閉鎖都市ノリリスクの逆襲(7) ~鉱床の最深部にて~
「俺たちはチェチェン人の血を絶やすように命令されたんだ」
まるで昨日食べたボルシチの味について話すように、ボノは淡々と語り始めた。
「当時のロシア軍は脆弱で、数に劣るチェチェン人相手に手こずっていた。軍の上層部は業を煮やし、現場の俺たちにチェチェン人を民族的に抹消する方法を取れと命じた」
「それって……民族浄化のこと?」
マイミが問うと、ボノは頷いた。
「そうだ。世界中の紛争地で繰り返されている、伝統的なやり方だ。ロシア国内軍はチェチェン人の集落を襲い、抵抗する男たちを撃ち殺した。そして若い女たちを拘束すると、集団で強姦して妊娠させた。生き残った生殖可能な年齢の男たちは、施設に送って去勢した。断種手術だよ。ロシアに歯向かうチェチェン人を根絶やしにするためにね」
ショックのあまり言葉を失ったマイミは、そっと口元を覆う。
嗚咽が漏れそうだった。
「これは中世の話じゃない。ほんの二十年前に起きた出来事であり、もっと言えば世界のどこかで同じような蛮行が繰り返されている」
「……あなたは、その蛮行に参加したの?」
その問いには答えず、ボノは自らの掌を見た。かさかさに乾き、ひび割れた大きな手だった。
「俺は思い出したんだ。かつて、自分の祖父たちも同じような目に合わされたことを」
「ホロドモールね。半世紀前には、ユダヤ人がウクライナ人を根絶やしにしようとした」
「そうだ。そして気がついたら、断種手術を行っていたヤブ医者を殺して、森の中へと逃げ出していたんだ」
ボノは掌で顔を覆った。
「追ってきたロシア軍と森の中で戦い、三人を殺した。追ってきたのは二十歳にもならない若造ばかりで、殺すのは簡単だった。だがやがて追っ手は犬を使い始めた。俺は追い詰められ、負傷した」
そっと指で撫でたのは、目の上を走る大きな刀傷だ。その追撃戦の際に負傷したのだろう。
「結局、俺を助けたのはチェチェン人だった。俺はチェチェン人のゲリラに助けられ、逃げ延びた。イスラムの義勇兵と手を組んで各地を転戦して、最終的には故郷であるウクライナに戻った。俺がロシア国内軍から追われるようになった事件は、そんな顛末さ」
マイミは首を傾げた。
「だとすると……あなたは48人ものロシア兵は殺していない?」
「殺したのは軍医を含めて四人だ。だが、ロシア軍にとって数は問題じゃない。俺はロシアの軍人を殺した。それだけで軍をあげて俺を狩る理由になる。残りの44人は、何か別の理由で死んだはずだが、俺に罪をおっかぶせたのさ」
ボノは悲しげな目でマイミを見た。
何と言っていいのか分からなかった。
少しでも楽しい話をして、空気を和らげた方がいい。そう考えたマイミが、先月観てきた落語の話でもしようと口を開きかけた瞬間、鈍い金属音が響き渡った。
音がした方を振り返る。
扉が開いていた。
顔を出したのは、ロゴスキンだ。
「同志キリサキ、出るんだ」
「えっ?」
マイミはぽかんと口を開けた。
「私に何か用ですか」
ロゴスキンはため息を一つついた。予想外の出来事が起きて、まいっているようにも見えた。
「……あんたに、お客さんだよ」
※※
想像もしていない出来事だった。
旅行者や外国人の立ち入りが許されていない閉鎖都市ノリリスクの外れで、まさかこんな人物と再会することになろうとは。
「マイミ、君はなかなかユニークな人脈を持っているようだね」
アレクサンドルが冷たい笑みを浮かべる。
「こちらの方は、僕らのような新興財閥にとっても無視できない存在だ。時として荒っぽい問題解決を行う我々にとって、裏社会での影響力は重要だからね」
だがマイミはその言葉を聞いていなかった。
混乱していたからだ。
ニッケル鉱床の最深部に作られた採掘基地の中に、ステテコとダボシャツ姿の量産型昭和ヤクザが大量に湧き出ていた。ヤクザたちはパンチパーマを振りながら、冷ややかな目で事態を見守るロシア国内軍の兵士たち相手にガンを飛ばしていた。
「霧崎マイミ」
ノリリスクの風よりも冷たい声が聞こえた。
振り返ると、小柄な女性の姿が目に入った。長い黒髪、切れ長の鋭い目。
周囲の量産型昭和ヤクザがオジョウ!オジョウ!と喚き始める。
広域指定暴力団多古組6代目組長、多古 忍だ。
「多古さん……なぜこんな場所に」
「取引をしに来た」
多古忍は平然と言い放った。
「お前の身柄を取り戻すことが私の役割だ」
「でも、何故?あなたには借りはあっても貸しは無いはず」
「ほう」
多古忍はうっすらと笑った。
「前は暴力団員との貸し借りは、利益供与だとか何とか理屈をこねていたが……」
「個人的な記憶として留めておけと言ったのはあなたですよ。いずれにせよ、暴力団の威力を利用することの対償として行われる場合、及び暴力団の活動を助長し、又は暴力団の運営に資することとなることを知って行われる場合を除いては、“利益供与”とはみなされないともおっしゃいました」
「いかにも」
多古忍は首をめぐらせて採掘基地の室内を見回した。
「貸し借りはこの際、関係ない。これはビジネスだからだ。この凍てついた場所から、一刻も早くお前を連れ出す」
「ビジネス?誰とのビジネスなんですか」
「ヒーローズ・カンパニーだ」
「えっ?」
その時、地面がぐらりと揺れた。マイミはバランスを失って、多古忍に寄りかかる。
「ま、また揺れた」
「龍が……」
マイミを受け止めた多古忍は、険しい顔をして採掘基地の窓から外を見やった。
「龍が目を覚まそうとしている。厄介なことになったな」
つづく




