閉鎖都市ノリリスクの逆襲(10) ~龍との死闘~
地球上のどんな生物とも似つかぬ、金属をこすり合わせたような耳障りな咆哮が耳を打つ。
目に飛び込んできたのは、巨大な龍の顎門。
悪を導く、人類の敵。死を知らない、恐るべき破滅の先触れ。
マイミは初めて目の当たりにする龍の姿に戦慄していた。手足のない長大な体を蛇のようにくねらせると、ノリリスク鉱床の岩壁から姿を現す。
「龍が、目覚めてしまった」
傍らでアレクサンドルが唇を噛み締める。
採掘基地を飛び出したロシア国内軍の兵士と、多古組の構成員たちが銃を構えて発砲を開始する。
だがそんな武器では勝負にならないことは誰の目にも明らかだ。
「逃げるぞ、お嬢ちゃん」
傍らに、多古忍が立つ。
この場にいる誰よりも小柄な極道の頭は、金の房飾りが付いた日本刀を下げ、すっくと立っている。
最果ての地で、破滅の先触れに取り囲まれているというのに、その瞳に動揺の色は無かった。
「お前をここで死なせるわけにはいかない」
「でも、外にはすでに龍が……」
「うちの組の者が捨て身で龍を止める。その間にお前だけでも脱出させる」
なぜ多古忍がそこまで自分にこだわるのか、マイミには理解できなかったが、腕をぐいと引っ張られ、採掘基地の外へと連れ出される。
「早くヘリに乗るんだ」
見れば鉱床の中央に、多古忍が乗ってきたと思しき小型ヘリがあった。パイロットがローターを回転させて、離陸の時を待っている。
龍が雄叫びを上げた。
巨大な尾で、発砲を続ける男たちをなぎ払う。ロシア兵やヤクザたちは果敢に立ち向かったが、小銃や拳銃ではかすり傷ひとつ負わせることができなかった。
龍が尾を振り回すたびに、無数の岩の塊が辺りに降り注いだ。マイミの足元にも、こぶし大の岩が叩きつけられる。
「ひゃっ」
足をすくませるマイミの手を、多古忍が再び強く引く。
「急げ。龍はきっとお前に気付いている」
「えっ?」
その時、マイミの傍らをすり抜ける人影があった。マイミはそれが呪いの銃弾を持ったロゴスキンの姿であることに気付いた。
「くそ、龍め!」
そう言うと、ロゴスキンは龍に向かって狙いを定める。マイミは嫌な予感を抱えていた。
物語の途中に出てきた小悪役が、ラスボスに歯向かって勝ったためしがないからだ。
「多古さん、あの人を止めないと。何だか凄く嫌な予感がします」
だが多古忍はかぶりを振った。
「そんな暇は無い。とにかくお前を救えと甘粕から言われている」
次の瞬間、龍の咆哮が辺りを震わせる。銃を構えるロゴスキンの姿を見止めた龍が、誰を最初に葬り去るべきか気付いたのだ。
「くたばれ、この怪物め!」
ロゴスキンが途中で死んでしまう雑魚キャラに相応しい台詞を吐き、引き金に指をかける。咆哮をあげて、尾を振り下ろす龍。
放たれた銃弾は、その尾を打ち抜いた。
「何だ、あれは!」
マイミの背後で、アレクサンドルが叫び声をあげた。
龍の尾の着弾部分が渦が巻き、瞬く間にその肉体を分解していく。
だがマイミはその現象を目で追っていなかった。
見つめていたのは、ロゴスキンだ。
ロゴスキンの豊かな白い髭がより白く変化していく。つるつるに禿げ上がった頭部が、ざらついた結晶となって輝きを失った。
生きたまま塩になったのだ。
マイミは言葉を失った。龍を殺せる銃弾と、それを放った銃は無事だった。塩の柱と化したロゴスキンの手の中で、ほの青い輝きを放っている。
何が起きたのか、最初は理解できなかった。
以前、グレイがジャージーデビルを倒した時には、銃が塩になってしまったが、射手であるグレイは無事だった。
「龍が……」
マイミの傍らで、多古忍がつぶやく。押し殺した声だった。
「苦しんでいる。あの銃弾はやはり、龍を殺せるのか」
巨躯が宙を舞った。尾を砕かれた龍は、怒りの咆哮をあげながら身をよじらせている。
だが、死んではいない。
「急所を撃つんだ」
耳を打ったのは、アレクサンドルの声だった。新興財閥の若き長からは、のんびりとした口調が失われていた。
アレクサンドルはロシア語で叫んだ。
「誰か!早くあの銃を手に取れ。ロゴスキンがやったように、龍を撃て!」
だが誰もその命令に従う気配を見せない。
ロゴスキンがやったように、塩の柱になることを恐れて。
マイミは自分の胸の中に名状し難い感情の渦が沸いており、まるで小さな嵐のように吹き荒れているのを感じていた。
それが何かをマイミは直感的に理解していた。
龍だ。
論理的な思考ではなかったが、龍の怒りが、思念が自分の胸の中に流れ込んでいることが分かった。
「まずい、龍がこっちへ来る」
何事にも動じることのない多古忍の声に、焦りの響きが滲む。
その事実がマイミを恐れさせた。
龍は思念を放っている。この場にいる人々は、無意識のうちに侵食されているのだ。
銃を、手に取らなければ。
マイミは踵を返した。簡単な計算だった。誰かが、例え塩になろうともあの銃弾を龍に叩きこまなければ、この場にいる全員が死ぬのだ。
「霧崎!」
多古忍の声が耳を打つ。
そして、マイミの頭上を大きな影が覆った。
※※
ロシアに着いた直後、有名なレストランに連れていってくれたのはアレクサンドルだった。
飛行機が達人が操るヨーヨーみたいに揺れたせいでマイミは全く食欲が無かったが、美形の青年に笑顔で進められたので、料理を無理に押し込んだ。
これまでの人生で、こんなイケメンにちやほやされたことは無く、舞い上がっていたからだ。
マイミは真っ赤なボルシチを口に詰め込みながら、ふと気になったことを聞いた。
「ねえ、さっきから気になってたんだけど、なんでたくさん店員がいるのに、あの若い男性にしか注文をしないわけ?」
「彼が一番働き者だからさ。他の店員にオーダーしても時間の無駄だよ。手間のかからない料理に変えろと言ってきたり、注文したのと違う料理を持ってこられるのがオチだ。ひどい場合は注文したことを忘れ去られて、閉店まで待たされることだってある」
アレクサンドルはそう言うと、悪戯っぽい表情でにっこりと微笑んだ。
どこか少年のような無邪気さのある笑顔だった。
だが今や、そのアレクサンドルが悪鬼の如き形相だ。
「腰抜けどもが……」
頭上からこちらを睥睨する龍をひと睨みすると、アレクサンドルは近くに立つロシア兵の胸倉を掴んだ。ポケットからUSドルを束で掴み出して、その兵士の胸ポケットに押し込む。
「行け!腰抜けめ。金なら幾らでもくれてやる。浴びるほど酒を飲ませてやる。極上の女を抱かせてやる。行って、龍を撃て!」
だがその兵士は首を左右に振ると、押し付けられたドル紙幣を投げ捨てて、その場から走り去った。
龍の咆哮が巻き起こす旋風に巻かれ、紙幣がクルクルと宙を舞う。
マイミは風の音に負けじと大声で叫んだ。
「無駄よ、アレクサンドル。どれだけ金を積まれても、どれほど報酬を約束されても、塩になってしまったら意味がないもの」
「マイミ、僕はこんな所で死ぬわけにはいかないんだ。龍を殺す銃弾を手に入れて、世界を統べるに相応しい男なんだから」
「……自分でそういうこと言うの、気持ち悪いと思わない?」
だがアレクサンドルはその問いに答えることができなかった。
バチン。
という乾いた音とともに、怒り狂った龍の顎門が、アレクサンドルの膝から上を食いちぎったからだ。
マイミは絶句した。
傍らの多古忍が刀を抜いて身構える。
だが、次が自分たちの番だというのは分かっていた。こんな巨大で醜悪なモンスターに勝てるわけがない。
「霧崎……」
多古忍が押し殺した声でマイミを呼んだ。その視線は、頭上を覆う龍ではなく、さらにその先に向けられていた。
「多古さん、あれは……」
「来たぞ、救援だ」
龍よりもさらに高い上空に、飛行機の影。固定翼機でありながら、空中で停止して下降してくるそれは、垂直離着陸機(VTOL)にカスタマイズされたガルフストリーム。
「もしかしてエアフォース・ワン?」
「違う、あれはカンパニーの指令機だ。コードネームはライジング・サン」
「カンパニー?だとすると、乗っているのは……」
多古忍が答えるよりも早く、ガルフストリームから小さな黒点が現れた。それは見る見るうちに大きくなる。航空機から飛び出した人の姿だ。
「あれは……」
上空からフリー・フォールで降下してきたその人物は、ギリギリの高度まで引っ張った上で、パラシュートを展開した。高度な訓練を受けた空挺部隊の兵士だけが可能な技だった。
龍が咆哮した。自分の頭上を脅かすガルフストリームの存在に苛立ったのか、果敢に突入してきた落下傘に吠えたのかは不明だったが、空から現れた存在が自分にとって手ごわい敵だと感じているようだった。
降下してきた人物は、マイミから数メートルしか離れていない場所に降り立った。
切り離された空挺傘696M1が、地面に落ちる。
マイミはその人物を見た。
この場所にはいるはずのない人物だ。
そして窮地に陥った時、彼ならば助けてくれるのではないかという期待が、常にあった。
切れ長の鋭い目がマイミを見返す。
「霧崎さん、そこにある銃を取ってくれないか」
そう言ったのは不死者と言われた男。
グレイだった。
つづく




