第6話 女辺境伯の値踏み
馬車が軋んだ音を立てて止まった。
車窓から覗く空は、王都のそれとはまるで違っていた。
薄紫色の瘴気が重く垂れ込め、吹き抜ける風には鉄と硫黄の匂いが混じっている。
黒鉄と巨岩を積み上げて築かれた城塞都市グレンヴェルド。行き交う人々は誰もが防毒の布を口元に巻き、腰に刃を佩いた、歴戦の面構えをしていた。
「着いたぜ、お嬢さん。ここが王国の最果て――グレンヴェルド領主城だ」
御者台から飛び降りたガルドが、粗末な扉を開ける。
右腕には、私が渡した清潔な麻布がしっかりと巻かれていた。
「ご案内、感謝いたしますわ」
私はドレスの裾を整え、静かに馬車を降りた。
足元を踏みしめる黒い土。空気中に漂う微弱な呪詛の気配が、肌を心地よく刺激する。
王都の温室で息を潜めていた私の魔力が、この過酷な大地に触れて静かに脈打ち始めていた。
◇
城塞の大広間は、飾り気のない質実剛健そのものだった。
シャンデリアの代わりに焚かれた篝火が、石壁に荒々しい影を落としている。
壇上の大椅子に腰掛けていたのは、一人の女性だった。
エレオノーラ・フォン・ヴァルテン辺境伯。
鍛え抜かれた長身に黒鉄の甲冑を纏い、白銀の混じる黒髪を無造作に束ねた女傑。
左頬には獣の爪痕が深く刻まれており、篝火に照らされたその双眸は、飢えた鷹のように鋭い。
広間の両脇には、屈強な辺境兵や老練な魔導士たちが居並び、壇下に進み出た私を品定めするように見下ろしていた。
「……王都の道化王子から、親書が届いていてな」
ヴァルテン女辺境伯は、肘掛けに頬杖をついたまま、低く響く声で口を開いた。
「『撃破数ゼロの無能をくれてやる。辺境の魔物の餌にでもしろ』と書いてあった。……おいガルド、貴様が護衛役か。右腕の怪我はどうした」
名指しされたガルドが、一歩前に出て胸に拳を当てた。
だが、その表情には微かな言い淀みと、自分でも見た光景が信じがたいといった困惑が滲んでいた。
「はっ。……信じられねえ話ですが、街道にて《黒狂狼》二頭と野盗十二の襲撃を受けました。俺がヘマをして腕をやられましたが……このエルセリア嬢が一太刀も交えず、わずか数十秒で敵の全戦力を機能停止に追い込みました」
ざわ、と広間が揺れた。
居並ぶ兵たちが顔を見合わせ、信じられないといった目で私を見る。
「黒狂狼を? あの小娘が……?」
「嘘だろ、傷一つ負ってないぞ」
ヴァルテンは兵たちのざわめきを手で制し、鋭い眼光を私へと突き刺した。
その瞳の奥には、値踏みとともに、冷たい警戒の色が宿っていた。
「ノクティスの娘。我が領は見ての通り、瘴気と呪獣が日常を喰い荒らす泥沼だ。……以前にも王都から『天才』と持て囃されたエリート魔導士が送り込まれてな。派手な大火力をぶっ放しては敵意を暴走させ、我が精鋭を五十人も無駄死にさせおった」
ヴァルテンは椅子から身を乗り出し、低く唸るような声で威圧を放つ。
「王都の連中が誇る派手な花火など、ここでは屁の役にも立たん。一発のデカい魔法を放って息切れする奴から順に死んでいく。……我らが必要としているのは、生き延びる技術だ。お前もあの着飾った穀潰しどもと同じなら、生きてこの城から出られると思うな。……お前は何ができる?」
広間の空気が張り詰め、全員の視線が私へと集中する。
私は懐中時計をそっと胸元に収め、優雅にドレスの裾をつまんだ。
王城の夜会で披露したのと寸分違わぬ、完璧なカーテシー。
「派手な爆炎や、視界を焼き尽くす光をお望みなら、私にはお見せできませんわ」
「ほう?」
「ですが――」
私は顔を上げ、静かに扇を広げた。
夜色の黒髪の下、静かな紫の瞳で女傑の威圧を真っ向から受け止める。
「私が閣下に捧げられますのは――決して消えない毒と、終わらないワルツを」
「……消えない毒と、終わらないワルツ、だと?」
ヴァルテンの眉がピクリと跳ねた。
広間の兵たちが怪訝な顔を見合わせる中、女辺境伯の唇の端が、凶暴な笑みへと歪んでいく。
「面白いことを言う。……だが、口先だけなら道化の王子でも言えるぞ」
ヴァルテンは立ち上がり、背後の壁に掲げられた巨大な羊皮紙の領内地図を指し示した。
北の山脈の奥深く――赤黒い塗料で幾重にも警告の印が刻まれた谷。
「北の呪詛谷に巣食う特級変異個体――《呪獣モルゴス》。体長八メートル、黒鉄を凌ぐ呪殻。推定再生力は毎秒二千四百。三度挑んだ我が精鋭討伐隊の損耗率は八割を超え、前線維持時間はわずか三分だった」
ヴァルテンは地図から私へと向き直った。
「あの化け物を討伐してみせろ。お前の言う『ワルツ』とやらでな。……成し遂げれば、お前を客分魔導士として迎え、この領でお前の好きにできる地位をやろう」
「無茶だ!」「死にに行かせるようなものですぞ、閣下!」
側近の魔導士たちが慌てて声を上げる。
討伐隊が三度壊滅しかけた特級の呪獣。生身の令嬢一人に押し付けるには、あまりに過酷な死刑宣告に等しい。
だが――私の心は、静かに歓喜に震えていた。
物理無効に近い装甲。
火力をあざ笑う超再生。
王都の誰もが「無敵」と恐れ、匙を投げた厄災の雛形。
――ええ。
これ以上ない、最高の舞台ですわ。
「かしこまりました」
私は扇の陰で、極上の微笑みを深めた。
「謹んでお受けいたしますわ、辺境伯閣下。――どうぞ、特等席でご観覧くださいませ」




