閉鎖都市ノリリスクの逆襲(8) ~ボノとの別離~
極北の閉鎖都市、ノリリスに姿を現した多古組6代目組長、多古 忍は落ち着きはらった様子で、マイミの肩を掴んだ。
「霧崎マイミ、お前の元ボスである官房長官の甘粕幸四郎が失脚したのは知っているな?」
「はい、出雲に現れた龍との決戦を主張した挙句に大敗を喫し、その責任を取らされて任を解かれたと」
「甘粕は政府を飛び出して、自分の力で龍と戦う道を選んだんだ」
地面が再びぐらりと揺れる。
「まさか、それが……」
「旧知の仲である民間警備会社(PMC)の“カンパニー”と、新たな会社を設立した。それが“ヒーローズ・カンパニー”だ」
多古忍は採掘基地の窓の外を睨む。
「私は甘粕と取引をした。ヒーローズ・カンパニーの目的は、龍を殲滅すること。多古組は、その活動をバックアップする」
「なぜ、暴力団がそんな真似を……」
「我々も生き残りを賭けている」
多古忍は険しい表情をマイミに向けた。
「クリーチャーの出現と、龍の登場によって世界秩序が乱れ始めた。東京をはじめ、日本の主要都市では次々と戒厳令が敷かれ始めている。七十年続いた平和には終止符が打たれた。それは世界中のどこも同じだ。全世界が、暴力と混沌に包まれようとしている」
「暴力と混沌……」
マイミは先ほどのボノの話を思い出した。世界は安全ではない、あちこちで無慈悲な行為が繰り返されていると。
「我々みたいな稼業はね、霧崎。平和の中では暴力を誇示するが、ひとたび世の中が暴力に包まれたなら、それを鎮圧することに血道をあげるのさ」
「……それが、侠客の原点だから?」
「そうだね」
多古忍の表情が緩んだ。もしかしたらそれは、微笑みだったのかも知れない。
再び地面がぐらりと揺れた。
ヤクザたちが騒ぎ出す。
窓の外を見つめていたロゴスキンが、短く叫んだ。
「くそ、出てくる」
それが合図だった。
高さ二百メートルにも及ぶ巨大なすり鉢状の竪穴。その最深部を取り巻く壁面がグラグラと揺れて、ニッケルの原石を含んだ壁面がバラバラと砕け始める。
次に何が起きるかは明白だった。
龍が出てくるのだ。
マイミもまた、窓の近くまで歩み寄った。
「ロゴスキン、銃を殺せる弾を!」
アレクサンドルが叫んだ。
そうだ、それしかない。それを使うしか、方法は無い。
採掘基地の中では、兵士たちが自動小銃に弾が装填されているか確認し、ヤクザたちは拳銃を引き抜いている。だがそんな武器では龍に通用しない。
龍を倒すには、龍を殺せる銃弾を用いるしかないのだ。
ドン、と衝撃があって。
地面が数メートルも沈んだような気がした。
マイミは思わず転倒して尻もちをつく。
周囲では悲鳴が上がっていた。
慌てて窓枠に手をかけ、身を起こしたマイミは、窓の外にとんでもないものを目にした。
龍だ。
地層に埋もれていた龍の頭部が、採掘基地から十数メートル離れた場所に出現していた。
直径数メートルはあろうかという巨大な頭部。はじめ岩の塊かと思えたそれは、ごつごつとした銀褐色をしており、岩壁と同じ質感だった。
龍が微かに震えて口を開く。それは頭部の半分以上を占める巨大な口蓋であり、深海魚などの原始的な生物を思わせた。鮫と同じように、鋸のように細かな歯が何列も並んでいる。
採掘基地の中にいた誰もが言葉を失った。
龍が想定していたよりも巨大だったからだ。
頭部だけでさえ、鉱床に並ぶ重機よりも遥かに大きい。
全長が百メートルを優に超すだろうことは確実だった。
冬眠から覚めた蛇のように、ゆっくり、ゆっくり地の底を這いながら、少しずつ岩壁から外へと出てくる。
これほどまでに巨大な龍を、果たしてあんな拳銃弾で倒すことができるのだろうか。
全員が無言で窓の外を眺めていた、その時。
「無理だぞ、ロゴスキン」
声がした。
全員が振り返ると、そこにはボノの姿があった。
※※
「誰だ、この囚人を表に出したのは」
ロゴスキンが擦れた声で言った。
「こいつはロシア兵を48名も殺した凶悪犯だ。決して外に出してはならん」
「そんなことは、誰も信じてないさロゴスキン」
ボノはせせら笑った。
「もっと言えば、俺がとっ捕まった際に、周囲で虐殺されていた217人の民間人についてもだ。あれだってクリーチャーの仕業じゃないことは、みんな気付いてる」
「えっ?」
マイミは驚きの声を上げた。
「どういうこと?」
「気を付けろ、霧崎マイミ。クリーチャーが人類にとって脅威であることが、ある種の人間にとっての隠れ蓑になっている。217人が虐殺されたのはウクライナ東部の街、ドネツクだ。今、ウクライナに脱ロシアの動きがあるのはあんたも知っているだろう。殺された217人は全員、脱ロシア派の活動家だった。クリーチャーが特定の思想を持った人だけを狙って襲うなんて、そんな器用な真似をするだろうか?」
「静かにしろ、ボノ。今は政治について話してる場合じゃないんだ」
ロゴスキンが苛々とした口ぶりで言った。
「陰謀論を振りかざすのは自由だが、目の前の龍を始末できなければ、この場にいる全員が死ぬことになる。お前は邪魔にならないよう、おとなしく地下牢に戻るんだ」
老将が合図すると、兵士たちがボノに銃を突きつけた。
「霧崎マイミ、どうしたってこうなるんだ」
ボノは言った。悲しげな表情だった。
「俺は……もう駄目なんじゃないかと思っている。ドネツクに立て籠もったビルの中で、俺は活動家たちの子供を地下室に逃がした。曳光弾のせいで建物には火が回っていて、逃げ場はそこしかなかったからな」
兵士たちがボノの手に簡易式の手錠をかける。
傷ひとつ無い手だった。
「俺は地下室の入口を守るため、その部屋から決して動かなかった。窓から飛び込んで来た手榴弾を投げ返し損ねて、右手が丸ごと吹っ飛んだ。やがて燃え盛る炎に巻かれ、俺は動けなくなったんだ」
抗うことをしないボノの体を兵士たちが引きずっていく。
「人間は、自分が知らない誰かの死には無頓着だ。俺はそれをずっと見てきた。霧崎マイミ、俺はもう、この世界は駄目なんじゃないかと思っている」
窓の外から、かすかな音が聞こえた。
マイミには、それが龍の咆哮だと分かった。
「くそ、目覚める前に殺すしかない」
ロゴスキンはそう口走ると、ベルトに挟んだリボルバーを引き抜いた。
多古忍の方に顔を向ける。
「我々ロシア国内軍は、龍を殺す解決方法を持っている。あんたたちにも、協力をお願いしたい」
「望むところだ」
多古忍は静かに頷いた。
「無駄だよ、みんな」
ボノが言った。
「世界はもう駄目だと思う。そうだろう、霧崎マイミ」
マイミは何も答えずに、ボノの焼けただれた顔を見た。
悲しみを湛えた瞳を見た。
「さようなら、霧崎マイミ」
その言葉を最後に、ボノは姿を消した
つづく




