口を挟んだ。マイミはひとつ頷いて答えた。
「グレイさんはこの異臭の正体を確かめに行ったんですよ」
多古忍は眉をひそめる。
「確かめる必要は無いと思うが……」
若き女組長は、その切れ長の目で屋敷をにらみつけた。
「あれと同じ異臭を、私は嗅いだことがあるからな」
グレイは左手に持っていた拳銃をホルスターに戻すと、扉に手をかけた。
「これと同じ臭いを嗅いだことがあるんですか?多古さんは」
「ああ。北朝鮮からの密航者を引き受けた同業に泣きつかれたんだ。コンテナに入れて脱北者を運んだが、失敗してマズいことになったと」
「何が起きたんです?」
「真夏だというのにコンテナの温度調整が効かず、脱北者が全員が熱死した。コンテナ一杯に詰まった腐乱死体が日本に届いたんだ」
扉が開くと、異臭は一気に強まった。
グレイは屋敷の中をのぞくことができなかった。
扉のすぐ向こうまでうず高く積み上げられた死体が、入口を塞いでいたからだ。
屋敷の中は死体で充満していた。集落内の住民全員が虐殺され、死体がこの屋敷の中に詰め込まれていたのだ。
※※
「ケタはずれの残虐さだったな」
グレイが低い声でつぶやいた。
「その話、しばらくやめてもらえませんか……」
マイミは先ほどの光景を思い出し、吐き気を催しかけたのでそう言った。
屋敷の中にぎっしりと詰め込まれた死体の山。グレイが言うように、とてつもない残虐な光景だった。
マイミたちは屋敷を放棄し、アフゴヤを急いで離れることにした。あんな残虐な殺戮行為を行うクリーチャーが近くにいるのだとしたら、現状の装備で対抗できるとは思えない。
「少し、理解できないことがあるんだ」
「何ですか?」
「あれはいったい、どんなクリーチャーの仕業だったんだろうな」
グレイは先ほどの話を止める気は無いようだった。
「アフリカにどんな怪物がいるかなんて知りませんよ。唯一知ってるのは、上半身がライオンで下半身が蟻だっていう蟻ライオンみたいな怪物くらいです」
「もしかしてミルメコレオのことかな?ライオンの口で肉を食べても、蟻の胃では消化できないため何も食べられずに死んでしまう悲劇の怪物のことを言ってるんだろ?」
そう言うと、グレイはかぶりを振った。
「残念だな、霧崎さん。ミルメコレオは実在しない。あれは旧約聖書のヨブ記を訳す過程で生まれた誤植の産物なんだよ。“雄ライオンは獲物を得られずに滅び”という一説になぜか蟻という言葉が混じって、蟻ライオンなんて奇怪な怪物がいると信じられただけだ」
「それを言ったらノズチだってジャージーデビルだって実在しないはずですよ」
マイミはため息をついた。
「超共感性思念体(Super Pneumatronics Material)は人間の思考が実体化するんですから、このあたりの現地人がどんな怪物の伝承を信じていたか知らないと……」
「そうだな、特にソマリア周辺の伝承は俺も疎い。リビアには有名な双頭の蛇アンフィスバエナがいるし、エチオピアにはハイエナとライオンの混血クロコッタや、邪眼を持つカトブレパスがいるんだが……」
グレイがどこか嬉しそうに言う。
マイミはついて行けず、肩をすくめた。
背負った荷物が重く、空腹で、のどが渇いていた。だが十分な物資は無い上に、日が暮れて辺りが冷え込み始めている。そのあたりで適当に野宿するわけにもいかない。
もう、残虐なクリーチャーでさえなければ、例えイスラム原理主義組織のアル・シャバーブの拠点でもいいから見つからないかと考えていた。
足元を見ながらとぼとぼと歩く。
「おい、あれを見ろよ」
グレイに言われて、マイミは再び前方に顔を上げた。
こちらに向かってくる、二つの光が見える。
間違いなく、車のヘッドライトだった。
つづく




